第43話 「狂い」
「普通に考えれば、そろそろ来るはずだよな」
俺は今、街から走って20分ほど離れた場所に立っている。受付の人は1時間ほどでグレムウルフが町に着くと言っていたから、あと10分もしないうちに来るに違いない。
俺は武器屋から勝手に購入していたナイフを片手にグレムウルフが来る方角に向かって歩く。
俺の作戦はこうだ。
グレムウルフの大群に出来る限り魔法を放つ、そしてナイフを持って特攻、死んだらまた魔法を放つ。死んでも生き返る俺だからこそできる、ゾンビ戦法だ。
正直死ぬのは怖いが、仕方ない。
「おい神、聞いてるか?」
俺は歩きながら神に呼びかける。
数秒してから返事が来た。
「なんだい?」
神の声は若干だが気落ちしているように聞こえる。
だけど今はどうでもいい。
「俺が死んだら、グレムウルフたちの目の前に生き返らせろ。いいな」
「別に構わないけど、いいの? そんな君だけがつらい思いをしなくても」
神が心配の声をあげる。こいつはバカだが根は良い奴、俺のことは本当に心配してくれているんだろう。
これで頭さえ良ければな。
「マサト君、忘れてると思うから言うけど、聞こえてるよ」
「忘れてねえけど、ついな」
神は俺と意思を疎通することができる。裏を返せば、俺の考えてることは何もかもお見通しと言うことだ。
そんな大事なことを忘れるわけがない。
「もう、本当に君は僕のことをなめてるよね。仕方ないとは思うけど、もう少し自重してほしいよ………………マサト君、壊れないでね」
それを最後に神との会話は終わった。
壊れないで、か。
大丈夫、俺は一度死んでるんだ。怖かったが、耐えられないほどじゃない。
これは、俺にしかできないことなんだ。自信を持て。
それから数分、音が聞こえてきた。
大地を駆け抜ける音、そして、獣の声。
遠くから、豆粒ぐらいの大きさの生物が見える。それがだんだんと大きくなっていき、それが何か視認できた。
赤い体毛をした、大型犬ぐらいの大きさのモンスター。
グレムウルフが来た。
「大丈夫、俺ならできる。俺だからできる。守るんだ、あの街を……いや、初めてできた、俺の仲間を!」
俺は手をかざし、グレムウルフに向ける。
グレムウルフは俺に向かって一直線に走ってくる。まるで俺という存在が見えないのではないかと疑うほどに、躊躇なく向かってくる。
「ファイア!」
俺はグレムウルフに向かい、魔法を放つ。その魔法は寸分の狂いもなく先頭にいるグレムウルフへと向かっていく。
「バァウ!」
自分でも感心出来るぐらい、見事に当たった。
極限状態による集中力か、一切外す気がしない。今の俺なら、どんなものにでも当てられる、そんな自信がある。
だがその自信を、グレムウルフは呆気なく壊した。
「バアアア!」
魔法が当たったグレムウルフは、多少よろめいたものの、すぐに真っすぐ走り始める。一切スピードを落とさずにだ。
たとえ魔法の精度は上がっても、所詮は俺の魔法、グレムウルフに致命傷を負わすことは出来ないようだ。
俺は大きく息を吸い、再び魔法を放つ。今度は連射だ。
「ファイアファイアファイアファイアフファイア」
息が続く限り何度でもファイアと叫んだ。そして20発ほどの火球がグレムウルフの群れへと向かう。
グレムウルフたちは無数の火球にはものともせずに直進をやめない。俺にとっては好都合だ。
「バァウ!」
20発もの魔法で大量の砂煙が舞い上がり、俺の視界を塞いだ。
俺の魔法は全て直撃したはずだ。これで数十体は死んでくれるといいな。
そんな俺の淡い期待は、視界が戻った瞬間に消えた。
「バアアアアア!」
俺の約20発の魔法で倒せたグレムウルフは、目視できただけでも3体。
もう魔法は使えない。単純計算でも1000回は死ななきゃ倒せないということだ。
「くそったれえええええ!」
俺は右手にナイフを持ち、グレムウルフの群れへと身を投じる。その姿は傍から見れば無謀そのものだろう。
俺はナイフを先頭にいるグレムウルフめがけて思いっきり突き刺す。
ナイフはグレムウルフの額へと突き刺さり、一撃で仕留めることに成功した。だが、1体を倒した瞬間に、周りのグレムウルフが俺に噛みついてくる。
「ぐああああああ!」
俺は叫びながらなんとかナイフを抜き取り、噛みついているグレムウルフに突き刺す。だが急所に当たらない攻撃では一撃で仕留めることができず、逆に噛む力が強くなっていく。
やがて、俺の体中にグレムウルフがその牙を深く食い込ませる。
俺は指一つ動かすことのできない状態になった。
「ぐっ、ぐああああ!」
全身に激痛が走る。
痛い、どうしようもないほど痛い。一瞬で死ねたサイドレオーネの時とは全然違う。
全身から血があふれ出し、死ぬほどの激痛が俺の体を駆け巡る。
その時間が、どうしようもなく長く感じる。
まだ……まだ死ねないのか!
「ハアッ、ハアッ」
気付いたら俺は、グレムウルフとは少し離れた位置にいる。
どうやら、気付かぬうちに死んだらしい。
「ほら、生き返るんだ。だから…………ファイア」
俺は再び手を向かってくるグレムウルフにかざし、魔法を放つ。
何発も何発も魔法を放つ。そのすべてはグレムウルフに直撃した。自分でも冷静を欠いた状態だということを自覚しながら放った魔法だが、的が多い分、全て当たってくれる。
その魔法で、またグレムウルフが数匹息絶える。
そして、神の計らいによるものなのか、グレムウルフに突き刺したはずのナイフを右手に持ち、もう一度グレムウルフの群れへと身を投じる。
そしてまた、苦痛の時間が始まる。
1匹2匹を倒したところで先程と同じように身動きが取れない状態になる。全身を噛まれ、身を引き千切られる。
じわじわと生気が無くなっていく。だが、すさまじい痛みによって、俺の意識は死ぬまで覚醒したままだ。
そして数秒後、俺は再び死んだ。
「まだ……まだ俺は、壊れてなんかない」
俺は朦朧とする意識の中、グレムウルフを見据え、手をかざす。
手をかざしたときに始めて気付いた。俺の手が、震えている。
手だけじゃない、足も震え、動くことが出来ない。
「まだだ! 俺は、まだ……ファイア」
手を震わせながら、俺は魔法を放つ。
先程と同じく、俺の魔法で数匹のグレムウルフを倒す。あとはナイフで数匹殺すだけ、そう思いグレムウルフに立ち向かおうとするが、足の震えが止まらず、動くことが出来ない。
俺はグレムウルフに立ち向かうことが出来ない。だが、グレムウルフは容赦なく俺に襲い掛かる。
近づくグレムウルフにナイフを振りかぶり応戦するが、でたらめに振るった攻撃が当たるはずもなく、すぐに体中にグレムウルフの牙が深く食い込む。
また始まる。
時間にすればほんの十数秒、だが永遠にも感じられる苦痛の時間が。
死ぬまで俺を蝕む激痛で、俺は覚醒した意識のまま三度死を迎える。
「ハアッ、ハァッ…………くっそがああああ!」
俺は、俺を何様だと思っていた!
こんなのに耐えられると思っていたのか? ここに来る前引きこもりをしていたような俺が?
何故思い上がった! いつから錯覚していた! 俺が、成長していると……
俺は引きこもっていた時と何も変わっちゃいない。人はそう簡単に変われやしない。分かってたことだろうが!
今すぐ逃げだしたい、ここから。
だけど、足が動かない。震えが止まらない。
情けない、逃げることさえもできない自分が、心底情けない。
「バアアアアア!」
その場で足を震わせ動けないでいる俺に、グレムウルフは容赦なく襲いかかる。
俺は震える手をかざし、魔法を放つ。
「ファ、ファイア! ファイア! ファイアアアアアア!」
恐怖で悲鳴を上げる代わりに、魔法を必要以上に大きな声で唱える。
だがその魔法も、すぐに魔力を使い切り撃てなくなる。そして先程と同じようにグレムウルフに全身をかみ砕かれる。
「グアアアアアアアアアア!」
痛い、もう嫌だ。死にたくない。
俺は目から大量の涙を流しながら、今日4度目の死を迎える。
「いやだ……」
俺にはもはや戦意はなかった。戦意だけではない。今の俺には、恐怖以外の感情が全くない。
襲い来るグレムウルフに対し、もはや魔法を放つこともなく、ただただ呆然とするしかなかった。
神の懸念した通り、俺は壊れる寸前だった。
そんな俺にグレムウルフはなんの躊躇いもなく襲いかかる。
その瞬間、
「ファイア」
俺の後ろから魔法を唱える声がした。
そして、俺のとは比べようがないほどの火球が、グレムウルフに向かい、直撃する。
たった一発のファイアで、グレムウルフを10体ほど倒してしまった。
俺は恐る恐る後ろを振り返る。
「な、何で来たんだ、ナナ!」
そこに立っていたのはナナだった。
他に人はいない。ソウラも、アカネも。ナナ一人で、この場へと赴いたということだ。
俺が言えることではないが、自殺行為だ。
「おいナナ、早く逃げるんだ!」
壊れかけていた俺だが、ナナを見たおかげか、ギリギリのところで正気でいられている。
「…………」
ナナは俺の呼びかけに応じず、スタスタと歩く。その顔は無表情で、いつものナナとは雰囲気が違う。
そして俺の前に立ち、グレムウルフめがけて魔法を放つ。
「ラージウォーター」
ナナが、無機質な声で魔法を放ち、ナナの手から大量の水があふれ出る。
その水はグレムウルフ数百体に直撃したようだが、ダメージは一切ないようだ。
俺の目からはかなりの大技に見えたが、それすらもグレムウルフを倒せないのか。
俺が絶望した瞬間、ナナは続けて魔法を放つ。
「サンダー」
ナナの手から電撃が走る。
その電撃は先程の魔法と比べるとかなり小さい。俺の魔法より少し大きいだけだ。
そんな魔法じゃ倒せない、そう思ったが、電撃がグレムウルフに直撃した瞬間、大量のグレムウルフが倒れた。
「な……なにが起こったんだ?」
目の前の光景に呆気にとられ、思考が一瞬停止したが、すぐに状況を理解する。
水と電気、大量のモンスターと戦う場合、これ以上に有効な手は多くはないだろう。
グレムウルフは今ので100体以上は死んだ。
俺とはやはり戦闘力が段違いだ。
「エルフレイム」
俺の知っている魔法、それは以前俺が見た以上の威力があるように見える。
あの時より広範囲に炎が広がっている。
「ど、どうして? また威力が上がったのか?」
あの魔法でグレムウルフの数が激減した。
まだたくさんいるが、少なくとも300体は倒しているように見える。
「ハハ……ハハハハ……」
ナナが急に笑い出す。
だがその声は邪気をが帯びているように聞こえ、表情もどことなく歪んで見える。
これに似たものを、俺は見覚えがある。
「ネイドウィンド!」
近づいてくるグレムウルフに風魔法を用いて遠ざけるナナ。
その風は台風とも呼べるほど勢いのある風で、グレムウルフを全て吹き飛ばす。
圧倒的だ。
たった一人だというのに3000体のグレムウルフを圧倒している。
ナナの魔法が常人よりも強いということは知っているが、これは異常だ。
「エルフレイム! エルフレイム! エルフレイム!」
ナナが何度もエルフレイムと唱える。
やっぱり、おかしい。
魔法の威力が上がったというのなら、信じがたいが、納得はできる。
だが魔力量はどうだ。ナナはすでにエルフレイムを4発、そして強そうな魔法を数発放っている。
ナナは、以前エルフレイムは自分の使える最強魔法で、5発で魔力が切れると言っていた。
もう魔力が切れるはずだ。
だが、ナナは魔法を唱え続け、魔力が切れる様子がない。
「おいナナ! お前一体どうしたんだ!?」
俺の呼びかけにナナは一切返事をしない。振り向くことさえしない。
歪な笑みを浮かべ、グレムウルフに向かって魔法を放ち続ける。
グレムウルフの数は見る見るうちに減っていき、もはや1000匹もいない。倒しきるのも時間の問題だ。
これがナナの本気だったのか? だが力だけなら理解はできるが、性格の変貌まで理解はできない。
ナナはモンスターの戦いのとき、生き生きとした表情を見せたが、こんな歪な笑みを見たことはない。
ナナはこんな顔をする奴じゃない。
何か、何か理由があるはずだ。ナナの力が急激に上がり、性格まで変貌した理由が。
俺が必死で考えていると、ナナがとある魔法を放つ。
「ブラスト・ウォーター!」
瞬間、思い出した。
ナナが唱えた魔法、それを以前使ったやつがいる。
そいつもいきなり力が上がり、性格も変わった。
俺よりも弱かった奴が、一気にレベル20相当の力を手に入れた。
「ナナ、お前は…………イルクの水を使ったのか」
あの水を使用したならナナのこの力にも説明はつく。ライですらあの力の上がりようだ。元々レベルに見合わない魔法の威力を持っていたナナがあの水を使用すれば3000体のモンスターも倒せるかもしれない。
そこはいい。問題は、ナナがイルクの水を使用したということだ。
なんでだ、なんであんなものを使ったんだ。あれを使えば強力な力を得る代わりに、精神が蝕まれるはずだ。
どれくらい使用したかは分からないが、正気を保っているようには見えない。おそらく相当数のイルクの水を使っている。
どうして……
「君のためだよ」
突然、神の声が聞こえた。
「俺の……ため?」
「君が出て行ってから数分経ってからかな、ナナは君の作戦に気づいたんだ」
「俺の作戦に気づいたんなら、生き返るってことが分かったってことじゃないのか?」
「問題はそこじゃないよ。死に続けるということが問題なんだ」
「何言ってる。それがこの作戦の要だろ」
ナナは死ぬことがどういうことかはわかっていないはずだ。俺だってここまでつらいことだってのは分からなかった。実際に死んだ俺がだ。それなのになんでナナが。
「知ってたよ。死に続けることがどういうことか」
俺の心を読んだ神が答える。
「数年前にね、この世界の人間の一人にスキルをあげたんだ。君のように生き返る力をね」
「スキルをあげた?」
「スキルの習得には二通りあるんだ。元々持っているか、僕が授けるか。僕は生まれてくる子にはスキルを授けることが出来るんだ。その子がどう成長するか分からないから結構博打なんだけどね。失敗したらイーバみたいなのを作っちゃうから」
イーバか、確か洗脳のスキルを持っていたな。あいつは神の失敗作ってわけか。
「それで、その生き返りのスキルを持ってたやつはどうなったんだ?」
「今の君と同じように、モンスターの大群と勇敢に戦い……壊れたよ。最後はさすがに可哀想と判断したから、もう生き返らせることはやめたんだ」
俺は一歩間違えたら、そいつと同じように壊れていたってわけか。だからナナは、俺が壊れないように助けに来てくれたってことか。イルクの水を使って。
なんで俺のためにそこまでしてくれるんだ。俺はナナ達のためにどんなことでもしてやろうって思う。ナナ達は俺にとって初めて心を許せた、仲間だ。この関係を失わないために、おれはなんだってしてやろうと思えた。
だけどナナがここまでする理由が分からない。俺にそこまでする価値があるのか?
「理由ならあるよ。ナナにとって君は――――」
「キャハハハハ!」
神の言葉を遮るように、ナナが狂った笑い声をあげる。
見るとすでにグレムウルフはほとんど息絶え、逃げ出している。勝ったんだ。あの大群にナナ一人で。
「終わった……のか?」
街の危機は去った。俺はそう思った。
だが、
「ファイアー!」
ナナが何もない場所へと魔法を放つ。
「キャハハハ! ファイアー!」
何度も魔法を放つ。その魔法は地面にクレーターのような小規模の穴を作るほどだ。
そんな穴をいくつもいくつも作っている。この場には誰もいないからいいが、これが何時間も続くのであれば、非常に危険だ。
「おいナナ! 戦いはもう終わった! 魔法を撃つのをやめろ!」
だがナナは止まらない。
絶えず魔法を放ち続けている。
「マサト君、ナナはライ君とは比べようのないほどイルクの水を服用している。この状態は、あと1日は続くよ」
「1日!? 何とかならないのか!?」
こんなのが1日も続いたらこの辺はもちろん、近くの村にも被害が及ぶ。そうなればナナは、正気を取り戻しても罪悪感で壊れてしまうだろう。
「おい神! 何か方法は!?」
「……気絶させれば、最悪の事態は防げるだろうね」
「よし分かった! ファイア!」
俺はナナの無防備な背中めがけて魔法を放つ。
だが、
「ファイアー!」
ナナが突然振り返り、魔法を放つ。
その魔法は俺の魔法を軽々と打ち破り、俺に直撃する。




