第60話 「理想」
「ここは……?」
目を開けると、俺は青白い空間にいた。
俺はゆらゆらとその場で漂っている。
「俺は……何していたんだっけ?」
どうも頭がぼやける。
記憶があいまいで、脳内に霧がかかっているみたいだ。
俺は確か…………そうだ。モンスターと戦っていたんだ。
それで……
「そうか。死んだのか」
あの場で助かるわけはない。
俺はあそこで命を落とした。
そして、死んだ俺が生き返るでも、あの暗い空間にでも、神の元にでも行くわけでもなく、見た事もないこの空間にいるということは、本当の意味で死んだということ。
ということは、ここは死後の世界……地獄ってわけじゃなさそうだな。
この空間には何もない。
楽しめそうなものも皆無だが、俺を苦しめるものだって見当たらない。
それどころか、この空間自体がとても心地いい。
まるで春の陽気のような暖かな気温。
時折吹いてくる風がなんとも気持ちいい。
もしかしたら、天国なのかもしれない。
何もないけど、こうしてこの空間でただ漂っているだけ。
それだけで幸せを感じる。
それから俺は、宙に浮かびながら、眠気を感じたので目を閉じる。
その時、目を閉じたはずの俺の目の前に、ある光景が広がる。
それは、俺がまだ小さかった時の光景。
おそらくまだ幼稚園に入る前の、2、3歳ぐらいの年齢だ。
目の前に映る俺は、親と一緒に遊んで、何とも楽しそうな顔をしている。
俺にも、あんな時代があったんだな。
それから、俺の過去の映像が続けて流れる。
その映像では、俺はどれも笑っている。
あの時は楽しかった。
見るものすべてに好奇心が駆られ、あらゆる物事が楽しかった。
それから数十分、俺はその映像を眺め続けた。
だが、映像が俺の小学4年生辺りを映し終えたころ、今までは年齢順に過去の映像が流れていたが、一気に時代が飛んだ。
俺が異世界に来てからに。
きっと、それ以降の俺は笑っていなかったんだろうな。
家族に対して無理に笑った時が何度も俺の記憶にあるが、それは映されない。
きっと、本当に笑っていなかったからだ。
だけど、異世界に来てからは笑えた。
「ははっ、楽しそうだな。俺」
異世界に来た俺は、こんなに楽しそうだったんだな。
映像に映る俺のそばにはいつも、ナナがいる。
ソウラがいる。
アカネがいる。
もう一度、会いたいな。
時間が流れると、今度はその映像にはマキナが映し出される。
一緒に過ごした2週間、あの日々も楽しかったんだな。
マキナに、謝りたい。
怒鳴ってしまったことを。
そして、映像は途切れた。
映像を見終えた俺の頬を、熱いものが流れているのを感じる。
これは、涙か。
涙を流すのはいつ振りか。
「俺……もう、生き返れないのかよ」
自然と声に出た。
「せめて……あと一回だけでも……」
神に祈るように、喉から声を絞り出す。
初めて、心から神に祈った。
「死にたく……ねえ…………死にたくねえんだよ!」
駄々をこねる子供のように、誰もいない、神も聞いているか分からないこんな場所で、俺は必死の声を出す。
「…………ト」
声が聞こえた気がした。
かすかな、ほんのかすかな声が。
「……サ……ト」
その声は、俺を呼んでいる気がした。
小さな声、気のせいかもと思えるほどか細い声なのに、その声には必死さがうかがえる。
「……マサト」
確実に聞こえた。
俺の名前を呼ぶ声が。
聞いたことがある声。
女の声だ。
そう認識した瞬間、目の前が急に暗くなった。
だが、俺の体は目視できる。
この暗さ、覚えがある。
真っ暗なのに、なぜか俺だけは認識できる。
そう、これは、俺が死んだとき、神と出会った場所。
そこまで思い出した時、俺の体が、足の先から徐々に薄くなっていった。
「マジで……死ぬのか……?」
俺の体の透明化がどんどん進んでいく。
下半身はもうなくなった。
そして徐々に上半身にも及ぶ。
「待って……くれよ。死にたく……ない」
俺の悲痛の声を無視し、どんどん体が消えていく。
胴がなくなった。
腕がなくなった。
首がなくなった。
そして透明化が目にまで及び、俺の視界が完全な闇と化した時、意識がなくなった。
「……おいっ……おきろ…………くそっ……こうなったら」
声が聞こえる。
さっきの声とは違う。
野太い男の声だ。
俺はゆっくりと瞼を開ける。
するとそこにいたのが、
「うわあっ!」
俺の目の前にライの顔面が異様な近さにあった。
俺は反射的に両手を目の前に出した。
「おおっ、気が付いたか!」
ライがうれしそうな声をあげる。
冷静になって周りを見てみると、ここは俺が泊まっていた宿屋のベッドの上だ。
「生きてる……のか? ……ライ。俺は何でここに?」
「何でも何も……あの……あれだ。お前と一緒にいた、白いワンピースの女の子が傷だらけのお前をここに運んだんだよ」
マキナか。
マキナが、俺をここに……。
「そこを目撃した俺は何事かと思って、こうして勝手に入ったわけだ」
勝手にって……よく見りゃシックたちもいやがる。
ん? シックの表情が、どことなく悔しそうに見えるな。
「お前が目を覚まさないから、人工呼吸でもしようと思ったんだがな」
「…………してないよな?」
してないって言ってくれ!
頼む!
この前もらった500Gを返すから!
有り金全部やるから!
してないって言ってくれ!
「残念ながらしていませんよ。残念ながら」
シックは非常に残念そうに答える。
残念ながらってなんだよ。残念ながらって。
こいつ、もしかして腐女子か?
まあ、してないならいい。
もししてたら、せっかく拾った命、自殺してるとこだ。
「で、マキナは?」
辺りをキョロキョロと見まわすが、マキナの姿はどこにもない。
ライの話によれば、俺を連れてきたのはマキナで確実だと思ったんだが。
「あの子なら、どっか行った」
どっかて、んな適当な。
しかしマキナが助けてくれるなんてな。
昨日、俺が一方的に怒鳴って、嫌な気持ちにさせたと思うんだが。
「俺について、何か言ってなかった?」
「ん? いや……何も言ってなかったな」
まあ、そうか。
何か思うところがあったとしても、マキナが何か言うってことはないか。
「ただ、不安そうな顔してたな」
「……不安?」
あのマキナが?
冗談だろ。
俺に裸を見られても無表情を貫いたマキナが、不安そうな顔だと?
「あの子、お前のことがよっぽど大事なんだな」
そう言われても、全く想像がつかない。
悪い奴ではない。むしろ、瀕死の俺を助けてくれた、いい奴ではあるだろう。
だが、感情を露わにする奴じゃない。
そんなマキナが、不安そうな顔をしていた。
「じゃあ俺らはもう行くから。じゃあな」
ライはそう言って部屋を出て行こうとした。
ドアを開け、体を部屋の外に出す瞬間、俺はライにある質問を投げかける。
「ライ、お前、俺のことどう思ってる?」
ライの体が止まった。
そして、振り向いたライの顔は、疑問符を浮かべているのがよく分かる。
「どうって……試練だよ。超えるべき存在。昨日言ったろ?」
「そうじゃなくて、俺のことを具体的にどう思ってるか。なんで俺が試練なんだ?」
その質問にライは数秒考え込んでから答える。
「お前は、俺の理想なんだ」
「…………」
俺はライの目をじっと見据え、黙って話を聞く。
「お前は弱い。力で言えば、多分平均以下だ。俺と同じな。だけど、お前はちゃんとそれを自覚してた」
ライの言葉には、どこか哀愁が漂っている感じがする。
今までを後悔するかのような、そんな感じだ。
「俺は勘違いしてた。俺には特別な力があると。実際は親の権力を使うしか取り柄のないクソ野郎なのにな」
その言葉を後ろで聞いていたシックたちがうんうんと頷いている。
「お前は、俺と同じ力のない人間なのに、自分の弱さを自覚し、行動した。その結果、レベル10にも満たないくせにランクアップ、そしてドーピングをした俺に勝った」
普通に考えれば、すごいことだな。
俺ってもしかして凄いのかな?
「最初は癪だった。だってそうだろ。いきなり出てきた奴に好きな女を取られて、そんなやつがやったことを不満に思わないやつがいるか?」
いないだろうな。
というか、ライはソウラのことが本当に好きだったのか。
正直、ソウラとの結婚は政略的なものだと思っていたんだが、ライだけは、あの結婚を本当の意味で望んでいたんだな。
「でも、冷静になって考えてみたら、お前の凄さが分かった。お前は力がないから、自分に出来ることを考えて、その出来ることを精一杯やった。すげえよ」
確かに、俺のやったこと、それはすごいことなのかもしれない。
だが、俺からすればなんてことはない。
ダルトドラゴンを倒した時はなんとか弱点を発見することが出来た。
ライと戦った時も、俺の攻撃は無為に終わる可能性の方が高かった。
運が良かった。
ただそれだけのことだ。
「これが理由だ。納得したか?」
「ああ……ありがとな」
「じゃあ、俺たちは行く。またなー」
そう言うと、ライたちは部屋を出て行った。
「……俺も、お前が理想だったんだよ」
何気なく、つぶやいた。
昨日は認めたくなかった。
ライは性格の悪い、俺の中で底辺の人間だった。
そんな人間が理想だと認めたくなかったから、昨日はマキナに八つ当たりのような形で怒鳴ってしまった。
だけど、今なら言える。
ライが、俺の憧れだと。
弱いくせに、まっすぐに、自分の欲望を包み隠さず生きる、そんな生き方に俺は、憧れた。
俺には出来なかった。
弱いから、隠れた生き方をしてきた。
あいつのことはちゃんと見ていたい。だから、怯えているようには見えなかったんだ
マキナが来たら、ちゃんと言おうかね。
それから数分、ほどなくしてマキナが帰ってきた。
「マサト、目が覚めたのね」
部屋に入ってきたマキナの顔は、普通だった。
いつも通りの無表情、不安の不の字も感じられない。
「マキナ、お前がここに運んできたのか?」
「ええ。モンスターに多少踏まれてるところを、何とかね」
また、借りができたか。
死んでも生き返るかどうかわからないこの状況では、本当に感謝だ。
「なあマキナ」
「……何?」
「その……昨日はごめんな」
「……何が?」
マキナは不思議そうな顔つきで首をかしげている。
俺が謝っている理由が本当に分かっていないみたいだ。
「ほら、昨日さ、俺マキナに怒鳴っただろ。黙れ、って」
「……あれは、私が怒らせたんでしょう?」
話の流れ上は確かにそうだった。
マキナの発言で俺はいら立ち、怒鳴った。
だから原因はマキナと言えよう。
それでも。
「悪いのは俺だ。ごめん」
「……じゃあ、気にしなくていいわ。私は気にしてないから」
じゃあ、か。
謝り甲斐がないな。
こっちとしては気が楽だけどよ。
「あと、昨日の質問に答えておこうかと思うんだが……」
「……いいの?」
「ああ、もう、別にいい」
ライは以前とは違う。
そして以前と違うライしか知らないマキナには、正直に話したところで思うところはあるまい。
「俺はな、あいつに憧れていた。弱いくせに、誰にでもまっすぐ向かって生きるあいつにな」
「……なるほどね。弱いあなたは人を選び、人によって態度を変える。ライとは対極ともいえるから、憧れと言う念を抱き、恐れずに向き合えたということね」
今のだけで理解したのか。
人の気持なんかまるっきり理解できないくせに、どうして今は理解できるのか。
これが普段からできれば文句なしなんだが。
「ありがとうマサト、聞かせてくれて」
「どういたしまして」
ま、とりあえずこの問題は解決だ。
次は今後のことについて考えるか。
現在俺、体中ボロボロ。
怪我が治りきってないのに刀振り回して、気を失った後にモンスターにちょこっとボコられたみたいだし、かなりの重症だ。
「マサト、これからどうする?」
「……休む以外にあるか?」
ナナがいれば回復魔法をかけてもらって速攻回復、速攻レベル上げだ。
だけど今はそのナナがいないし、回復魔法が出来る奴なんていない。
「マキナは回復魔法、出来ないよな?」
「無理よ」
だよなあ。そもそも出来るんならさっさと回復してくれてるしな。
それに、以前ソウラだかナナが、回復魔法を使える人間はほんの数人しかいないって言ってたしな。
天界の人はみんな回復魔法使えるっていうのに、どうしてこの世界の人間は使えないんだか。
あーあ、どこかに天界人いねぇかなあ。
「ねえマサト、私だけでもクエストを受けられないかしら?」
「無理だよ。カードを持ってないお前が行っても受付の人を困らせるだけだ」
受付の人ってのは不憫なんだ。
神に騙されこの世界で無理やり働かされた可哀想な人たち。
あまり無理言って困らせるもんじゃない。
ん?
そういやギルドの受付の人はみんな神の使い。
ということはつまり天界人…………
「これだぁぁぁぁあああ!」
俺は体の痛みを忘れ、ベッドから上体を起こし、叫び声をあげた。
普通の人間ならこの行動に驚くか唖然とするところだろう。
だがマキナは何の気なしに平然としている。
「どうしたの?」
「今後の方針が決まった! ギルドに行くぞ! 俺を抱えろ!」
「……分かったわ」
俺の上から目線、何様だ態度には何も言わず、動けない俺をまたしてもお姫様抱っこで抱えるマキナ。
正直、抱えろとは言ったがおんぶにしてほしかったが、まあいいや。どっちにしろ恥ずかしいし。
とにもかくにも、俺たちはギルドに向かった。




