第81話 「ドラゴンに感謝」
歩き始めて数時間、タストの街にたどり着いた。時刻は9時過ぎ、道中はもはや灯りが一切見えなかったが、街はうすぼんやりと灯りを放っているので何とか迷うことなくここまで来れた。
俺は急ぎ足でソウラの家へと向かう。その道中、ある異変に気が付いた。
街の住民の俺に向ける視線が、異様なものになっている。
俺への嫌悪感もすさまじいものなのかと思ったが、どうも違うようだ。嫌悪感と言うよりも、その目には驚愕が含まれている。
その視線を不快に思いながらも、俺はまっすぐにソウラの家へと向かう。
相変わらず大きすぎるその家の前に着き、俺は一つ深呼吸をする。
ナナ達に何を言われても冷静に対処しよう。
そう決心してドアを開ける。
「おかえりなさい。マサトさん」
ドアを開けると目の前に笑顔のナナが立っており、その横にはソウラが仁王立ちしている。
「こんな時間まで何をしていたのだ?」
威圧感のある声でそう問うソウラ。
押しつぶされそうな謎の圧迫感がある。
「ちょ、ちょっと散歩にな。気分転換に――」
「告白はうまくいきましたか?」
瞬間、心臓がドキッと跳ね上がった。
何もかもばれている。
そう思った時、自分でも驚くほどに体温が低くなっているのを感じた。
それなのに汗が頬を通過する。
これが冷や汗というものか。
「……ちょっとアカネの様子でも見に」
「アカネちゃんならもう寝ましたよ」
俺の行く手を阻むナナ。その目には確固たる意志が見て取れる。
真実を話すまでここは通さないという固く決意された意思が。
なぜこうなった。俺はこうならないようにシーラに頼んだというのに。
と、ナナ達にどう説明するかで悩んでいるところ、奥の方から2人の人物がやってきた。
シーラとアナだ。
「おかえりなさいマサト君。ごめんなさいね。頑張ったんだけどバレちゃった」
見え見えの嘘だ。白々しいにもほどがある。
この女、俺に言うことを聞かせるよりもこの状況を作った方が面白いと思いやがった。
「あ、あの、こんばんは」
シーラの隣に立つアナが、おずおずとあいさつする。
「何で君までここにいるんだ?」
「あの、このおばさんに――」
「お姉さんよ」
シーラは口調は穏やかながらも、凄まじい威圧感で訂正する。
それに対してアナは怯えながら言い直す。
「お、お姉さんに言われて、面白いことがあるから来てって、結構強引に……」
「シ、シーラお前……」
俺は呆れてものが言えなかった。
たかが俺一人を弄ぶために、アナまで付き合わせるなんて。
「こんなおばさんの言うことなんか聞かなくていい。もう夜も遅いんだから早く仲間のところに帰りな」
俺は、精一杯の気づかいのつもりで言った。
この子はこの街の冒険者から追われていた俺を心配して追いかけてくれた子だ。
こんなバカみたいなことには付き合わせたくないと、100%の善意で言ってあげたのだ。
だがそれは逆効果だったのか、
「私、もう帰るところがないから」
悲しげな表情で、聞こえるか聞こえないぐらいの小さな声でアナは言う。
そして徐々にアナの目が涙で滲んでいき、それは頬を伝ってしたたり落ちた。
俺はこの状況に慌てふためいた。
女の子を泣かせてしまった。その事実がどうしようもなく俺を慌てさせる。
すると、全く持って予想外の物が飛び出てきた。
「ピキャア!」
俺の真後ろからマキナの家にいたあのドラゴンが姿を現した。
「なっ、お前何でこんなところに!?」
異常事態の連続で俺の頭は冷静に機能しない。
そんな混乱している俺をよそに、ドラゴンはアナに近づいた。
ナナはモンスターの出現に驚き、咄嗟にアナをドラゴンから守ろうと身を動かす。
「ア、アナちゃん、こっちへ……!」
だがそれよりも先に、ドラゴンがアナに近づくのが速かった。
アナは目の前に突如として現れたドラゴンを目を丸くして見やるが、思考が追い付かないのか、一切動きを見せない。
そんなアナに対してドラゴンは、
「ピキュ」
アナの目から流れ落ちる涙をペロッと一舐めした。
そして、再度アナの涙を舐める。
「……フフッ」
アナがようやくドラゴンに対して反応を見せる。
かすかに微笑み、笑い声を漏らすという反応を。
先程涙を流していたアナであったが、もはや涙の流出は止まっている。
「ありがとうね」
アナはドラゴンに礼を言い、その頭を優しくなでた。
その光景に癒されでもしたのか、ナナとソウラもドラゴンに近づき、頭に手を伸ばす。
「よく見ると、可愛いですね」
「や、やめとけ! そいつはけっこう凶暴……」
言い終わる前にナナ達の手はドラゴンの頭に達した。
俺は慌ててナナ達の手を引っ込めさせようと思ったが、少し違和感がある。
「ピキャキャ!」
明らかにドラゴンは嬉しそうにしている。頭を撫でられて、小さな翼をはためかせ、尻尾を思い切りよく振っている。
まるで喜んでいる時の犬のように。
女の子3人に囲まれて幸せそうなドラゴンに、俺もつい可愛いなどと思って手を伸ばしてみる。
だが、
「ピキャッ!」
先程の愛嬌はどこへ行ったのか、近づく俺の手をあろうことか尻尾で叩き落とした。
俺ははたかれた左手に痛みを感じながら、同時に怒りを覚えた。
このドラゴン、マキナにしか懐かなかったのではない。女にしか懐かないのだ。
このエロドラゴンめ。
だがこれは、チャンスだ。この場にいるすべての人間はこのドラゴンに夢中になっている。
スキルを使い答えを求めれば、ここから逃げ出すことも可能なはずだ。
俺は手を口で覆い、誰にも聞こえないぐらいの小さな声でスキルを発動しようとする。
「俺は求める。この場からの逃避――」
「口に手を当てて、何をしているんですか?」
言い終わる前に、先程までドラゴンに夢中だったナナが俺の手をどけて、笑顔で聞いてきた。
この笑顔が、堪らないほどに恐ろしい。
「い、いや。ちょっとくしゃみが出そうになって、手を押さえていただけで……」
「逃がしませんよ」
怖えええええええええ!
心臓が破裂しそうなほどに鼓動を早める。
マキナに会いに行った時以上の高鳴りを感じる。
「に、逃げないから! だから落ち着こう!」
「何言っているんですか? 私たちは落ち着いていますよ。マサトさんこそ落ち着いたら、どうですか?」
「……分かった。まずは部屋に行こう。そこでゆっくりと話すから」
「それじゃあ行きましょうか。ソウラさん、そっち持っててください」
「了解」
ソウラとナナは俺の両となりに構え、腕をがっちりと掴んで拘束した。
捕らわれの宇宙人のような姿になった俺は、全ての覚悟を決める。
そうさ、やましいことは何もしていない。純粋な好意をマキナに伝えようとしただけなのだ。
動揺することなど何もないんだ。
部屋について俺は、全てを包み隠さずに話した。
マキナに告白しに行ったものの、スキルを行使しても会えなかったこと。
何とも情けない話であるので出来れば伏せたかったのだが、アナがいる以上、真実を述べる以外に俺に道はない。
ナナとソウラは神妙な面持ちで俺の話を聞いていた。
その表情を崩すことなく、最初から最後までずっとその表情で俺の話を聞くものだから、若干の恐怖を覚えた。
だが、告白が成功に至らなかったという旨の話をしたら、2人の表情は一気に緩んだ。
まだ告白できていないのだとしても、まだ自分にはチャンスがあるのだと分かったことに、安堵しているのだろう。
はあ、告白しに行った状況を細かく説明させるって、どんな羞恥攻めだよ。
しかも3人の目を盗んで行動したのに、成功どころか失敗もしていない情けない結果。仕方ないことだとしても、話したくはなかった。
「まあ、その女の人のことについては分かりました。それとは別に、この子はどうしたんですか?」
ナナが小さなドラゴンを膝の上に乗せて、頭を撫でながら聞いてくる。
ドラゴンはナナにされるがままの状態にあるのだが、何とも心地よさそうにしている。
「そいつはマキナの家にいたドラゴンだ。マキナはいろんなモンスターの世話をしててな、そいつはそのうちの一体だ」
「へぇ。確かに小型モンスターは可愛いですから、世話したくなる気持ちも少しは分かりますね」
「おいナナ。私にも触らせてくれ」
ソウラもドラゴンの小さな体に手を伸ばす。
これだけ見ていれば可愛いだろうなと、俺も思う。だが、マキナの家にいたモンスターはほとんどがラスボス並みにでかい大型モンスター。可愛いというよりカッコイイ系だったな。
まあそこは言わなくてもいいだろう。
「というわけでシーラ、ペットを飼おうか」
「別にいいわよ」
「ずいぶんとあっさりだな」
何かしらの条件を付けてくるものだと思っていたのだが、何とも簡単に許してくれた。
シーラもたまにはいいところがあるな。
と、思っていたら、シーラもドラゴンに触りたそうに手を伸ばそうとしている。だが、人前で愛でることが恥ずかしいと思う人種なのか、伸ばそうとする手を引っ込める。そんな動作を何度も繰り返している。
意外に可愛い所もあるもんだ。
「んじゃ、俺はもう風呂入って寝る。何時間も歩き続けてクタクタなんだ」
今日だけで街を往復なんて、俺にとっては重労働だった。
しかも目当ての人はいなく、報われない重労働。疲れが何倍にも増幅されているのが分かる。
もう寝よう。幸いにもナナ達はドラゴンに夢中で、俺のことがある程度頭から離れている。
あのドラゴンが場を和ませてくれたことは間違いない。
ひとまずのところは感謝しておこう。




