不死の田中
田中は不老不死である。
その人生はごく普通の病院から始まった。
2004年、当時はまだ「帝王切開なんて不自然だ、何時間も何十時間も死ぬほど苦しむ自然分娩が至高!」とか言うジジババ共が跋扈していたころ。田中の母は、痛いのが嫌だったので帝王切開をしてくれる医者を近場で探し出し、いざ出産に赴いた。世間の荒波に逆らうロックスタイルである。
看護婦が仕込んだ隠しカメラに撮影されながら手術は始まり、医師の握るメスは最初の一刀から滑って母体にぶっ刺さり、田中の頸動脈を切り裂いた。
「あっやべっ」という医師のつぶやきに手術室が静まり返る。
どう見てもヤバい感じではあったけれど、医師は口笛を吹きながらメスを引き抜いて何事もなかったかのように手術を再開した。
正直、手術室にいた誰もが赤ん坊の死を確信していたけれど、なんでか無事に田中は生まれた。
その時聞いた第一声は医師の「よっしゃ医療ミス回避!」だった。訴訟はされた。
それから田中は多額の賠償費を離乳食替わりにすくすくと育ち、2019年、高校に入学する。
田中は不死であったけれど、ごくごく普通の高校生になった。
肌の色はショッキングピンクで体毛の類は一切なく、巨大な両目は常に見開かれ、スリット状の口からは「イーッ」としか言えないけれど、町中で猫の交尾を見かけてもスルーしてあげられるような心優しい少年だった。これは当時の文部科学省が発表しているので間違いない。
田中は相変わらず「イーッ」としか言えないけれど、頭は悪くなかった。成績も優秀で、予習復習をしっかりこなし、ノートは女子と見紛わんばかりにカラフルだった。一番好きなのはピンクの蛍光ペンだった。ただ、英語と現代文の読み上げには大変苦労した。何しろ「イーッ」としか言えないので、何を朗読してもクラスメイトには通じないのである。一ページまるまる「イーッ」だけで読み上げた後、クラスメイト達は「田中に読み上げさせるのやめろよ!」とキレたが、教師の「田中だって頑張ってるだろうが! お前ら差別はいかんぞ差別は!」という発言に沈黙し、それでも憤懣収まらないクラスメイトの一人が中間テストの答えを全部「イーッ」で埋めて満点をもらった。選択問題の答えも全部「イ」だった。
一年の頃にはなかなかクラスに馴染めなかったけれど、学年が上がり、2の3クラスでは沢山友達が出来た。
あれだけ不評だった教科書の読み上げも、解読表を委員長(眼鏡三つ編みスカート膝丈)が作成し、『田中の言語を習得する会』の活動の甲斐あって、クラスメイト全員が田中の「イーッ」を理解することに成功した。抑揚とアクセントがポイントだった。田中にも分かりやすいようクラス全員が読み上げの際に「イーッ」としか言わなくなったため、教師は三人退職して隣の教室は全員がノイローゼに陥った。
それは、田中の人生の黄金期だった。そこから先はずっと下り坂だ。
高校二年生の時、まず委員長に告白してフラれた。それが委員長なりのツンデレだったと分かるのは百五十年後のことである。
高校三年生の時、第三次世界大戦が勃発した。中独仏北を相手取ったその戦争は日本を火の海に変えたが田中は生き残った。ただ、卒業式の日に高校は燃えてしまったので田中の最終学歴が中卒になった。
その三十年後、田中の成長期が終わり名実ともに不老不死となっていたが、その年に勃発した第四次世界大戦には少々困った。
英独印の連合国が準備した多 弾頭ミサイル発射場は米国の戦略衛星兵器神の杖によって粉砕され、趨勢が決したとみた各国は「やっぱり次は/次もドイツとだけは組まないでおこう」と決意し、けれど南米経由で持ち込まれた核地雷によってアメリカごと人類は滅びた。
核地雷を持ち込んだ誰かさんは盛大に計算を間違えていたらしい。巻き上げられた噴煙は成層圏に到達後、気流に乗って地球全土を覆いつくした。これには田中も、ちょっと困った。
たぐいまれなる恒常性を誇る田中の肉体には不凍性の体液が流れ、無酸素状態であっても太陽光や宇宙線を利用して体内の二酸化炭素を酸素へと変換、半永久的に活動することが可能だけれど、冷え性なので冬場にはホッカイロと耳当てが欠かせないのである。
それでも、田中は寒いのと放射能を我慢して、生存者を探す旅に出た。
日本は第三次世界大戦時にあらかた捜索を終えていたので、まずシルクロードを辿ることにした。九州から朝鮮半島へと渡り、迷わないよう海沿いに中国、インドを経由してヨーロッパまで。アフリカを一周して、今度は北欧からカナダへ。大昔のヴァイキングが渡ったルートだ。
それは、人類史を辿るような旅だった。
中国では天安門、インドではタージ・マハール、ヨーロッパでは凱旋門。全て残骸ではあったけれど、かつての観光地では自分の痕跡を残すように落書きを残した。原始の人々が何故揃いも揃って壁画を残しているのか、今では分かる。夜の無慈悲さと孤独には、たとえ不老不死であろうと耐えられないのだ。ほんの少し、線香花火が散らす火花のような慰みであっても、誰か自分以外の人が見つけてくれることを望んで、タチの悪い修学旅行生みたいに落書きを繰り返した。
けれどどこにも、人類は生存していなかった。
田中が間に合わなかったこともある。世界各地にはシェルターや小規模な村落の痕跡が存在していたが、全て田中の到着を待たずに全滅していた。地球全土を包み込む雪や氷のせいだろう、原型をとどめ、顔の造作すら判別可能な凍死体も幾度か見かけた。正直、人に会わなさ過ぎて恋に落ちそうだったけれど、そこはぐっとこらえて凍った大地を掘り返し、埋葬した。
そんな旅を続けて五十年も経たないうちに、終わりは訪れた。
北米、南米を一周半回って、田中はオーストラリアに渡ろうとしていた。この氷河期のおかげで南米からオーストラリアの間にはいくつもの氷山がひしめき合い、渡るのにさしたる苦労はなかった。けれど、そこで滑って転んで滑落し、氷漬けになった田中は半覚醒状態のまま冬眠に入ってしまった。
朝、布団の中で微睡んでいるような心地だった。全身が氷漬けにされてしまって、指の一本すら動かせない。視界はただただ白濁して、濁っているのが氷なのか眼球なのかも分からない。
だから、ひたすら高校の頃の夢を見た。
人生のうち八十年を超える孤独の時間をかき消すように輝く、炭のような原石の中に煌くダイヤモンドみたいな一年間の思い出を、飽きることなく何度も、何度も繰り返した。
今がいつなのか、とっくに分からなくなって、けれどいつまでたっても死のうなんて思えなかった。そんな頃に、田中を含んだその氷塊は海から引き揚げられた。
まず感じたのは光だ。幾重もの氷の層によって湾曲し屈折して、けれどそれは間違えようもない太陽の光だった。田中の肉体はたったそれだけの光で覚醒し、意識と熱の再生産を開始した。田中の周りの氷が徐々に液体へと変化し、氷塊の中に繭のような空間が生まれる。
外側から伝わる鐘のような音は、分厚い氷を鑿と玄翁でかちわらんとする誰かの存在を示していた。田中もまた、内側から金属質の爪を突き立てて、脱出を試みた。
会える、会える、会える!
生きていたのだ! 誰か、誰でもいい、人だ! 全球が凍結しようと、人類は生存してここに居たのだ!
爪が折れようが気にも留めなかった。どうせそのうち生えてくるのだ。指も、手も、肉が削げようが骨が剥き出しになろうが、田中は諦めずに足掻き続けた。
ついに氷が砕け、そのヒビから七十年前の海水が漏出し、田中は再びこの世に生まれ落ちた。その様子は、映画「エイリアン」でのエイリアンが孵化するシーンに酷似していた。
ちょっと引きながらも、外の人々は両腕を広げて田中を歓迎する。困ったのは田中の方だ。外国語が分からない。高校時代、英語の評定は「がんばりましょう」だったし、そもそも「イーッ」としか喋れないので相手が日本人だとしても意思疎通は不可能だ。
生き残っていた人々は核防護服のヘルメットを外すと、概ね人には見えない田中を見て笑顔のまま口を開いた。
「田中さんだ!」「田中さんだった!」「やっぱり田中さんだ!」
彼らの顔立ちは、どこか見覚えのあるものだった。
この世界に順応したのだろう、揃って「マッドマックス2」に出てきそうなファッションだったけれど、目や耳、鼻の形には覚えがある。
何千何万と繰り返した思い出の中の彼らによく似ていた。
「私は十八代目委員長、田代です」
「オレは九代目サッカー部横山!」
「二十一代目三橋だ!」
口々に名乗りだす。どれもみな、懐かしい名前だった。
「私たちはかつての2の3の子孫なんです。これを渡すために、あなたを探していました。受け取っていただけますか?」
そう言って差し出されたのは、劣化を防ぐため鉛の便せんに収められた一通の手紙だった。委員長の……初代委員長、田代の筆跡だ。
ぼろぼろになった手を伸ばし、その手紙を受け取る。
急な告白にびっくり仰天して、つい断ってしまったこと。落ち込んでいる田中を見て、今度は自分から告白しようと思ったけど、その勇気が出せなかったこと。卒業式の後、田中に告白された場所で待っていること。
渡せなかったラブレター。
卒業式を待たず、日本は戦火に包まれたのだ。田中は必至に生存者を探したけれど、誰も見つからなかった。
その生き残りが目の前に居て、田中の手には百五十一年前の告白の答えがある。
田中の涙腺から、不凍性の体液がとめどなく流れていった。