第47話 「グラシャ=ラボラス」
「汝らに問おう。最強とは、誰ぞ?」
低く、重厚感のある声が城内に響き渡る。
そしてその問いに、幾多もの声が重なり、返答される。
「「「ハッ! バエル様であります!」」」
その見事なまでに揃った返答に、問いかけた者はさらなる問いを投げかける。
「汝らに問おう。汝らの支配者は、誰ぞ?」
その問いにまたしても見事なまでに揃えられた声で返答が来る。
「「「ハッ! グラシャ=ラボラス様であります!」」」
問いかけた者はその返答に頷きながら、先程と同じ問いを投げかける。
「汝らに問おう。最強とは、誰ぞ?」
先程と全く同じ内容の質問、答えは決まり切っているであろうが、問いかけた者は期待を胸に、返答を待つ。
そして、その期待は脆く崩れ去るのである。
「「「ハッ! バエル様であります!」」」
「グラシャ=ラボラス様と言わんかー!」
問いかけた者、グラシャ=ラボラスの悲痛な叫びが城内に響き渡る。
その叫びには、支配者の威厳も何も感じられない、ワガママな子供のような叫びだった。
「言ったじゃろ!? お前らの支配者はグラシャ=ラボラス様って言ったじゃろ!? なのに何でバエルが最強なんじゃ!」
グラシャ=ラボラスの言葉に、全てのモンスターが恐怖を感じる……ことはなく、皆がグラシャ=ラボラスの言葉を右から左へ受け流し、無視している。
中には、欠伸をするものまでいた。
「話を聞かんか! お前ら、何か言ったらどうなんじゃ! おい、聞いておるのか! お願いじゃ! 誰か何か言ってくれ!」
さすがにこれ以上の無視は良くないと判断したのか、モンスターの群衆の中から1体のモンスターが代表してグラシャ=ラボラスの前に立ち、答える。
そのモンスターは、二本足で立つものの、およそ人間とは思えないほどの見た目をしており、背には漆黒の羽、頭には山羊のような立派な角、そして牛のような顔をしている。
「グラシャ=ラボラス様は……何と言いますか、運が良かっただけと言いますか……」
「運も実力の内じゃろ! 大体わしより強い者はもう死んだではないか! 最強はわしでいいじゃろうが!」
「お言葉ですがグラシャ=ラボラス様、バエル様は私たちの心の中で生き続けています。あなたが私たちの中で最強になることは、ありません」
「それわしの目の前で言う!? ふつう目の前に支配者がいたらそいつが最強だって言うじゃろ!?」
「私たちの尊敬するバエル様について、嘘はつけません」
「その見た目で良いこと言うんじゃないわ!」
グラシャ=ラボラスが必死で自分が支配者だ、最強だと述べるが、それは全て受け流される。
その光景を、他のモンスター達はあろうことか笑っている。
これが、ここの日常だと言わんばかりに。
ここはゴエティア、モンスターの中でも知能を有し、人の言葉を雄弁に語ることができる者のみがこの場にいることを許される、モンスターの城。
モンスター同士の交戦により生き残った、グラシャ=ラボラスを主とする城だ。
今この場には、モンスター達の支配者、グラシャ=ラボラスと、その部下たち数十名がいる。
この場にいるモンスターはグラシャ=ラボラスの部下、のはずだが、グラシャ=ラボラスが先のモンスター同士の交戦により生き残った理由を知るほとんどの者は、グラシャ=ラボラスを、はっきり言って舐めている。
「グラシャ=ラボラス様は元はネビロス様の部下、あなたよりも強き者が相打ちになり、偶然あなた様が頂点に立っただけの事。いや、頂点に立ったというよりも、頂点になったと言った方が良いででしょう」
部下であるはずのモンスターは、饒舌にいかにグラシャ=ラボラスの運が良かったかを語っている。
「分かりやすく言うなら、山の頂上が崩れ落ち、グラシャ=ラボラス様のいる位置が偶然頂点になっただけのことです」
「分かりやすく言わんでいいわ!」
グラシャ=ラボラスの姿は、分かりやすく言うなら翼の生えた獅子。
だが、一番近い形態が何かというと獅子なだけであり、その姿は見るもの全てに実際の獅子よりも恐怖を与えるであろう姿だ。
だが今のグラシャ=ラボラスに、恐怖も何もない。
元が誰かの部下であっただけに、頂点に立つ者の振る舞いが分からないのも理由のひとつだろうが、それにしても舐められ過ぎである。
「仮にも支配者じゃぞ! その気になれば貴様らなぞ粉微塵ぞ!」
威厳を取り戻そうと脅しをかけるが、だれも怯えない。
これもいつもの光景だからだ。
グラシャ=ラボラスは部下たちの態度に度々苦言を呈し、脅しをかけるが、実際に部下を手にかけたことがない。
いや、部下だけでない。グラシャ=ラボラスは人すら殺したことのないモンスターなのだ。
「グラシャ様、落ちていてください」
「支配者の名前を略すんではないわ!」
自身に対する態度に怒りを示すも、誰も恐怖を感じない。
これがこの城、ゴエティアでの日常風景だ。
グラシャには一切の威厳というものはない。
偶然、運が良かっただけ、だれもがグラシャが頂点になったことをそう思っている。
だが、ここにグラシャを舐めてはいるものの、認めていないモンスターはいない。
この場にいる誰よりも強い力を持っていることは事実であるからだ。
「グラシャ=ラボラス様、話とは、何でございましょうか?」
この場には今、三体のモンスターがいる。
1体はグラシャ=ラボラス、もう2体はフルカスとラウムだ。
だが2体の姿は、マサトが知っている人型の姿ではない。禍々しい、モンスターとしての姿だ。
「お主らは、変化が得意であったな?」
「ええ、得意よぉ」
「馬鹿者、我らが主に向かってそのような口を!」
フルカスはグラシャの部下の中で唯一、支配者として慕っている。
グラシャはそれゆえにフルカスのことを最も信頼してるといえるだろう。
ラウムに関しても、同じようなことが言える。
ラウムのグラシャに対して抱いている感情、それは尊敬と呼べるものではない。
だが、向けられて嫌な感情ではないことは知っている。
だからこそこの2体を呼んだ。
自らの望みをかなえるために。
「わしに、変化の方法を教えてはくれないか?」
「ハッ! かしこまりました!」
グラシャの言うことに一切の間を置かずにフルカスは答える。
フルカスにとって、支配者の言うことは何があろうと絶対、ゆえに何故そうするのかはどうでもいいことなのだ。
だがラウムは違う、自身の支配者であろうと、聞くべきことはどのようなことでも聞く。
「あなたの言うことは聞いてあげたいけど、どうしてか言ってくれなくちゃ」
そんなラウムにフルカスは怒りを見せるが、グラシャはラウムの態度は気にせずにその問いに答える。
「わしは、人間と共存したい」
この言葉にはさしものフルカスも驚愕の表情を見せる。
だが、聞いた本人であるラウムは、笑顔を浮かべている。
「グラシャ=ラボラス様、人と共存など、我らモンスターの見た目では……」
フルカスの言う通り、モンスターの姿は人間にとっては恐怖の対象でしかない。
好意的どころか、普通の反応すらしはしないだろう。
「だからこその、変化じゃ」
そう言うとフルカスは納得がいったかのような顔をする。
「我らが人の姿を保ち続けることさえ出来れば、モンスターだということを悟られなければ、共存できるはずだ。そうなれば、永遠の安らぎが、わしらの物となる」
そう、グラシャの望み、それは平穏。
暴力を必要としない、平和な日常。
「世界の害悪であるわしたちが世界から消え、人と成れば、全てがうまくいくはずだ」
ここにいるグラシャは、部下たちになめられ、軽んじられてきたものとは何かが違う。
フルカスとラウムに、そう思わせる何かがあった。
「グラシャ=ラボラス様、私はあなたが望むのなら人間との共存を望みましょう。別段、人間が嫌いというわけではありませんし」
「私も、あなたが望むのならきっとそれは正しいことなのでしょうね」
この2人の忠誠心、それは揺るぎないものだとグラシャは確信できた。
「では、教えてもらおうか。変化の術を」
その日から、グラシャの人間との共存のための鍛錬が始まった。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
グラシャの力は、部下たちが最強と仰ぐバエルや、グラシャの主人であったネビロスには遠く及ばない。
だがそれでも、強大な力を持っていることは確かだ。
それゆえ、姿かたちを人間の物に留まらせることは困難だった。
問題はそれだけではない。
グラシャの掲げる人間との共存、それを良しとしないモンスターもいた。
この理由が単純に人間という者を軽んじているなど、見下しているというのなれば説得も容易だっただろう。
だが、その理由が人間に仲間を殺されたことがあるというのなら、説得は困難だろう。
様々な問題を抱えながらも、グラシャは人間との共存の為、尽力していた。
事が起きたのは、グラシャが不自然な大きさとはいえ、ようやく人間の形を成せるようになってきた時だ。
「グラシャ=ラボラス様、そろそろ休憩になさいましょう」
「うむ、そうだな」
「お疲れさまぁ、ようやく様になってきたわねぇ」
今この場には、一人の大男、一人の妖艶な女性、3mほどの人間の形をした何かがいる。
フルカス、ラウム、グラシャだ。
あと数日かそこらで、グラシャは変化を完ぺきにものにするだろう。
「ではグラシャ=ラボラス様、私共は皆の説得に回ってきます」
「うむ、わしは一人で鍛錬を続けていよう」
「さぼっちゃだめよ、私の愛しいお方」
ラウムはグラシャの体を人舐めし、フルカスと共に他のモンスターの説得に向かう。
無論、主に軽々しく愛しいだのなんだ言ったこと、あまつさえ舐めたことに対してフルカスに鉄拳制裁されている。
その光景は、グラシャの心を明るくするいつもの光景、この時が永遠に続けばいい、グラシャは心からそう思っていた。
だが、
「グラシャ=ラボラス、君には死んでもらうよ」
ゴエティアの一室、ここにはグラシャしかいないはずだ。
だが、確かに声が聞こえた。
聞いたこともない声、部下のモンスター達ではない。
グラシャは臨戦態勢をとるために、人型からいつもの姿へと戻った。
「誰じゃ!」
声を大きく、恐怖を与えるつもりで呼ぶ。
だが、グラシャに殺気はない。
人間との共存を望むモンスター、死んでもらうなど言われ、多少痛い目には合わせようとは思うものの、殺そうまでとは思っていないからだ。
「聞かれたからには答えようか。僕は、神だよ」
そう言った瞬間、グラシャの目の前に神を自称するものが現れる。
「貴様、見たところ人間のようじゃが、わしを殺すといったか?」
「死んでもらうといったんだよ」
些細な違いを指摘する神に、グラシャは多少の苛立ちを感じる。
今すぐ倒し、這いつくばらせ、謝罪させようと、そう思ったが、
「な、何じゃ!? 体が……動かん」
どれだけ体に力を入れようとも、指一つ動かせない。
なのに、口だけは動く。
これは、この神の仕業によるものか。
「恐怖の権化、グラシャ=ラボラス。神の権限を持って、死んでもらうよ」
そういうと神は手をグラシャにかざし、何かを唱え始めた。
「何をする気じゃ?」
グラシャの問いかけに、神は無視し続け、やがて詠唱が終わり、神の手が光で覆い尽くされる。
「人の姿になり人間をたぶらかそうとしたみたいだけど、君は終わりだ」
「そ、それはちがっ――――」
言い終わる前に、神はその手の光をグラシャに放った。
光が直撃したグラシャは、その場に跪く。
グラシャは神に対し、懇願するように、小さな声で、力なく話しかける
「わ、わしにはまだ……やるべきことが……」
「さすが全モンスターの支配者、だけどもうじき、死ぬよ」
神の言った通り、数秒後にグラシャはその目をゆっくりと閉じる。
モンスターの支配者は、人間の敵であるモンスターの頂点に立つものが、誰も傷つけないまま、その生涯を終えた。
「ふう、これで平和になるかな」
神はグラシャの死体を天界に転送した後、満足したように天界に帰っていった。
これが、汚点だらけの自分の人生の、最大の汚点になるとも知らずに。




