第9話 ミア
天界の門をくぐり抜けると、そこは真っ白で、何も無い空間だった。天使や1部の神はここに居るという話だったが、どうやら誰もいないようだ。
いや、もしかしたらこの果てしなく続く白い空間のどこかにいるのかもしれない、と枝音は思った。
それほどまでに、果てしない白、空も、地面も、何もかもが真っ白だ。
チリひとつなく、シミのひとつもない白い空間を、枝音は行く宛もなく進んでいく。
だが、何となく、こっちに行けば何かがある、とは感じられた。
しばらくすると、不意に正面の雰囲気が変化しだし、枝音は足を止める。
「…………神殿?」
突然、目の前に神々しい神殿のようなものがあらわれたのだった。
枝音は、入るかどうか迷っていたが、行く宛も無いので、とりあえず入ってみる事にする。
「ここは…………。」
神殿の中も、真っ白な空間がどこまでも広がっている。
外見の大きさや、構造を無視したその広がりの奥の方に、枝音は人を見つける。
「……っ!あなたは………。」
玉座のようなもののすこし上に、1人の女性……というか、枝音にそっくりの外見をした、神秘的な女性がいた。
その神々しさは、まるで女神のようで、女性である枝音ですら一瞬見とれてしまった。
ちなみに、外見はほとんど枝音と変わらないので、傍から見れば盛大な自画自賛である。
そして、枝音が自分の存在に気づいた事に気づいた女性が、口をゆっくりと開く。
何を言うのか、と枝音が注意深く聞こうと心構えをする。
そして、紡がれた言葉は、
『やっほー!みんな大好き、ミアちゃんだよー!………ってあれ?どうしたの枝音。ノリ悪いよ〜?』
なんというか、枝音だった。
それはもう、なんにも知らずに瑠璃奈達とはしゃいでいる時の枝音そっくりだった。
呆然としている枝音を眺め、ミアはきょとんと首をかしげる。
『………どしたの?枝音。ほんと、らしくないよ?』
何がらしくないのだろうか?
ミアに対する反応の事ではなく、もっと違うことについてらしくないと言っている感じがある。
「………あなたに、何が………」
『分かるよ。だって、貴女は私だから。』
『確かに、持っている記憶とかは違う。だけど、私と枝音の人格は同じ。だから、分かる。何を戸惑っているの?何を怖がっているの?』
「怖がってなんか…………」
『………そうか、枝音は過去の記憶を持つ事が怖いんだね?自分の知らない記憶を持つことで、自分が自分で無くなってしまうのではないか、と。』
そうだ、本心では怖がっている。
クロノフィリア迷宮図書館でみたあの光景は、自分の知らない記憶だ。ミアという人物は、少し容姿は異なるが、過去の自分なんだろうと言うことは分かっている。
なぜ、ミルがミアを殺した数万年後にこうして自分がいるのか分からないが、今、ここでミアを受け入れるという事は、記憶を思い出すという事だ。
その時、本当に私は枝音だろうか?ミアになっては、いないだろうか?
そうだ、怖い。自分が変わってしまうことが怖い。それだけの事だと、そう言おうとして、しかし、その言葉は遮られる。
『そんな訳、無いでしょう?枝音が怖がっているのは、そんな事じゃあない。』
確かにそんな事で悩む枝音では無い。
枝音は、自分は自分だと割り切っている。だから、そんな事では悩まない。
『枝音が怖がっているのは、自分が変わってしまうことなんかじゃなく、ミアとなった自分では、二度と枝音として見てもらえないのでは無いか、と。黒音に、枝音では無く、ミアとして見られるのが怖いんでしょう?』
枝音が怖がっているのは、他人からどう見られるか、だ。
瑠璃奈や空墨さん、夢羽さんとかはミアのことを知らないから、普通に枝音として見てくれるだろう。
だけど、黒音はどうだろうか?
果たして、ミアでは無く枝音として見てくれるだろうか?
『まぁ、残念だけど、今の私はミアそのものじゃない。私は、ただミアの残した能力が、 人格と1部の記憶をもっただけのミアの名残りだよ。』
自分はミアの残滓だと言う。
正直、何を言っているのかわからない。
だけど、適当なことを言っている訳では無い。
彼女は、私になにを伝えたいのか。
『失われた記憶を取り戻すのは、枝音が自分で頑張らなくちゃ行けないし、そもそも枝音は既にミアと同義のものだよ?名前や姿なんて関係ない。それは、黒音を見ていたら分かることでしょう?』
「それでも、私は………ミアではなく枝音として見てほしい。だって、私は枝音だから。ミアなんかじゃ、ない。」
『それこそ心配無用だと思うけどねぇ……。』
そう、それこそ心配無用だ。
黒音が求めているものは、人格でも、肉体でも、魂でも、記憶でも、精神でも、なんでもない。
黒音がに枝音求めているのは、【存在】だ。
枝音だろうが、ミアだろうが、名前すら関係ない。
ただ、意思という【存在】がそこに在ればいい。
意思がそこに存在している、その事が黒音にとっては重要なのだ。
だから、記憶を取り戻そうか、人格が変わろうが、見た目が変わろうが、名前が変わろうが、枝音は枝音だ。
そこに、なんの変わりもない。
だから、枝音が心配するような事はないのだが………。
「うん、分かってる。これは、私の気持ちの問題。……こんな事で悩むなんて、やっぱりミアの言う通り、私らしくないかも。」
割り切れてはいない。
いまだ、不安に思う気持ちはある。
だけど、こんな所で止まっては居られない。
「ん、話したらなんかすっきりした!」
『それは良かった。んじゃー、早いとこボクを取り込んで、黒音をシバキに行こー!』
「シバキにって……、ん、ボク?」
「あ、ボクねー、本当はボクっ娘なんだよねー。」
衝撃の告白。
なんと、ここにきて枝音に追加されるボクっ娘属性。
この感じで属性が増えていけば、もしや貧乳属性から巨乳属性に至る日も近いのでは……?
「ミルと話す時は女の子っぽく一人称変えてるだけどねぇー、えへへ。」
かわいい。
あ、これ自画自賛になっちゃう。
でも可愛い、何こいつ。
「あ、ちなみにミル……ていうか黒音はたぶん小さい方が好きだよ、てか絶対そう。ボクにはわかる。」
あ、はい。
さらばボイン、夢の彼方へ。
しかしまぁ、そこまで大きさは気にしてないのでセーフ。
ていうか、私の心の中読みやがったなこいつ。
「で、取り込むって言ったってどうしたらいいの?」
「あぁ、それは簡単!私が『眼』に戻るから、それを左眼に嵌め込むだけだよ。」
「へぇー………あれ?わたし??」
「ん?あっ………。」
しまった、というような顔になるミアを、枝音はジト目で睨みつける。
「ないよ、私にボクっ娘属性なんて。うん。いや、付けたら面白いかなーっておもって、ね?」
イタズラがバレた時のような顔になった後、あっけらかんとした様子でミアはそういう。
「えぇー………。」
「ま、あとは頼んだよ。」
どこか含みがあるような言い方に枝音が戸惑っているうちに、ミアは何も言わずに青白い結晶のようなものになってしまった。
黒音が持っていた『世界の右眼』と似た形のソレを、枝音は自分の左目に近づけてみた。
すると、結晶は眩く光り輝き、しばらくして光が晴れる。
何が変わったような気もするし、何も変わらなかった気もする。
何かが、あるべき場所に戻った……そんの気分だった。
「さて、と。帰りますか。」