第ⅩⅡ話 それは虚なり
「綺麗じゃん。」
黒音が、ウェンディングドレスに身を包んだ枝音を見て、そう呟く。
それしか感想がないのか、と横にいた瑠璃奈は呆れだが、黒音からしてみれば言葉が出ないくらいに綺麗だった。
今すぐ抱きしめたい、などという衝動に駆られるようなことがあるとは、黒音は思いもよらなかった。
人生長く生きてみるもんだ。何万年も生きてきて、それでもこのような初めての経験がここにはある。
惜しむらくは、これが普通の結婚式では無いことか。
「むぅ、そういう黒音だって、その……かっこいい、じゃん。」
枝音は照れながらそう言うが、黒音は自分の容姿がかっこいいとは別に思っていない。
むしろ、この白いタキシードがまるで似合っていないのではないか、とさえ思えてならない。
「はっはっはっはっは!」
「ダレス、笑いすぎだ……クク……。」
ダレスとラストの2人は黒音の姿に爆笑している。
確かに似合っていないと言うことはないのだが、黒、という色のイメージが強すぎる黒音が白い服装をしているということがそもそも面白いのだ。
枝音は白いイメージがあったので、白いウェンディングドレスはそれはもうよく似合っている。
これが黒いタキシードなら、それはもう黒音に抜群に似合っていただろう。
だが、悲しいかな、結婚式で新郎が黒いタキシードを着たなどと言うことは聞いたこともない。
「うー、緊張するなぁ……。」
「いや、まぁ……本来の結婚式とはまた違った形になるしな、それに今回のは予行練習だと思えばいい。文字通りな?」
「では、天織様、こちらを。」
式場の職員の方から貰った小さな箱には、ちょっとしたオシャレなブローチが入っていた。
「これは?」
「私たちからの、些細な贈り物、と言ったところです。実際につけてみてはいかがでしょうか?」
「ふぅん。ありがとう。付けさせてもらうよ。」
――――――そして時は少し巡り。
結婚式は順調に進んでいた。
ザワザワと喧騒に彩られる式場の中、1人の男がいた。
その男は、この結婚式の中で1人ほくそ笑んでいた。
全てが思い通りになった。
いくつか痛手も被ったし、予想とは違った結果になってしまったが、そんなものは瑣末事だ。
これさえ行われてしまえば、全てが思うがまま、多少遠回りをしてしまった感はあるが、そんなこともどうでもよく思える。
(さぁ、ここからだ。)
次は、新郎新婦の誓いのキスとやらだ。
それを持って、この儀式は完了する。
そう、もうすぐ……もうすぐ………。
2人が、口付けを交わす。
そして――――――
そして、何も起こらない。
「………………は?」
男が、キョトンとする。
何も、そう何も起こらなかった。
予想していた全てが、何も、何一つ。
「どうした?そんな面白い顔をして。何かいいことでもあったか?」
黒音が、真っ直ぐこちらを見ていた。
この大勢の中、真っ直ぐ、こちらだけを、適確に。
黒音の声が、やけに明瞭に聞こえる。
ここからあそこまでは、遠くはなくともそれなりに距離はあるはずなのだが。
「クク……やっぱいいな。面白いな。こうも敵が策にはまってくれると、なんとも言えない心地良さがある。」
「全く、こういうのは今回限りにしてよね〜、結婚式ってのには一応乙女心があるんだからさ。」
そんなふうに黒音と枝音が言葉を交わす。
策、策と言ったか、ならばこの状況は、まさか。
「そう全て仕組まれた事さ!参加者?いるわきゃねぇだろ!そう、テメェら氾濫勢力以外はなぁ!?」
そう言って、黒音が指を指した方向には、灰空がいた。
それが示す意味はもう分かりきっている。
灰空の得意とする異能および魔術は幻術や幻覚。
ならば、この結婚式そのもの自体が………
「私の『夢への誘い』と『鏡写しの世界』、そして白咲さんの『クリエイション・ワールド』、ほか様々な能力をかけあわせて作った、限りなく現実に近い幻です。」
「な………だが、だとしても黒音と枝音は本物のはず。さっきの口付けだって………。」
「口付けをした時点で儀式は終了、花嫁のティアラと花婿の指輪、これを持つものが口付けを交わし、儀式を行う事でその効果が発動する。………で、だ。枝音が今つけているティアラ、これに嵌められてる宝石に見覚えがあるんだなぁこれが。」
そう、黒音に渡された方は特に見覚えはなかったが、枝音が着けているティアラには覚えがある。
それは、形こそ少し変わっているものの、花嫁のティアラだ。
現に、そのティアラについている宝石類は、花嫁のティアラと全く同じものだ。
「おかしいよなぁ?なんでここに花嫁のティアラがあるんだァ?というか、お前ら、俺たちの『目』をバカにしすぎだろ?気づかないとでも思ったか?えぇ?なんか言ったらどうなんだ、ミライ!」
黒音が先程から言葉を交わしていた男。
そして、今回の企みを企てていた人物。
それは、時秋ミライだった。
「俺らの情報は筒抜け………まぁ当然だよな。スパイが堂々と目の前にいるんだもんな。しかも親玉自らだ、せいの出る事だな?だが、お前の諜報には欠点がある。言葉を交わさなかったら……いや、お前が俺の意図を読み切れなければ意味が無い。」
そう、いくら諜報ができても、相手の意図が読めなければ意味が無い。
そして、現にカルパティア山脈がどうこうの時は黒音は仲間とあまり言葉を交わしていなかった。
以心伝心みたいなもので、長いこと一緒に戦ってきた彼らとは少し言葉を交わすだけでその意思は通じる。
だが、黒音のことを何も知らないミライは少ない言葉ではその意図を読み切れない。
「でも、ティアラは………!」
「んー?それの事かぁ?」
黒音が指さすと、ラストがその手に持っていたのは、ブローチとティアラだった。
なら、今黒音が着けているのは。
「これは枝音の能力で作った限りなく本物に近い偽物だ。」
「で、でも、ここに僕らしかいないって言うなら、どうやって………?」
どうやって僕らだけ呼び寄せたのか。
「なんでここにお前らしか居ないのかってのは単純だ。」
各国に送り付けた通信………そうそれ自体が間違い。
黒音は重要書類は『運び屋』に頼んで手紙で送っている。
結婚などという重要な事柄を電子メールなんかで送るわけが無いのだ。
だから、これを嘘情報だと見抜けなかったマヌケは当然敵側ということになる。
そして、部下に関しても同様。
まずもって夜花にはスパイなんか居ない。
夜花は結構閉鎖的な組織で、新参者が来ることがまず少ない。
新参者がきても、黒音が直々に拾ってきたりなど素性の知れているものだけだ。
となると、比較的開放的な白華に必然的にスパイは集まってくる。
が、白華に潜り込んでいる奴らや敵の雑魚兵どもだけ味方と区別する方法がある。
それは、口封じのために体内に仕掛けられた術式だ。
それの有無を探知系の魔術、または異能で解析し、敵か味方が判断する。
一般人に紛れ込んでいる敵勢力も、この方法でどんどん狩っている。
あとは、体内に術式を持っていない幹部連中が、各国に送り付けた偽情報を掴まされてこの結婚式にノコノコとやってくる。
そこを抑えてチェックメイトだ。
「さぁ、観念して貰おうか?時秋ミライ。いや、『災厄の獣』!」
「……っ!な、なんの事ですか……?」
「とぼけるなよ。そもそもまた巧妙な嘘をついたもんだな?時間を移動した?嘘つけよ。今のお前はただ単に再創造された存在で、ダレスみたく記憶を引き継いでいた………ただそれだけだろ?」
「でも、僕は人間ですよ?」
「はっ、それは肉体の話だろ?前の世界で俺に終わらされたお前は、そこの時秋ミライの肉体を乗っ取って、それに成り代わった。」
どんな偶然か、時秋ミライの体を乗っ取った『災厄の獣』は再創造された次の世界でもその肉体に因子が残っていた。
恐らく、終焉に至った際に時秋ミライの体に住み着いていたため、時秋ミライに関する情報に誤差が生じたのだと思われる。
あの時の終焉と創造は、世界が意図していたシステムとは全く違った形で発動したため、数多くの失敗がある。
今回のこれも、そのうちの一つなのだろう。
「まぁ突拍子もない話だってのはわかる。お前の妄想だろと言われても仕方ないだろうよ。だが、お前の能力は維持とか言ってたがそれは違うよな?」
壊れた瑠璃奈の機体をなんとか回収出来たため、ログを調べたが維持なんて能力が働いた形跡は全くなかった。
だから、その手の解析系統の能力者に調べて貰ったところ、面白い事実が判明した。
「瑠璃奈の機体……フレメアに働いていたのは時空間の制御だ。でなぁ……お前のような存在を俺たちはよく知ってるんだなぁ……肉体の憑依に?時空間の制御?それに思考誘導……つまりは洗脳だな。なんだそりゃ、まるでウロだなァ?えぇ、おい。」
花嫁のティアラは全てのケモノを操れるなどと言っていたが、そんなのは嘘だ。
結婚式というものに巧妙に隠された儀式的な要素、そしてそれを行わせるための思考誘導。
そして、そこで特筆すべきなのが、黒音でさえも思考誘導出来るだけの強力な能力。
「さぁ、聞かせてもらおうか?災厄の獣。お前は何だ?」
「何って………。」
「そのままの意味だ。お前は何者で、何を企んだ?花嫁のティアラの本当の使い道はなんだ?」
「………………く、クク………。」
長い沈黙のあと、やがてミライが……否、『災厄の獣』が笑い声をあげる。
「僕の名前はラカ。9人の世界の器がひとつ、『空虚』のラカさ!」