第105話 「安らかな眠り」
「……俺、しぶといな」
グレムウルフの攻撃が間近に迫った時、俺はすべてを諦めていたはずなのに、その攻撃を避けていた。
渾身の力で地面を蹴り、あとコンマ数秒遅ければ死んでいたのは確実なほどの、紙一重な回避。位置関係は逆転し、グレムウルフが壁際に位置を取っている。
しぶとく生き残る俺に、この戦いを見物しているイースは不機嫌な口調でこう言った。
『しぶといわね。もう勝負は決まっているのに、どうして足掻くのよ』
悪いな。これが俺のプレイスタイルなんだ。
たとえどんな状態であっても、俺は勝つ可能性が1%以下だろうとも、0でないのなら戦い続ける。
勝つ可能性があるのなら、何徹だってして挑み続けるのが、俺のプレイスタイルだ。
だから……勝つ方法があるのに諦めるなんて、俺じゃない。
「来いよ。グレムウルフごときが、グラシャ=ラボラスを倒した俺に勝てると思ってんのかよ」
ゲームでの話。現実ではドラコキッドにすらてこずったことのある俺だが、それでも同じことだと考える。ゲームでも現実でも、圧倒的なステータス差があるのは当然のことではないのか?
攻撃力も防御力も体力も、ゲームの世界ではなにもかもが下回っていた。新しいモンスターと戦う時はいつもそうだった。それこそがゲームなのだ。
だからステータスが低いことは、負けていい理由になんかならない。
俺はこの状況を認識し、ステータスの低さを考えた上で、勝つ方法を考えた。
だから諦めない。はるか遠くの、数多の障害が存在するいばらの道であろうとも、道中に死ぬ可能性が存在するとしても、その先に勝利があるのなら俺は諦めない。
勝利のために、ただひたすらに進む。
「負けねえぞグレムウルフ!」
「グルアアアアアアア!」
俺の叫びに呼応するように、グレムウルフも吠える。
勝つ確率が限りなく0に近いこの状況で、俺は頭をフル回転させて今を認識する。
敵のスピードは俺よりもはるかに速い。真正面から攻撃しに行っても避けられるか迎撃されて完膚なきまでに蹂躙されるか、二つに一つ。
俺の取るべき攻撃方法は、敵に攻撃させてのカウンター、これ以外にない。攻撃された時こそ攻撃のチャンス、それはゲームでも現実でも同じことだ。
問題は相手の攻撃のタイミング、それが分からなければカウンターを有用することは出来ず、逆にカウンターを仕掛けた側が大ダメージを負うことになる。
いわば諸刃の剣、今の俺では失敗=死になることは避けられない。
だが、失敗するなんて微塵も思わない。
なぜなら俺は、敵の攻撃のタイミングを操れるから。
「俺は——」
言いかけたところで、グレムウルフは突進してきた。思い通りの敵の行動に、俺はほくそ笑む。
俺は跳んできたグレムウルフのギリギリ横を通るように、斜め前へと体を滑り込ませる。
そして去り際、ナイフの刃をグレムウルフの横っ腹に切り付けた。
「くっ……!」
グレムウルフの肉は固く厚い。仲間を殺して得た防御力に、俺のナイフは深く食い込むことはなかった。ほんの少し切り傷が出来ただけ、血が薄っすらと見える程度だ。
ダメージは微々たるもの、ダメージとして感じているかも怪しい。
だが確実に、傷つけることは出来た。これならば勝てる可能性は0ではない。
グレムウルフは俺がスキルを発動しないように「俺は」と言っただけで突進してくる。
スキルを第一に考えればグレムウルフの行動は正しい。だがそれは、攻撃のタイミングを俺に教えていることに他ならない。
グレムウルフの攻撃のタイミングは、完全に俺がコントロールできるということだ。
「あとは、どこを狙うかだ」
モンスターの弱点、そこを探し当てることが出来れば、あとはそこを重点的に狙うだけ。
これもゲームと同じだ。何度もトライアンドエラーを繰り返して敵の弱点を探し出す。そして見つけ出した弱点を容赦なく狙い、モンスターの命を刈り取る。
仮に俺が今攻撃した箇所が弱点なのだとしたら、そこを攻撃し続ければいいだけ。
微々たるものだが傷をつけることは出来るのだ。何度も何度も切り付ければ、おのずと勝利は近づいてくる。
「これなら、勝て—―」
「グルッ!」
勝てると思った瞬間、グレムウルフは俺に攻撃してきた。
そうか、普通に考えればそうだ。俺のスキルに反応して攻撃するからと言って、グレムウルフが俺がスキルを発動しなければ攻撃しないというわけではない。
グレムウルフは自分自身の意思で攻撃するということも当然のように起こりうる。
「っ……!」
間一髪、体を無理矢理ひねることでその攻撃を避ける。最初に攻撃をくらっていたせいでダメージを負っている俺には正直キツイ。節々から骨が軋む音が聞こえ、動けていることさえ奇跡のように思える。
だが、まだ動けている。
「俺は——!」
グレムウルフに攻撃を促す。
敵が自分自身の意思で攻撃するよりも前に俺が攻撃を誘導することにより、グレムウルフは俺めがけて突進を繰り返す。
そしてその攻撃に合わせて俺はナイフで切り付ける。徐々にダメージを蓄積させていき、グレムウルフから流れる血の量は目に見えて多くなっていく。
それでも動きに衰えを見せることはなく、俊敏な動きで幾度も俺の肝を冷やすグレムウルフ。
ここまで傷つけているというのに、一向に弱点が見つかる気配がない。
レベルが上がり弱点が消えたのか?
だとすれば俺はこうして少しずつ切り傷を与えていくしかない。
それでも勝機はあるにはある。だがその攻撃では一体いつ倒れるかが予想できない。もしかしたら俺の体力の方が底を尽きるかもしれない。
というか、そっちの方が濃厚だ。俺はグレムウルフの攻撃をモロに受け、傷ついた体に鞭を打って戦っている。いつ体が悲鳴を上げ、使い物にならなくなるかもわからない。
そろそろ決定打を与えなければ、元々低い勝つ可能性が、どんどん低くなっていく。
……賭けに出るしかない。
倒すか倒されるか、勝負を決定づける賭けを。
「俺は——」
敵の行動を誘導する。俺への攻撃を絶え間なく行わせることにより、この場から少しずつ移動して敵と俺との位置関係を変換させていく。
攻撃を最小限に、敵の体をいなすことを考える。闘牛のように突進させ、徐々に俺の理想とする位置にまでグレムウルフを誘導する。
そして攻撃の誘導を開始して約3分ほど、俺とグレムウルフの位置関係は理想的になった。
それを見て観客であるイースが、笑い声をあげてこう言った。
『ふふふふ、壁際に追い込まれて、いよいよあとがなくなったようね』
俺の背中には、グレムウルフの突進にすら耐える頑強な石の壁がある。
退路はなく、傍から見れば絶体絶命のピンチと言って差し支えない。
だがこれこそが、俺がグレムウルフを倒すために必要な状況だ。
俺は意を決し、攻撃するように促す。
「俺は——」
いつもと同じように、俺の言葉に反応してグレムウルフはその額を俺めがけて突っ込んでくる。
その迫力に押され一瞬だが躊躇するも、俺はナイフを構えて迎撃の態勢を整える。
そしてグレムウルフが俺の目の前に到達した瞬間、俺は左手に持つナイフの柄を壁に付け、腕だけを残して体は攻撃に当たらないように避ける。
「喰らえっ!」
壁に支えられたナイフがグレムウルフの額へと深く食い込んだ。
当たる寸前に左手を体に引き寄せることによって、俺はほぼ無傷でこの賭けに成功することが出来た。
敵の額からは血が大量にあふれで、力を失ったのか、その場に崩れ去る。
「グルゥゥ……」
声に力が感じられない。もはや戦う力はこいつには残っていない。
俺の完全な勝利だ。
……なのに、グレムウルフはいまだ、その瞳を俺へと向け続けている。
「もう……俺の勝ちだろ」
言い聞かせるようにつぶやいた。
もはや俺の勝ちは揺るがない。脳天を貫かれて、生きていることすら奇跡に近いこの状況、これ以上は戦うことすら不可能なはずだ。
いや、戦うどころか、身動き一つ取れそうもない。
そんなグレムウルフに、イースは荒々しい声で鞭を入れる。
『立て! 立つのよ! 数千、数万のモンスターを倒したあなたは、それぐらいじゃ死なないはずよ! 立ちなさい!』
その言葉は俺の機嫌をこれでもかと損ねる。
あまりにも自分勝手、あまりにも非情なその言葉は、聞いているだけではらわたが煮えくり返ってくる。これ以上は死体に鞭を打つようなものだ。
戦うことは不可能だ、そう思っていた。
「グル……ウゥゥ……!」
グレムウルフは大量の血を流し、額にナイフが突き刺さっている状態だというのになおも立ち上がる。
力なくよろよろと、今にも倒れてしまいそうなのに、俺という敵を見据え、グレムウルフは立ち続ける。
これが、モンスターの本能というやつか。
『そうよ、やりなさい! 今のあいつにあなたを殺す力は残っていないはずよ!』
イースは興奮した様子でグレムウルフに指示を出す。それに従おうとしているのか、俺の元へよろよろと歩みを進めるグレムウルフ。
もはや逃げる意味もないだろう。俺に殺す力がないと言っていたが、それはこいつにも言えることだ。
俺を倒す力など、とうに残っていない。こいつはレベルが上がったことにより耐久も上がり、ギリギリ生き残っているに過ぎない。
「グ……!」
その歩みは、俺の目には痛々しく映る。
グレムウルフが俺に近づいてくるのを、俺は憐みの目を向けて見守る。
それに気づいたのか、グレムウルフは歩みを止めて、俺の目をじっと見てきた。
その目には生気が薄れているように見え、今にもその瞼は下りそうになっている。
それでもグレムウルフは目を閉じない。俺の目を見て、何かを訴えるようなまなざしを向け続ける。
額から溢れる血が伝い流れて目を覆う。まるで涙を流しているような、悲しみの表情に見えた。
「……そうか、分かったよ」
もう言葉も発していない。ただゆっくりと、俺に歩み寄ってくるだけだ。
それだけで、俺には分かった。
こいつが何を思って俺の元に歩み寄ってくるのかが。
「楽に……なりたいんだな」
グレムウルフは苦しんでいる。額に突き刺さったナイフの痛みではない。今こうして一人で戦っていること、それに、涙しているのだ。
目の前にいるのはモンスターだ。人類の敵だ。
だけど、もう苦しまなくていい。
俺が、楽にさせてやる。
向かってくるグレムウルフに、俺もまた歩を進める。
距離が近くなった時、イースの喚き散らす声が聞こえ、俺を殺せという言葉が何度も聞こえてくる。
だがそれらのすべてを無視し、俺に体を預けてきた。
目を閉じ、自分の運命を受け入れているかのように。
ならばこそ、苦しまずに一瞬で殺してやる。
今のこいつになら使える。
素早く動くこともなく、俺の攻撃を避けようとする動作すらしないだろう。
限りある、俺の持つ最強の武器で、こいつを楽にしてやる。
「グレムウルフ、色々あったけど、まあ……安らかに眠れ」
懐から取り出した銃を向け、グレムウルフの脳天を撃ち抜いた。
頭は吹き飛び、無残な死体だけがそこに残った。
これでもう、苦しむことはないだろう。




