第78話 「うれし涙」
時間が止まる。
現れた幻影は、今俺が持っているナイフではなく、ボロボロになり、人を斬ることなどできなくなった刀を、鞘に収めた状態で持っている。
そして走り出し、その刀を振るう。刀を振るう機会は思ったよりも少ない。攻撃よりも回避に専念しているようだ。
だが、回避に専念しているはずの幻影は着々と前進している。あれで大丈夫なのだろうか。
そんな心配をしているも、その幻影は時間にして10分ほど暴れたのち、消えて行った。
殺さずの殲滅ならばあれが正解なのだろうと、俺は自身のスキルを信じることにした。
「10分か、長いな。だけど、3時間に比べたらどうってことはないな」
俺は手に持っていたナイフをカードにしまい、ボロボロの刀を取り出す。
もう、武器として使うことはないと思っていた刀。マキナとの思い出を蘇らせるためだけに取っていた、観賞用と言える代物を再び戦闘で使うなど思ってもみなかった。
思い出す。モンスターに知能で負けた、屈辱の戦闘を。
もうあんなことには絶対にならない。油断など、一瞬もしない。
全てが終わるその時まで、俺は集中を切らさない。
「覚悟しろやてめえらああああああああ!」
幻影と同じように、冒険者の大群へと走っていく。
「何だよ……こいつのこの強さ……!」
後方にいる冒険者が不意に漏らした。その冒険者の目に映る光景は、にわかにも信じがたいものだった。
後ろからの不意打ちであろうと、多方向からの防御不可能のはずの攻撃であろうと、余裕でかわしている。
しかも、ただ躱しているのではない。避けた攻撃が別の冒険者に当たるように、狙っているのだ。
総勢100を超える冒険者は今、半分以上が地に付している。その原因は、10名ほどが俺の攻撃による気絶。残りの40人強は仲間の拳に、鉄の棒に、頭を打ち付けられたことによるものだ。
最小限の動きで、たった一人の男が100を超える冒険者を負かしている。いや、弄んでいるのだ。
「か、勝てるわけがない」
圧倒的な数により得ていた自信を粉砕する力が今の俺にはある。まるで無双系のゲームをやっているかのように、次々に敵を打ち倒す。
だが、ゲームと違ってまるで爽快感がない。今俺の中に感情、それは不快と安堵だ。
あれほど殺してやりたいと思っていたのに、刀の鞘で打ち付けるたびに、不快感が増していく。
打ち付けた時に感じる肉の柔らかな感触が、堪らないほどに気持ち悪い。モンスターを殺すのとはわけが違う。もし殺していれば、ナナの言う通り俺は底知れないほど後悔していただろう。
本当に、殺さなくてよかった。
「あと半分ほどか。まあ、時間の問題だ」
人数が減るにつれて相打ちの数は減っていくが、そうなっても俺自身の手で倒すだけだ。
ここにいる冒険者と俺の実力差は、単純なステータスなら俺の負けだろうが、圧倒的な差があるわけでもない。
戦い方次第で十分覆せるもののはずだ。
それを、今の俺は証明している。スキルの力で。
「く……くそおおお!」
冒険者は破れかぶれになっているのか、めちゃくちゃに武器を振り回している。
俺のような素人相手なら。むしろこんなめちゃくちゃな攻撃の方がやりにくいだろうな。
まともに見てさえいれば。
だが今の俺は、敵の攻撃を景色の一部としてしか捉えていない。
幻影が示した通りに動きさえすれば、負けることはないのだから。
「これで、最後だ!」
両手で持っていた刀を思いっきり振り下ろし、残った一人の脳天にそれが直撃する。
これで、この場にいるすべての冒険者は倒した。
周りをゆっくりと見まわすと、弱弱しい声で冒険者がうめき声のような声を出す。
「う……うぅ……」
その冒険者を見てみると、頭から血を出し、今にも死んでしまいそうな感じになっている。
だがスキルで殺さずを求めたのだ。死ぬことはあるまい。
「た、頼む……殺さないで……」
男は地面に顔をつけながら、懇願する。
その光景はあまりにも痛々しく、何とも言えない複雑な感情を俺に抱かせた。
「ナナ、回復してやってくれ」
「あ、はい」
ナナは俺に言われて出てきて、地に伏せている冒険者全員に回復魔法をかける。
冒険者たちの傷は見る見るうちに治っていき、ものの1分ほどで全員が立ち上がった状態になる。
だが、1人の人間に一方的に負けたゆえか、その冒険者たちは目に見えて戦意を喪失している。
むしろ、これから自分たちは何をされるのかと、恐怖しているように見える。
そんな冒険者たちに対し、俺は正面を向き両膝を地面に付ける。そして左手を地面に置き、頭を下げる。
「俺はモンスター達に何もしていない。頼む、信じてくれ」
回復して全快になった冒険者にとって、今の俺を殺すことなど容易なことだ。
視線は下を向き、スキルを使ったとしてもおそらくは幻影を見ることも出来ない。
せっかく手に入れた力を、俺は危険な状況である今この瞬間、放棄した。
「お前らにとって今の俺を信じるってことがどれだけ大変なことか、分かってるつもりだ。それでも、俺は何も、やってない」
あれほど憎かった。一人残らず、この場にいるすべての人間たちを、俺のこの手で血祭りにあげてやるつもりですらあった。
だけど、傷つけたいわけじゃなかった。認められたいわけでもなかった
俺はただ、否定されたくなかっただけなんだ。
「顔を上げろ」
上の方から、ぶっきらぼうな声が聞こえた。
ナナに比べれば、慈愛の欠片もない野太い声。普段から酒を飲んでいるゆえか、ガラガラで汚いその声に従い、俺は顔を上げる。
そこには、先ほどの敵意まるだしの顔でも、俺に倒されて恐怖に引きつる顔でもなく、何とも複雑そうな表情を浮かべる冒険者たちがいる。
「その……なんていうかよ。悪かったよ」
男は謝罪した。今までの殺気さえ含まれていた表情とは雲泥の差。微笑を浮かべ、頬を人差し指でポリポリと掻きながら。
「信じて、くれるのか?」
「そりゃあ、こうまでされちゃあな。お前らもそれでいいだろ?」
「ああ。もちろんだ」
周囲を見回してみると、100を超える冒険者たちはみな、俺への敵意はなくなっているように見えた。
あの否定的な目はもう、俺に向けられていない。それだけで胸が軽くなっていくのが分かる。
「他の奴らには俺から説明しておく。お前らはそれまでどこかに身を隠してな」
「あ、ああ……ありがとう」
この場に俺を否定するものはいない。
あくまでもこの場だけだ。きっと、世界では俺を、マサトを否定する人間は数え切れないくらいいることは分かってる。
だけど、俺の胸の内が喜びで満たされていくのが分かる。
感極まり、思わず震えてしまうほど……
「お、おい、何も泣くこと……」
「えっ?」
言われて初めて気づいた。俺の頬を伝い流れる液体に。全くの意識の外。涙を流しているなど微塵も思わなかった。
「あ、あれ? なんでだ?」
俺は慌てて涙をぬぐう。だが、あふれ出る涙は止まることなく、なおも流れ続ける。
こんなにも大量にあふれ出ている。おそらくは先程の涙よりも大量の涙を。
それなのに、どうして……どうしてこんなにも嬉しいんだろう。
先程の涙とはその性質が違う。苦しくて流した涙とは違う。初めて流す、うれし涙。
「お父さん、だいじょうぶ?」
涙を流す俺に、アカネは俺の正面に立ち心配する。
俺はそんなアカネの頭の上に手を置き、涙を流しながら。
「大丈夫だよ。悲しいわけじゃない」
そう言うと、アカネはまだ少し心配そうな顔をするものの、納得してくれたように見える。
「それじゃ、俺たちは他の冒険者に見つからないように、ソウラの家にでも戻ろう。あそこなら平気だろ」
俺はそそくさと逃げるように、その場を後にした。
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