第69話 「最大の屈辱」
これで住居の問題は解決したと言ってもいい。それだけでなく、今後の食費やらなんやらも、この家で賄ってくれるらしく、生活の全てにおいて心配することなどなくなった。
だが、いつまでもこの家にいるわけにもいかない。
シーラには何か思惑がある。それは確定だと思っていい。その思惑があまりメリットのないことだということは、あくまでも俺個人の推測に過ぎない。
もしかしたら、非常に厄介なことなのかもしれない。
だから、金を稼いでなるべく早い時期にこの家からオサラバしなくてはならない。
「というわけで、仕事をくれ。片腕で出来るやつ」
俺はギルドまで赴き、仕事の紹介を頼んだ。
条件としては、第一に片腕でもできる仕事。
俺の利き腕は動かない。ゆえに力仕事は無理だし、事務仕事も無理だ。
ただ、自分で片腕で出来る仕事でと頼んでみたものの、そんな仕事があるか想像がつかない。
そんなお手軽な仕事がこの世に存在するのだろうか。
「片腕でですか、少々お待ちください」
受付の人は手元にあるたくさんの書類を手に取り、困り顔で物色している。
やはり、片腕出来る都合の良い仕事などそうないのだろう。
だが、数秒後に受付の人は表情を明るくさせ、一枚の書類を俺に見せる。
「この仕事などはどうでしょうか?」
そう言って見せられた書類に書かれていた仕事内容は、郵便配達だ。
手紙を指定の場所に届ける、人と関わる必要のない、ニートにとっては非常に都合の良い仕事だ。
給料は手紙一枚届けるごとに3G、街の範囲を考えると少なくとも1日で90G以上は稼げるはずだ。
かなり割のいい仕事に見えたので、俺は即決でこの仕事を引き受けることに決めた。
「それでは早速ですが、今からこの場所に行ってください」
受付の人に地図を渡され、指定された場所へとすぐに向かった。おそらくこの世界の郵便局だろう。
初めての仕事に不安を抱えながらも、俺の、ナナ達の今後の生活費のためと考えると、やる気は沸々と沸いてくる。
この仕事内容に今の俺の心意気さえ持ち続ければやり続けられるはずだ。
「ここか?」
指定された場所には、俺の知る郵便局とは似ても似つかない、派手な建装が施されていた施設がある。
ただの郵便局にこれほどまでの装いが必要なのか、いやありえない。
疑問に思いながらも、俺は派手に飾られたドアに手を当て、開ける。
煌びやかに飾られたドアには金がちりばめられており、少しだけ開けるのに手間取ってしまうほどに重い。
「お、おじゃましまーす」
若干だが恐れを帯びた震え声であいさつすると、中にいた人のよさそうな男性が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
その男性は、フォーマルな服に身を包み、指には宝石の装飾が施されている指輪をつけている。
ここは、本当に郵便局だろうか。
今のやり取りでこの男性は店員なのだろうということが分かるが、郵便局の店員にしては装いが異質だ。
仕事に対する基本的知識も経験もない俺だが、それは分かる。
「ギルドに紹介されてきたんだけど……」
そう言うと、男性は笑顔のまま俺に近づき、観察するように俺の体をじっくりと見まわす。
品定めされているような感覚だ。
「ほう、ここに仕事に来るとは、相当お金にお困りの様ですね」
男性の言葉は、郵便局員としてはおかしい。
ここの仕事は手紙を届けるだけのはずだ。それなのに、ここがお金を稼ぐ最後の手段のような口ぶりだ。
俺は多少の恐れを感じながらも尋ねる。
「ここは、手紙を届ける仕事、ですよね?」
尋ねてみたものの、俺はこの男性に違うと言ってもらいたかった。
たとえ手紙を届ける仕事だとしても、ここで働くのは怖い。
だが、受付の人に紹介された手前、ここが本当に俺に紹介された職場だとすれば断りづらい。
「はい、もちろんです」
男性の返答は俺の予想を裏切り、紹介された通りの仕事内容だった。
「それでは早速仕事をしてもらいましょうか」
男性は店の奥へと入っていき、数分したのちに、紙の束を持ってきた。
ざっと数えただけでも50はある。
「では、こちらの手紙を届けてください。地図はこちらです。手紙を届けたら、この機械を使ってお金を受け取ってください」
俺は手紙の入った封筒と地図、それと見た事もない機械を手渡され、訳も分からないうちに店の外に出された。
数分、呆然と立ちすくんでいたが、頭を左右に振り覚醒させる。
「そうさ、ただの郵便配達だ。やばいことなんて一つもあるわけない」
自分に言い聞かせるようにそう言い、俺は手元の封筒に書かれている場所を確認する。
全部の場所をざっと確認したところ、ここから一番近いところまで10分ほどで到着する距離だ。
俺は自分の心に芽生えている恐怖心を無視しつつ、地図に従い指定された場所へと赴く。
心の中にある焦燥感がそうさせるのか、小走りになっている。
普通に歩けば十分ほどのところなのに、わずか5分ほどで着いてしまった。
「見た目は、普通だな」
着いた家はごく平凡な一般的な家。あの郵便局の様に無駄な装飾は施されていない。
「俺の杞憂だったな」
安心しつつ、ポストを探す。
だが家にはポストは設置されていなく、手紙を入れるところがない。
俺はしょうがなく、家のドアをノックして中の人を呼んだ。
「すいません。お届け物です」
元引きこもりの弊害か、その声は中の人を呼ぶにはいささか小さすぎる声だった。
さすがにこれでは気付かないかと、意を決して大きな声で呼ぼうとしたが、その時ドアが開いた。
「来たか」
中から出てきたのは怪しい雰囲気を漂わせた中年。
頬はこけ、体の肉も全然ない。引きこもりだった俺よりも貧弱そうな体だ。
そして何より注目したのが、その男の目だ。
男の目は、この世のすべてを諦めた、現実を見ていない虚ろな目。生気の宿っていないその目は、本当に俺のことを認識できているのかすら疑問に思うほどだ。
「はやく……早く寄越せ!」
「は、はい!」
俺は急いで手紙の入った封筒を取り出し、男に渡そうとする。
その時気付いた。
この手紙の入った封筒の中に、手紙ではない何かも入っている。
触った感触としては、少しざらついている。ザラザラとした、細かいものが入っている。
「そ、それだ! 早く寄越せ!」
男は封筒を見ると、目を見開き、腕を震わせながら手を差し出す。
その反応に俺は驚き、すぐに封筒を渡した。
「ははっ、これだ! ほら、報酬だ!」
男はそういうと、カードを出した。
俺は反射的に先程受け取った機械を男の前に出した。
その時、男が機械に向かって言った金額に衝撃を覚えた。
「5000G!」
それは、この街で一番高い宿屋に5日間も泊まれるほどの額だ。安い宿屋なら1年以上泊まれる。
それに、この世界と日本の金銭価値について、俺の見解だがある程度の比較はできているつもりだ。
冒険者として武器を調達するときには5000Gはある程度ありえる額だが、普通に生活する分には5000Gは多すぎる。日本では10万の価値はあると俺は考えている。
そんな金額を、男は手紙を届けた報酬として払ったのだ。
ありえない。
俺は唖然として、男がドアを不必要ほど力強く閉めたのにも気づかずに、その場で固まった。
「…………ちょっと失礼」
俺はようやく覚醒した頭で熟考したのち、手紙を開いた。
やってはいけないことだとは重々承知している。
だが、手紙を勝手に開くこと以上に、この手紙を届けることの方がいけないことだと直感したから、このような行為に及んだ。
俺のその直感は当たってしまった。
「こ、これは……!」
開いた封筒の中に入っていたもの、それは一枚の紙と白い粉だ。
砂糖や塩ではない。
実物を見た事はないが、これは確実だ。
封筒の中に入っていた白い粉、それは麻薬だ。
そう考えると、さっきの男の反応も、金額にも納得がいく。
つまり、これは郵便配達の皮を被った、
「運び屋じゃねえか!」
俺は持っていたすべての封筒を地面にたたきつけ、その場を後にしようとした。だが、物が物だけに怖くなったので、地面にたたきつけた封筒を拾い、先程の郵便局の皮を被った店の前に手紙と機械を置いて、再びギルドへと向かった。
「おいあんた! 仕事の内容知っていたのか!?」
俺の激しい剣幕に、受付の人は怯えながらも尋ねる。
「な、何か問題があったでしょうか?」
「問題もクソも、運び屋じゃねえかあんなの!」
「は、運び屋……ですか?」
運び屋という単語に、受付の人は疑問符を浮かべている。
この反応から察するに、受付の人も詳しい内容は分かっていなかったように見える。
「あの、何かあったのか、お聞かせ願えますか?」
「ああ、あんたの紹介した場所に行ったらな……」
俺は全てをありのまま話した。
郵便物の中に、手紙ではないもの、おそらくは麻薬の類であろう白い粉も封入されていたこと。
一つの郵便に客から5000Gもの大金をせしめていたこと。
全てを話した。
「申し訳ございません! こちらのほうには郵便ということしか言っていなかったので!」
受付の人は額が机にまで達するのではないかと思うほどに、深々と頭を下げて謝罪する。
その様を見ると、これ以上の追及をするのが可愛そうに思えてきた。
俺は深いため息をつきつつも、受付の人に別の仕事がないかを尋ねる。
それに対して受付の人は、必死の面持ちで書類をあさり始める。
俺はそれを静かに、無表情で待つ。
そして数分後、受付の人は一枚の書類を俺に見せる
「こちらはどうでしょうか?」
俺の様子を窺うように、ゆっくりと見上げる受付の人。
俺は書類を手に取り、仕事内容を確認する。
「何々、薪割り、10本で1G」
この世界では薪を使っているのか。知らなかった事実だ。
だが、今までの生活から考えるに、科学技術の発達していないこの世界ではさして驚くことでもない。
この薪割りを仕事として扱うのも頷ける。
だが、
「片腕で出来るか?」
「すいません。他の仕事は片腕では不可能だと思いましたので。こちらなら、まだ可能性はあるかと」
受付の言う通り、片腕で出来る仕事などほとんど存在しないだろう。しかも俺の場合、利き腕が使えないのだ。贅沢は言えない。
かといって、薪割りですら出来るかどうか疑わしい。
それでも、俺にはそもそも選択肢などあるかどうかすら怪しいほどなのだ。
とりあえずは、与えられた仕事をやってみるほかに道はない。
「これを受ける。場所はどこだ?」
「シーラ様のお宅です」
「……マジで?」
「はい、昨日シーラ様が直接ギルドに依頼してきたので、間違いありません」
よりにもよって、シーラが依頼主とは。
出来ることなら御免被りたいが、この際仕方がない。
俺は書類片手にシーラのいる家へと向かう。
「いらっしゃぁい」
シーラの家に行くと、ニヤニヤ顔のシーラが玄関の前で俺のことを出迎えた。
この顔、どうやら俺がここに来ることを見越していたようだ。
「じゃあ早速だけど、お庭で薪を割ってきて」
「分かったよ」
俺は渋々シーラの言う通り、庭に出て言われた仕事をこなそうとした。
だがその時、
「あらぁ、聞き間違いかしら? ウチの従業員がいる方から、タメ口が聞こえた気がしたんだけどぉ」
「ぐっ……!」
シーラはより一層、強い笑みを浮かべながら、俺の方を横目で見る。
この女、おそらくは俺がこなせる可能性のある薪割りという仕事を、わざわざギルドに紹介させるように誘導したのだ。
俺のことを顎で使い、笑いものにしようと。
「それで、あなたはさっきなんて言ったのかしら?」
「……分かりました。仕事をしてきます」
「うーん……なんで私よりも頭が高いのかしら?」
「くぅぅぅ……!」
俺は怒りで肩を震わせながら、シーラに向かって頭を下げる。
この上ない屈辱だ。
嫌いな相手に頭を下げるなどと。
「それと、お仕事中、私のことはご主人様と言うようにね。返事は?」
「……はい、ご主人……様……!」
「フフフッ、それじゃ、お仕事してきてね」
俺は庭に向かい、仕事に向かう。
こうなった以上、出来るだけたくさんの薪を割り、結構な額を稼いでやる。
そう意気込んで、仕事を開始した。




