第54話 「初めての夜」
俺は結局2週間、この場所にとどまることにした。
したというよりも、なってしまったと言った方が正しいが。
「神は使えねぇし、俺もあんま動けない状況、マキナは2週間経たなきゃ一緒には来てくれない。ランクアップまで、1カ月以上かかるかもしれねぇな」
もう、何もかもがうまくいかない。
大金が手に入ったからもうクエストは受けずに平穏無事に暮らそうと思ったのに、一人でランクアップしなければいけない状況に陥る。
出来るだけ早くランクアップしようと思って頑張ってみたら、モンスターに襲われ全治1か月の大けが。
これを治すための方法として死ぬことを考えても、肝心の神は連絡がつかない。
……怪我したのは俺の所為だけど。
だとしても、この世界、俺に厳しくないかな。
「あなた、おなかは空いてる?」
外から戻ってきたマキナが俺に尋ねる。
女の子にあなたって言われると、なんかちょっと変な感じがするな。
「俺の名前はマサトだ。それと、腹は減ってる」
起きてから数時間、それどころか昨日の昼から何も口にしていないのだ。
腹は減って当然だ。
「じゃあ、はいこれ」
そういってマキナが手渡してきたのは、赤い液体の入ったコップだ。
「これ、何?」
「血よ」
「血!?」
血ってもしかしなくても、モンスターの血ってことだよな。
まさかとは思うが、これが俺のメシか?
「飲まないの?」
俺のメシのようだ。
マキナは当然のように血をゴクゴクと飲んでいる。
これは、どうなんだ?
俺が知らないだけでモンスターの血も実は飲料水として出しているのか?
タストの街にないだけでこれは普通のことなのか?
飲んでいいのかこれ?
変な病気にとかならないのか?
尽きない疑問が頭の中で乱立する中、マキナは飲み干されたコップをテーブルに置き、俺のことをじっと見ている。
その目には、若干だが期待のようなものがあるように感じた。
飲むしかない。
そう覚悟を決め、俺は血の入ったコップを口につけ、一気に飲み干す。
「グアアアアアアア!」
驚くほどの不味さだ。
思わず絶叫してしまうほどの、とてつもない味。
とても今の状態を言葉にできない。この味を形容する言葉は存在しないのではないかというほどの想像を絶する不味さだ。
「み、水! 水くれ! 普通の水!」
「水場はここから1時間ほど歩いたところにあるわ」
マキナの放った何気ない言葉、俺にとっては事実上の死刑宣告だ。
こんなもの、人間の飲み物じゃない。
なんでこんなものを平然と飲むことが出来るんだ?
「うっ!?」
突然、俺の体の中から何かがこみ上げてくるのを感じる。
それは俺の腹から生み出され、徐々に上へと上がっていき、俺の口へと向かい、外に放出されようとしている。
今の状態で発せられる言葉は一つしかない。
そう、
「オエエエエエエエエエ!」
俺は床に汚らしくも先程飲んだ血、そして胃の中に存在するものをありったけ吐き出してしまった。
その光景をマキナは唖然と眺めている。
「ハアッ、ハアッ、地獄って、本当にあったんだな」
俺は胸を押さえ、まだ残る吐き気を我慢しながら、吐瀉物だらけになってしまった床を拭いている。
「うっ!? が、我慢だ!」
あふれ出る吐き気を何とか抑え込んでいる状態だ。
少しでも気を抜けば残り少ない胃の中の物が完全にカラになってしまう。
そんなことを考えている。
マキナはというと、俺が食べられそうなものを探しに行ってもらっている。
さすがにあの血には慣れそうにはない。
というか、あんなものをもう一度飲むぐらいなら、死んだほうがましだ。
あれしか口に入れるものがないなら、2週間もこんなところにいられるわけがない。
もしもマキナが持ってくる食料がまたくそ不味いものならここを出よう。何が何でも出よう。
そう固く決心した。
「マサト、これならどうかしら?」
2時間ほど経って戻ってきたマキナは、なんと自身の身長の倍はあろうかというクマのような毛むくじゃらのモンスターを抱えてきた。
「迂闊だったわ。まさか人間は固形物しか食せないなんて」
そう言う問題じゃない。
場合によっちゃ液体だけの朝食の時だってあるんだ。
あの血が特別にまずかった。
ただそれだけだ。
「で、なんでこれ?」
「近くの街の様子を見て、人間が何を食べるか調べたの。そしたら、モンスターを解体して食べていたの」
「さいですか」
まあ、血よりはましだ。
いや、この世界のモンスターはほとんど食用みたいだから、普通にありか。
「ていうか近くに街があるのか? だったら俺が行って食糧買ってきた方が……」
「私にとってはね。全速力で走って30分のところよ」
「じゃあ早速、解体してくれるか?」
「ええ」
そう言ってマキナは俺が持っていた刀を片手に、モンスターの解体に取り掛かる。
マキナの刀使いは、はっきり言って俺とは比べようもないほど研ぎ澄まされているものだった。
剣速は俺の何倍もある。
考えてみたらマキナは、このモンスターをおそらくは素手で倒した。
それに、俺を助けた時には大量のモンスターに囲まれていた。それをたった一人で倒したということになる。
俺とは比べようもないほど強いのは明白だ。
もしかしたらレイトぐらい強いのかもしれない。
「これで、いいかしら」
どうやら解体は終わったようだ。
マキナ流の解体が。
「これを食えと?」
それは解体とは名ばかり、ただモンスターを細切れにしただけだ。
俺も詳しくどうやるのかは知らないが、これは違うだろう。
解体ってのはさ、もっとこう、肉を部位によって切り分けたりとかさ、内臓も取り出したりとかさ、いろいろあるじゃん。
だけどこれは本当に切っただけだ。
毛だらけで、こんなの食ったら口の中はもちろん、胃の中だって大惨事だ。
俺の胃袋崩壊するぞ。
「マキナ、俺がやる。刀返して」
俺はマキナから刀を受け取り、せめて毛だけでも刈り取ろうとしたが、どうも力が入らない。
無理に力を入れようとしたら、体からミシミシと危ない音を立てている。
さすがに全治一カ月のケガだけあるな。
「無理よ。もう一度調べてくるから」
マキナはそう言い、出て行った。
俺は刀を置き、ベッドに横たわる。
今の俺は何の役にも立たない。これじゃ、引きこもりの時に戻ったみたいだ。
好きなゲームを好きなだけやって、腹が減ったら冷蔵庫を漁って好きなものを食う。眠くなったら寝る。
あの時は本当に楽だった。
あの時に戻ったようなものなのに、俺はこの状況がたまらなく嫌だ。
今ならわかる。あの時の時間は、本当に無駄だったのだと。
この世界に来てから、俺は本当に苦労した。
モンスターと戦い、金を稼ぎ、その日その日を生きるのに精一杯だった。
苦労するたびに、あの楽な時間が俺の頭をよぎった。
だが、俺はもう二度とあの時間に戻りたいとは思わない。
気付いたからだ。
楽と楽しいは違うということに。
だからこそ、今のこの状況に、何もできない、全てマキナがしてくれる楽な状況に身を置いていることが、どうしようもなく口惜しい。
時間を無駄にしている。
それから小1時間、マキナはきれいに解体された肉を持って戻ってきた。
「すごいな。どうしたんだそれ?」
「解体しているのを見てたら、持ってたモンスターとお肉を交換してくれるって」
良心的な奴だな。
だが、これで食糧問題は解決したも同義だ。
この量なら、2週間ぐらい持つだろう。
肉だけの生活に飽きなければ。
「じゃあ早速食べよう。火は熾せるか?」
「無理よ」
そっけなく返され、俺は仕方なく魔法を使ってその肉を焼いた。
その時、魔法の反動によるものか、体に痛みが走る。
「くっ、魔法もあまり出来ないな」
だが、飯を食うたびに魔法は必要だ。
この痛みには、我慢だ。
「マキナは食わないか?」
「大丈夫よ。朝、血を一杯飲めばその日の活動に支障はないわ」
こいつは本当に人間か?
あのくそ不味い血を平然と飲めることもそうだが、その血を飲むだけで一日活動できるなんて、ありえない。
まあ、別にいいか。
俺のことを助けてくれたし、こうしてメシまで調達してきてくれた。
マキナを疑うなんて、しちゃいけないことだよな。
俺はマキナの持ってきてくれた肉を食べ、その日をゆっくり過ごした。
「さあて、今日はもう寝るかな」
俺はベッドに横になり、目を瞑ろうとした。
だが寝る前に、不意に気になったことがある。
「マキナはどこで寝るんだ?」
見たところこの部屋にはベッドは一つだけしかない。
布団もないし、ソファもない。
このベッド以外に眠れる場所がない。
「私はここで寝るわ」
マキナは何の躊躇もなく床に横たわった。
毛布どころか枕もない床に、直接だ。
「ちょっと待て! それだと罪悪感で胸が押しつぶれそうになっちまう! せめて、なんか布団の代わりになりそうなものとかないのか?」
「ないわ。ここには私一人しかいなかったから、一つしかないわ」
まじかよ。
それじゃマキナは本当に床で寝るしか……いや、それはまずい。
俺の怪我が治るまで面倒見てくれるって人、しかも女の子を床で寝させるなんて、男としてそれはまずい気がする。
「このベッド、お前が使えよ」
「…………じゃあ」
マキナは了承してくれたようなので俺はベッドから出て床で寝ようとする。
だが、
「あの……これは?」
「マサトが、使えって」
マキナは俺がベッドから出る前に中に入ってきた。
しかも、元が一人用のベッドだけに、かなり接近している。
もう少しで、マキナの体が当たりそうだ。
「俺はお前が使えと言ったんであって、お前と使うなんて言ってない」
「床で寝たら、マサトの体に悪いわ」
「そりゃそうだけどさ、年頃の男女が同じベッドで寝るなんて、やっぱりちょっとまずいんじゃないですかね」
「……なにが?」
気にしてるのは俺だけのようだ。
なんて合理主義な女だ。
というかそれ以前に、俺のことを男として認識してくれてないんですかね。
「なあマキナ、世間では男女が同じ布団で寝るっていうのはな……」
「スー……スー……」
「もう寝てらっしゃる!?」
マキナはすでに寝息を立てている。
顔を俺に向けているから、その寝息が俺の顔に当たってくる。
俺は体を反転させ、背中をマキナの方へと向ける。
それでも、マキナの寝息が俺の体に当たるのは避けられず、妙に意識して寝られない。
「床で寝ようかな」
このままじゃ眠りにつくことすらおぼつかない。
そう思い、ベッドから出ようとしたとき、マキナの腕が俺の体に伸びてきた。
その手は俺の体をガッチリと掴み、身動きが取れない状況になった。
「マ、マキナさん!? ちょっとそれは……」
慌ててマキナの腕を振りほどこうとマキナの腕に手をかけ力を入れると、逆に俺を掴む力が大きくなっていく。
この力は、ヤバイ。
「マキナさん、ちょっと痛い! 起きてくんない!?」
だがマキナが目を覚ます気配が全くない。
俺がどんなに大きな声を出してもマキナは眉一つ動かさない。
す、少し冷静になろう。
これ以上力を込めてマキナの力が大きくなったら今以上のケガを負う可能性がある。
落ち着いて、ゆっくりとこの状況に慣れよう。
そうさ、マキナには変な気とかそう言うものは一切ない。
下心なんて全く抱いていないんだ。
だから俺も、平常心でいろ。
平常心、平常心、平常心……
無理だ!
どれだけ落ち着こうとも心臓のバクバクが止まらない。
マキナを起こすしか俺が眠りにつく方法はない。
「マキナさーん! 起きてくださーい! 俺を! ゆっくり寝かせてぇ!」
俺は腹の底から声を出し、マキナを起こそうとする。
だがマキナは、
「スー……スー……」
全く起きる気配はなく、かわいらしい寝息を立てている。
俺は何回も何回も大きな声を出し続ける。
が、マキナは一切目を覚ますことなく、俺はのどが枯れ、声が出なくなっていった。
いい加減疲れて眠気が俺を襲ってきたが、マキナに密着されていて、どうしても眠れない。
くそっ、俺を……俺を寝かせてくれぇぇぇ!
そして、光が俺の目を覆い隠す。
そう、朝日だ。
「もう朝!?」
俺は一睡もできなかった。




