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処分を言い渡された日の午後には、私はこの学校を後にしていた。裏切りという最も残酷な思い出しかないここに未練などあるはずもないが、これからを思うとなかなか幸せだったのかもしれない。
私は馬車に乗りながらそう思う。学校から出たらもうラズワルド家の馬車が迎えに来ていて、逃げる事はできないのだと諦めた。私はもう自由には生きられないのだ。
だがおかしな事に、その馬車はとても美しく品が良かった。内装だって綺麗だし座席もふかふか。まるでお姫様が乗るような馬車だ。
私にこんな待遇をするとは本当に噂通りの変わり者ね。私は知らず失笑した。
しかし油断してはいけない。ラズワルド公爵は今まで幾人もの妻がいたのだが、今は全員に離縁され独身である。これが意味するのは彼に何らかの問題があるという事。人狼だからか、そうでないのか。私にはまだ判断できそうもないが、そういった理由もあると覚悟した方が良いだろう。
聞こえてきた噂だと顔が醜いとか、体臭が腐った魚のようだとか、性格も野蛮で冷酷だとか、とんでもない色欲魔人だとか。取り敢えず皆が嫌う要素を集めた人物らしい。
でもなぜ私に縁談を持ち込んだのかしら?魔女と言われる私を妻にするなんて、変人の範疇で収まる話ではないわ。もはや狂人と言った方が正しい。
別に何でもよいわね、そんな事。どんな意図があったにせよ、ラズワルド公爵が私を手に入れた。そして私はそれに従うしかない。現実はこんなにも単純なのだから。
私は目を閉じて静かに眠った。
目が覚めて小窓の外を見ると、そこにはもうラズワルド邸があった。思ったよりも小ぶりな屋敷だが決して小さくはない。館の大きさとしては実家の離れよりも少し大きい程度だが、庭の広さと美しさは全く違う。どこか淑やかな雰囲気の花は、赤茶色の渋い屋敷によく似合う。
黒く大きな門を超えるとすぐに屋敷の玄関が見えた。メイドの格好をした茶髪の少女と、いかにも執事らしい金髪の青年が立っている。お出迎えというやつだろうか。
私が執事らしき男性にエスコートされて馬車を降りると、メイドらしき少女がぺこりと頭を下げ荷物を持つ。
何これ!?え、何で私ちゃんと令嬢扱いされているの?人間扱いされてなかったから、一足飛びにこれはかなり困る!いや、困るというより戸惑う。
そんな私は家の中に入ってさらに驚いた。私だけではなく執事とメイドも驚いていた。
「君がアリア嬢だね?会えて嬉しいよ!」
「旦那様!?なぜここに?」
「エドガー様!?なぜこちらに?」
「え、この人が!?」
執事とメイドが声を揃えて詰問しているところからすると、目の前でニコニコしている男がエドガー・ラズワルドなのだろう。
だが予想とは全く違った男だった。銀色の髪はさらさらと長く、後ろで一つに縛っている。真っ青な瞳を輝かせる無垢な笑顔から人の良さが分かり、歳を感じさせない若々しさを持ちながら歳の重厚さを示す知的な印象も持つ。
どう見ても優しげなおじさんだ。しかも甘いマスクをしたかなりの美形。スタイルも良いし性格も良さそう。もちろん体臭も臭くないし、むしろ薔薇のような香りがふわっと届く。
でも、うん。服だけが異様にダサいわね。全く合ってない上下の色合いにスカーフの変な模様。着ている人物が格好良いからこそ尚更似合わない。
「何をしているんですか?エドガー様には自室でお待ちいただくように申し上げましたよね?聞いておられなかったのですか?」
「聞いていたよ!失礼だなぁ」
「なら三歩歩いたら忘れる頭なのですか?しかも何ですか、そのクソダッサい格好。私共が用意した服はどうしたのです?」
「こっちの方が良いかなって」
「鏡という利器をお貸しいたしましょうか。それとも目を取り替えた方が早いですかね?いや、頭…?」
「そ、それはダメですよ!」
「心配しないでください。私は医師としても優秀です。必ず馬鹿という病気を治します」
「それなら是非。馬鹿は不治の病ですからね!」
「え、馬鹿って言い過ぎじゃない?バルトのは慣れてるけど、リリスから言われるのは傷付くよ?」
いきなり口論を始めた三人に目を見張ったが、何よりも使用人に言い負かされている公爵に驚かされた。ぞんざいに扱われているのに怒るどころか笑っている。しかもどこか楽しそうで賑やか。
私は思わず吹き出してしまった。その軽妙なやりとりも、私の髪と目に恐怖を覚えない人も初めてだったのだ。もしかしたら暗く考えすぎていたのかも。
何だか馬鹿らしくなって気を抜いた私を三人は驚いた様子で見つめる。
「ふふっ、面白いわね。私、こんな風に楽しくて笑ったの久しぶりだわ」
「…申し訳ありません。馬車の旅で疲れていらしたのにこんなところでお引き止めしてしまいました」
「あ、いいえ。今のは嫌味ではないのよ?あなたたちの仲が良くて微笑ましかっただけ。…でももう笑わないわ」
だって魔女の賞賛なんて欲しくないでしょう?そんな意味を込めて薄く微笑むと、エドガーはムッとしたように眉にしわを寄せる。
「君に笑うなって誰も言ってないし、誰にも言わせないよ。だからそんなに卑下したらダメだ。君は僕の妻なのだから」
彼の言葉を聞いて私は放心してしまった。気付いた時には三人が私の前でオロオロしていて、そこで初めて涙を流している事に気付く。
私、レオに見放されても泣けなかったのに。
自分の変化に冷静な頭で驚いたが、私のために右往左往している皆が何だか心地良くて思わず笑ってしまった。