第71話 「本当の狙い」
仕事を始めてから1カ月がたった。
今ではこの仕事を完全にものにし、6秒で一本、1分間で10本、つまり1時間で60G稼いでいるということだ。
これを9時から12時、2時から6時までの合計7時間やることにより、1日に約420Gも稼げるということだ。
1カ月働いたことにより、すでに手持ち1万を超えている。
家賃はシーラの家に住んでいるから0、金はクエストをしていたころよりも順調に貯まっている。
これほどまでに順調で良いのだろうかと、疑問に思うほどだ。
「それで、どうして俺を住まわせてるんだ」
今はシーラとの日課、アカネが寝静まった10時以降の、チェスの時間だ。
これは1か月間続く習慣……にしては真剣勝負だ。
今のところ15勝15敗、イーブンだ。
「おしゃべりしてる余裕なんてあるの?」
「集中するためだよ」
シーラは余計なことを考えて勝てる相手じゃない。
くっちゃべるよりも不安を解消する方が勝つためだ。
「最初に言ったじゃない。善意だって」
「……もういいよ」
シーラがまともに取り合わないことは分かった。このことは話すだけ無駄だ。
勝負に集中だ。
「はい、チェックメイト」
「あっ!?」
気を抜いているうちに、最悪の一手を打ってしまっていた。
本来ならあと1時間以上はかかる勝負も、今日は早すぎる終わりを迎えた。
「くそっ! 明日はこうは行かねえぞ!」
俺は負け惜しみを言いながらシーラの部屋を出て自分に割り当てられた部屋へと向かう。
その行動を見ながら、シーラは笑みを浮かべながらつぶやく。
「そろそろ、頃合いかしらね」
「さーて、今日も元気に薪割りだ」
朝の9時、朝食を取り終えた俺は早速仕事に取り掛かる。
そして、俺のそばにいるためにアカネがいて、怪我した時のためにナナがいる。
ソウラはいつもの日課として、トレーニング中だ。
レベルの割に強いのは、日々の日課の賜物なのだということが、一緒に住んでよく分かった。
「それにしても、不安なぐらい何もないな」
シーラが何か企んでいると推測していたのだが、何も起こらない。
それどころかこれまでにないほど順調だ。
そう、順調なはずなんだ。
なのに、なぜか不安がぬぐえない。
「ナナ、シーラかソウラに、何か変わったことはあったか?」
「いえ、特に何も。お二人はいつも通りでした」
ソウラはともかく、シーラのいつもどおりは信用できない。あの女はいつも何か企んでいるような顔をしているから。
あの余裕の笑みは、俺と勝負している時ですら絶えることはない。
あるとすれば、それはゴーマに勝負を邪魔されたときだ。そしてあと一回、チェスの時に見せる、勝利を確信した時に見せる顔だ。これはいつもと大差ないように見えるが、若干だが表情が変わる。
不気味だ。
「すいませーん」
リズムよく薪を割っていると、玄関の方から男の声が聞こえた。
そちらの方を見てみると、中々に顔の良い、人が良さそうな好青年が立っていた。
年は俺よりも少し上に見える、ソウラと同じぐらいだ。
「いらっしゃい、アルト君」
アルトと呼ばれた青年はシーラに招かれ、家の中へと入っていった。
1カ月この家にいたが、来客とは珍しい。それも青年とは。
身なりからそれなりに高い身分の青年であることは予想できるが、この家にいったい何の用があるのか。
一瞬、ソウラとの結婚とも考えたが、その可能性はないはずだ。シーラとの誓約で、ソウラには何も強制できなくなっている。
だとすれば、きっと俺には関係のないことだ。
俺は気にせず仕事を続ける。
そろそろ3時間、いったん休憩の時間だ。
そう言えば、あのアルトとかいう奴は家から出てこなかったな。
これほどまで長い時間いるとは。
もしかしたらシーラの仕事相手とかかもしれない。
もしくはゴーマの。
なら、俺には10割関係のないことだ。
「さーて、今日の昼飯は何かな」
労働の後のメシはとにかくうまい。これはこの1カ月で学んだことだ。
俺は期待しながら食卓に着くが、そこには不機嫌なソウラが座っている。
「おいソウラ、どうした?」
「ん? マサトか」
ソウラの返事は元気がなく、とても弱っている感じだ。
ここまで弱っているソウラを見るのは初めてかもしれない。
「実はな、母様に結婚を迫られているのだ」
「はあ? それは不可能のはずだろ」
「それが、思わぬ抜け道があってな」
「抜け道?」
シーラに科した条件は、確かソウラに何も強制させないこと。結婚だろうが何だろうがさせることは不可能のはずだ。
実際、この反応を見るに今日まで結婚を迫られたことなんてなかったはずだ。
…………いや待て、あの時はこれがいい誓約だと考えたが、これは穴だらけの誓約だったんじゃないか?
例えば、シーラが結婚させたい相手にソウラを口説くように誘導しさえすれば、誓約に抵触しない。
「俺が、ミスったのか?」
「ようやく気付いたのね」
俺の言葉に呼応するように、シーラが食卓にやってきた。
「あなたは私とかわせる誓約は一つだけなのに得られる恩恵を欲張った。だから、細かな抜け道が数多くできたのよ」
シーラはいつも通りの笑みを浮かべながらそう言う。
確かに、俺は得られる恩恵を欲張った。
だが、それはソウラを自由にするためには仕方なかったこと…………いや、言いわけだ。
あの時の俺は思考が定まっていなかった。
ライとの激戦の後ゆえに、少々冷静さを欠いていた。
もっと深く、確実な方法を考えるべきだったのだ。
「それで、この家に来たアルトって男に迫られていたのか」
「そういうこと」
くそっ、もう終わったと思っていたのに。
悔しい以前に、ソウラに申し訳ない。
今まで何度ソウラを安心させて、その安心を壊してきたか。
俺の詰めの甘さが原因で、ソウラに期待させて、本当に申し訳ない。
だが申し訳ないと思いつつも、一つ疑問が残る。
「何で、このタイミングなんだ?」
俺とシーラの交わした誓約に抜け道があるのなら、なぜシーラはそれをもっと早く使わなかったのか。
タイミングを見計らっていたのだとしたら、2カ月ほど前、俺がこの街からいなくなるという、絶好のタイミングがあったはずだ。
なのになぜ、シーラはこのタイミングでソウラを結婚させようとしたのか。そして、何故俺たちをこの家に住まわせているのか。
「フフッ、あなたの考えてること、手に取るようにわかるわ」
くっ、何もかも見透かされているみたいだ。
実際、全てシーラの思惑通りなのだろう。
俺は長い間、この女の手のひらで踊らされていただけにすぎないのだ。
「何でこのタイミングなのかはね…………ナイショ」
シーラは人差し指を自分の口に当て、笑みを絶やさずに言う。
元々美人であるゆえにこのような仕草は非常にかわいらしく見えるが、今の俺にはいら立ちしかない。
「まあ、内緒だろうが関係ない。ソウラ、この家から出るぞ。金は十分稼いだ」
手持ちはすでに1万Gを超えている。今のこの生活を手放し、別の仕事に変えて宿を取っても、十分に食っていける。
だが俺のそんな考えはシーラにはお見通しだった。
「この家から出すと思った?」
突然周囲を屈強な男たちが取り囲む。
体格だけ見たら、絶対に勝てない。
魔法をぶっ飛ばしたら勝てるだろうが、そんなことしたらこの家がつぶれる。
そうなったら必然的に俺たちも下敷きだ。
つまり、詰んでいる。
「別に悪い話じゃないわよ。アルト君は良い子だし頭もいい。女の子は10人中10人振り向くほどの好青年よ」
確かに、一目見たが中々いい男だった。しかもシーラが結婚相手に選ぶほどだ。金も相当持っているだろう。
そんな男と結婚できる。普通に考えれば何とも幸せな話だ。
「だけど、ソウラは嫌がってるだろ」
いかに当人にとっても有益な結婚だろうと、望んでいなければ意味はない。
それどころかそんなものは害悪でしかない。
結婚したところで幸せになんてなれないことは明白だ。
「ソウラも言ってやれ。こんな結婚望んでないって」
「ソウラが望んでないことなんか知ってるわよ」
その言葉は聞き捨てならなかった。
俺に子供なんていない。親の気持ちなんて真には理解できない。
だけど、仮にもアカネの親代わりをしている身ゆえに、子供の考えを度外視した今の発言だけは、許せない。
「てめえ…………それが親の言うことか! 子供の幸せを願ってやれよ!」
「この結婚はいいことよ。これでソウラは一生、何不自由なく人生を過ごせるの。幸せじゃない」
「それは不幸じゃないだけだろうが! 望んでない結婚をさせられて、幸せなわけないだろ!」
楽な人生イコール幸せではない。
充実した人生こそが幸せなのだ。
したくもない結婚をして、充実なわけがない。
「人生、時にはしたくないことをする必要があるのよ」
「それは、そうせざるを得ない時だろ! 今結婚したら、ソウラはしたいことが出来なくなるんだ! 幸せにならないだろ!」
「ソウラのしたいこと? そんなことあるの?」
「そんなことも分かんねえのか!? 親だろうが!」
シーラの発言、全てが俺をイラつかせる。
これほどまでに子供のことを理解していない親がいるのか。
結婚がソウラを不幸にしないためだということは、百歩譲ってまだ理解出来るし、ソウラに起きた事でなければ納得もしていたかもしれない。
だが、子供のしたいことすら知らないのは親としてどうなのか。
完全に把握できていないとしても、何かしらは知っているべきだろう。
それなのに、この女はソウラにしたいことがあることすらありえないといった、そんな表情をしている。
「じゃああなたは知ってるの? ソウラが何をしたいのか」
「当たり前だ! ソウラはな、冒険者をやっていたいんだよ!」
「ホントなの、ソウラ?」
「…………はい。今はモンスターがいなく、冒険者として活動できていませんが、私はまだ冒険者をやっていたいのです」
ソウラはオドオドしながらも答える。
これが、ソウラのしたいことなのだ。
冒険者としてモンスターと戦いたい。
洞窟に入って探検してみたい。
そんな、好奇心旺盛な子供の様なことが、ソウラのしたいことなのだ。
思えば、シーラにとってソウラは自分の期待に応え続けるだけの存在だったのかもしれない。
それゆえに、ソウラの本質を見ていなかった。
「そう、それが、ソウラのしたいこと」
シーラは顔をうつむかせ、誰にも表情が見えないようにしている。
その時の表情は誰も見えなかったが、笑っている。
いつも浮かべている笑み以上に、口角を釣り上げて笑っているのだ。
まるですべてが自分の考え通りに運んでいるかのように。
「なら、マサト君。この状況どうするの?」
俺はカードからナイフを取り出し、俺たちを取り囲む男に向ける。
それに多少ひるんだ様子を見せながらも、男たちはそれぞれ武器を構える。
正直、勝てる気は全くしない。
だが、
「俺はソウラのために、てめえらを倒す! 無理だろうが何だろうが、やってやる!」
「フフッ、何の根拠もない、バカな発言ね。あなたらしくない」
「ソウラのためだ。バカになれなきゃ、立ち向かえない」
正気ではとても立ち向かえない。
だから、理性を壊し、本能で行動するしかない。
この強そうな男たちに勝てるわけがないという理性を、ソウラを守りたいという本能に身を任せるしか、俺の取るべき選択肢はない。
「どっからでもかかってこいやああぁぁあ!」
俺の声に、男たちはたじろぐ。
俺の気迫に、殺気に気圧されているのだ。
刃物を持った男が怒りを持って自分たちに向けている。これ以上に怖いことはあるまい。
そのことを理解しているシーラはため息をつき、諦める。
「ハア、抑止力のためにこの人たちを呼んだのに、これじゃ死人が出るわね」
諦めたかのような言葉だが、まだシーラは余裕の笑みを浮かべている。
いやそれどころか、この顔は余裕とは違う。
チェスの時に見た、勝利を確信した時の顔だ。
若干の違いしかないが、それは確かだ。
「あなたたち、もう帰っていいわよ」
シーラは撤退を指示した。
これは、俺の勝ちのはずだ。
だがなぜ、シーラは勝ったような顔をしているのか。
分からない。
男たちは退散していくのに、俺の心の不安は尽きない。
「ソウラ、あなたの好きなようにやりなさい」
「は、母様……」
シーラは笑みを浮かべながらソウラに言う。
ソウラはその言葉に感動している様子だ。
どうなっているんだ?
全てが俺にとっていい方に動いている。
俺は勝ったのか? 負けたのか?
「と、とりあえず休憩を――」
俺はこの部屋から出て、自分の部屋へと戻ろうとした。
一度、頭を冷静な状態に戻したい。
そう思っていたのだが、次の瞬間、俺の頭はさらなる混乱を迎える。
「マサト、お前が好きだ! 結婚してくれ!」
「……………………は?」
「お前の熱い思い、私の胸に響いたぞ。そして、惚れた! こんな気持ちになったのは初めてだ!」
えっと……何を言ってるんだ?
俺に……惚れた?
ハハハ、ありえない。
こんな俺に惚れる女がいるなんて、天地がひっくり返るぐらいありえない。
そうさ、きっと聞き間違いだ。
「ソウラさん! 何言ってるんですか!?」
いまだ呆気にとられている俺に代わって、ナナがソウラに詰め寄る。
「ソウラさんが結婚しないように、マサトさんが頑張ったのに」
「私が結婚したいと思えば問題ない!」
「で、でも……」
何か、聞こえるなあ。
ソウラが俺と結婚したいって。
仕事のしすぎで疲れたのかな。
これは本格的に休まなければいけないな。
「ねえお父さん、けっこんってなに?」
アカネが、何とも今更な質問をする。
ソウラの時は気にならなかったのに、俺にそれが降りかかると気になったのか。
何ともうれしいことだが、今は少し頭が痛い。
「結婚っていうのはね、今よりとっても仲良しになるってことよ」
シーラが何とも大雑把な返答をする。
意味合い的には間違いではないが……。
「じゃあアカネもお父さんとけっこんする!」
「な、なら私だってマサトさんと結婚します!」
「ナナまで何言ってんだ!?」
ああヤバイ。冷静になれ俺。
ここで冷静にならないとやばい気がする。
「でもねアカネちゃん、結婚は12歳からじゃないと出来ないのよ」
そう、結婚には年齢規定がある。
8歳のアカネにはまだ結婚などできない。
アカネが結婚してくれると言ってくれて、感無量だが出来ない。
「ていうか12歳!? 早すぎだろ!」
日本じゃ女性は16歳から結婚できる。それなのに、この世界では12歳から結婚できるのか。
文化の違いがあるとはいえ、いくらなんでも早すぎだ。
ああヤバイ。頭の混乱が収まらない。
「そっか、じゃあお父さん、いつかけっこんしてくれる?」
「あ、ああ、アカネの気が変わらなかったらな」
「うん!」
さあ、この話は終わりだ。
子供が親に将来お父さんのお嫁さんになると言う、何とも微笑ましい話であった。
部屋に戻って休もうかね。
「マサト、どこへ行く? 返事を聞かせろ」
部屋を出ようとした俺の肩を掴み、ソウラが問う。
「そうですマサトさん、どっちと結婚するんですか!」
ナナさん!?
なんか話がおかしな方向へ行ってませんかね!?
確かソウラが俺に惚れたなんだといった話であって、どっちと結婚するかって話じゃなかったはずだ。
「さあ!」
「どっちと結婚するんですか!」
「う……ぅぅ……」
2人のあまりの迫力に俺は思わずたじろぐ。
というか、どちらかを選ぶことは確定なのか?
俺の意思は完全に無視か?
そもそも俺には好きな人が…………。
そうだよ、そう言えばいいんだ。
「俺には好きな女がいる。だから、2人と結婚は無理だ」
言った。言ったぞ!
さあ、2人の反応は……。
「誰ですかそれは! 聞いてませんよ!」
「どこのどいつだ! 会わせろ!」
少し、予想外の反応だ。
驚く反応をするとは思っていたが、多少呆然とすると思っていた。
それなのに、間髪入れずに問い詰めてくるとは。
「一人でランクアップしに行ったとき、助けてくれた子がいたんだ。その子のことが、好きなんだ」
好きとは言わなかったが、すでに振られたようなものだ。だが俺は未だにマキナのことが忘れられない。
好きなのだ。
だから、誰とも付き合うつもりもない。
「じゃあ、その女の人はカンドの街にいるんですね!? すぐに行きましょう!」
「行ってどうするんだよ?」
「無論、マサトのことをどう思っているのか聞き、好きなら諦め、嫌いならマサトと結婚するだけだ!」
「やめろ! マジでやめろ!」
好きか嫌いか、そんな2択を迫ってもし嫌いと言われたら、俺は正気を保っている自信がない。
以前、振られたのはまだ好きだということを言ってなかったから、まだ耐えられた。
だがもしも、気持ちをすべて伝えた上で嫌いだと言われたら、どうしようもない。
いずれ告白しに行くつもりではあったが、こんな、急遽いきなり告白しに行って振られたら絶対に泣き崩れる。
間違いない。
「ひとまず落ち着け。俺は、お前らと結婚するつもりはない。お前たちのことは好きだが、それは仲間としてだ。異性としてどうかと言われたら、正直考えたこともないからわからん」
「なら今考えろ!」
「無茶言うな!」
どうしようか、この状況。
何か穏便に済ます方法はないだろうか。
ナナもソウラも納得する、そんな方法が……。
そうだ!
「シーラは良いのか? 俺がソウラと結婚して」
俺みたいな貧乏人がソウラと釣り合うわけがないと思うのが普通だ。
金持ちと結婚させたがっていたシーラはこんな結婚認めるわけが……。
「別に構わないわ。それに……」
シーラは俺の耳元に口を近づけ、つぶやく。
「これが狙いだったんだから」
俺に体に電撃が走った気がした。
今のこの状況が……狙いだった?
つまり、この家に俺を住まわせた本当の狙いが、ソウラを俺に惚れさせることだった、ということか。
いやちょっと待て。そんなことして一体こいつに何のメリットが。
「マサトさん、どうするんですか!」
「マサト、どうするのだ!」
2人は俺の気も知らずに詰め寄ってくる。
この状況をいったん整理したい。
ソウラはさっきのことで俺に惚れて、ナナはよく分からないが俺と結婚すると言い出して、実はこの状況がシーラの狙い通りで……。
ヤバイ、頭がボーっとしてきた。
なんか、体の力が抜けて…………。
「マサトさん!?」
「マサト!?」
「お父さん!?」
あれ? 3人が俺に駆け寄ってくる。
それに、どうして俺は3人を見上げているんだ?
どうしてだろう。
目の前が、暗くなって…………。
俺は気を失った。




