第100話 「真の絶望」
戦地は阿鼻叫喚、地獄の様相を呈していた。
火、水、風、光、闇、五種の魔法が入り乱れ、5色の攻撃は虹のように戦場を彩っていた。だがそれは、決して人の心を躍らせるものではない。
その場に踏み入れた瞬間にその者の命をいとも簡単に刈り取ることが出来る、究極の殺戮兵器、目の当たりにしただけで足が震えあがり、まともに立っていることすら困難な状態だ。
それに立ち向かうモンスター達、まるで死の恐怖を微塵も感じられない俊敏な動きで人類最後の砦たるタストの街に、臆することなく踏み入れようとする。
全方位完全に狂ったレベル100のレイ教に囲まれたタストの街は無敵の要塞と化しているものの、決して止むことのない、嵐のような怒涛の攻撃に俺たちは不安を隠せない。
いくらイルクの水で強化され、おそらくは最強の力を手に入れている兵隊をもってしてもこのモンスターの戦意を消し去れるのか、このまま同じことを続けているだけではいずれモンスターはこの街に入ってくるのではないか、そんな不安を人類に抱かせるモンスターの猛追。
さらに神からレイトが敵の大将を倒したという連絡も来ない。
俺は、戦争というものを甘く見過ぎていた。予想外のことが平然と起こりうる最悪の事態、それが戦争なのだ。
ルールに縛られたゲームという世界に長いこといた俺には、想定できなかった事態。このままではいけないと、俺のカンも告げている。
何か手を打たなければますいことが起こる。そんな漠然とした不安だけが募っていく。
敵の動きが止むことはない。イーバ達レイ教の魔法もとどまることもない。
完全な硬直状態の今、何かしらの作戦を考え実行に移さなければ、俺たちはこの戦争に負け、死んでしまうかもしれない。
だが、この状況を好転させる都合の良い作戦など、考え着くはずもない。
俺のスキルを用いても、そんなことは不可能だ。俺のスキルではたとえ作戦があるのだとしても、俺がその通りに動かなければ意味がない。
そしてそれが具体的にどんな作戦なのか、音声なしの幻影だけでは知る由もない。
「マサトさん、ヤバイです! 敵の数が減るどころか、どんどん増えています!」
迫りくるモンスター達にナナも不安を露わにした表情でそう叫ぶ。
モンスターはぎゅうぎゅう詰めでこれでもかというほどこの野原に埋め尽くされており、一部の無駄もない動きで、まるで軍隊の行進のように進行を続ける、完璧な動きだ。
もしも完璧なままこの街に侵入されることがあれば、あっという間に壊滅することは免れない。
「おい神! モンスターの数はあとどれくらいだ!」
現状を確認すること、それは戦争において最大のアドバンテージになる。
神という全体を俯瞰的に見ることが出来る存在が味方にいることは、俺たち人類にとってこの上ない味方であるはずだった。
しかし、一体どういうことなのか、神の言葉は俺に届くことはない。
(……………………)
ただただ沈黙が流れるだけ。聞いてからどれだけの時間が経とうとも、神からの返答は一向に俺の脳に届いてこない。
いつもはいらない時ほど俺に語り掛けてくる神だというのに、肝心な時には常に役に立たない。
くそが、マジで神なんか死んでしまえ!
心の中で罵詈雑言を思い浮かべて神にぶちまけていると、傍らにいる、イーバの洗脳に唯一対抗できるナナがつぶやいた。
「敵は100万以上ですか、長期戦になりそうですね」
何食わぬ顔でモンスターの数を推定したナナ、俺はなぜそんな数が出てくるのか分からなかった。
目の前には目測できない位置にも敵はいるはず。今の俺たちの位置からは推定すらできないはずだ。
「ナナ、どうして敵の数が分かるんだ?」
俺が聞くと、ナナは心底不思議そうな顔でこう言った。
「どうしてって……神様がそう言ったからですよ? 敵はあと100万はいる、何とか頑張ってくれって」
さも当たり前のようにそう言うナナだが、俺には十分に衝撃的なことだった。
神がそう言った? ありえない。俺には神の言葉はまるで届いていない。
「おい神! 聞こえていたら返事しろ!」
「マ、マサトさん? 神様はちゃんと返事をして……えっ? 神様、それはどういうことですか?」
「どうした、また神がなんか言ってきたのか?」
しかし、やはり俺にはその言葉は聞こえてこない。
どれだけ耳を澄ましてみても、あの軽薄な口調は一片たりとも俺の耳は拾い上げない。
「ナナ、神はなんて言ってる?」
「え、えっと……マサトさんがいなくなったって」
「はあ!?」
それはどちらかといえば俺のセリフだ。
どれだけ呼んでも反応しない、聞こえない。知りたい情報を聞いても一切答えてくれない。
まるで俺の声が届いていない、存在そのものがどこかへ行ってしまったのではないかと疑うような事態だ。
「よく分かりませんが、神様はマサトさんのことが見えなくなっているみたいです」
「……ナナは、神の言っていることが聞こえるのか?」
「はい。というか、マサトさん以外はちゃんと見えてるいらしいです」
なんだそれは!?
あれか? 俺だけは異世界から来た異常な存在、だから神の力が及んでいないとでもいうのか?
だとしたら、なぜ今まで神は俺に語り掛けることが出来た。なぜ俺の声が神に届いた。
なぜ、神を必要とする今の状況で、声が聞こえない。
頭の中でなぜという単語が何度も頭の中を駆け巡る。
だがどれだけ考えたとしても何も考えつかない。分かるのは、俺には神の声は聞こえないという事実だけ。
「……考えていても、仕方ないことか」
神にすら俺に声を届ける方法がない以上、ナナを中継役にして現状を把握するしかない。
いちいち手間がかかるし、ほんの少しのタイムラグもある。今はまだ平気だが、のちのち致命的になる可能性もありうる。
……いや、俺以外は普通に神の声が聞こえるのだから、そこまで問題はないか。俺は俺のことだけを精一杯やればいい。
というか、神の言葉どうこう言っていられる状況じゃなくなってきた。
「おいナナ、あんなモンスター、見た事ないぞ」
上空に、空中要塞とでもいうべき、巨大かつ黒々とした、竜のような形をした見覚えのないモンスターが浮かんでいる。
距離的にはそのモンスターはまだまだ後方だが、あのスピードからすればそう時間をかけることもなくここに来る。
「わたしも……あんなモンスター、みたこと、ないです……」
ナナが足を震わせ、目を見開き巨大モンスターを見やる。ナナだけではない。おそらくはこの街にいるすべての人間が、あの異様に巨大なモンスターを見上げ、恐怖している。
錯乱しているのか、この距離では届くはずもないのに照準を上空に合わせ、魔法を乱射している。まったくもって無意味な攻撃だ。
だが、それをやってしまう気持ちも分からないでもない。
それほどまでにそれは巨大で、他を圧倒する存在感を放っていた。
「ナナ、神はなんて言ってる!」
「えっと……あれはネストドラゴン、だそうです……」
「ネストドラゴン!?」
その名には聞き覚えがある。ゲームの中であった、たまにあるボーナスクエストに出てくるモンスターだ。
確か通常のドラゴンよりも比較的に大きくて、その体内はあらゆる種類のドラゴンが巣くっているという、寄生されるドラゴン。ただし中にいるドラゴンの力は中盤に出てくるようなモンスターばかり、数の割にたいしたことがなく、しかし貴重な竜の逆鱗などの素材を得られることから、プレイヤーからサンタドラゴンなんて呼ばれてたドラゴンだ。
だが、こんなにも大きかった記憶なんてない!
ネストドラゴンの体長は50メートル、それでもかなり大きい部類にはいるモンスターだが、目の前にいるドラゴンの大きさは遠目に見ても200メートルはゆうに超える。
俺の知っているモンスターでは、ない。
「だけど、言われてみれば確かに見た目はネストドラゴンに似ている。いったいどういう……?」
俺が考えている中、冒険者たちはネストドラゴンへの攻撃をやめない。
初めは遠くにいて攻撃があまり当たらなかったが、徐々に攻撃は当たり始める。
しかしイルクの水で強化されている魔法でさえも、ネストドラゴンにはほんの少しのダメージしか与えていないように見える。
あの巨大なモンスターにとっては、人間の力などまるで無意味なようにさえ思える。
「あれが、モンスター側の切り札、ってことか」
ネストドラゴンは進行を続け、ついにはタストの街とは目と鼻の先にまでたどり着いた。
上空に浮かぶ巨大なモンスターを見た冒険者は攻撃を繰り返し、なんとか撃退しようと躍起になる。
しかし俺は、ある違和感を覚えていた。
ネストドラゴンが攻撃してこない。まるで攻撃されることを目的としているかのような動きだ。
俺はゲームのことを思い出し、ネストドラゴンのことを考える。現実とゲームでは弱点は違うが、ある程度に通っている特徴もある。
それを思い出し、敵を倒す算段をつけ…………。
数秒後、重大かつ深刻なことを思い出した。
「攻撃をやめろ! 今すぐやめるんだあああああああああああ!」
攻撃を繰り返す冒険者たちに、喉が張り裂けんばかりの大声をあげて制止する。
あれを倒してはいけない。あれを倒せば、俺たちの敗北がほぼ決定する。
「どうしたんですかマサトさん!? あれを倒さないと街が……」
「忘れたのか!? ネストドラゴンは、死んだ後に体内のドラゴンを解放するんだ!」
「……あっ!?」
あくまでもゲームでの話だが、ネストドラゴン自体を倒すことは難しくない。中堅冒険者の投
剣スキルで一発だ。
問題はそのあと。倒されたネストドラゴンは自身の体を爆散させ、その中からネストドラゴンの体内で育っていたドラゴンが一斉に噴き出してくる。
ゲームでのモンスターはあまり強くなかった。
だが目の前のネストドラゴンはゲームよりも強大で、頑丈な作りをしている。そんなモンスターの体内で育ったドラゴンが弱いはずもなく、また、今の俺たちの状況では中盤に出てくるモンスターでさえも危ない。
「すぐにやめさせねえと大変なことに……ナナ、神に攻撃をやめさせる命令をさせろ!」
「はい……ああっ、マサトさん!」
ナナはネストドラゴンを指さし、神への指示を送ろうとしない。それは絶望的な行動だった。
俺はゆっくりと、淡い希望を抱きながらナナが指さした方に視線を向ける。
まだ……まだ大丈夫。攻撃を始めてからそんなに時間は経っていない。
だがそんな希望は、すぐに打ち消される。
「ギイイイィィィアアア!」
ネストドラゴンの咆哮が街中に響き渡る。
その咆哮は嵐のごとき風を巻き起こし、周囲の物を吹き飛ばす。
俺はイーバを括りつけている棒を全力の力で掴み、その風で吹き飛ばされないようにする。
ナナも俺に倣い棒にしがみつき、肩までかかる髪をなびかせながら、必死にその場にとどまろうとしている。
この叫びで、幾人かの冒険者は吹き飛ばされ、壁や地面に叩きつけられ、血を流し気を失った。
「ぐっ……くぅぅ……!」
約30秒にわたるネストドラゴンの咆哮は、冒険者だけでなく街にまで被害が及んだ。
作りの粗い木製の家は半壊し、とても人が住める状況ではなくなっている。
あの中にいた人間は、おそらく……。
「くそっ! この上、モンスターを街に落とそうっていうのかよ!」
咆哮をあげたネストドラゴンは、すでにその目から生気を失い、巨体をゆっくりと地面に下ろそうとする。
そして地面に落ち切る前に、ネストドラゴンの体が膨張し始めた。
まるで体内から、自身の体では抑えきれない力が溢れ出ているかのように、巨体は膨張し続け、やがてそれは破裂する。
「…………終わった……」
破裂したネストドラゴンの体から、数え切れない無数のドラゴンが街中に解き放たれた。
ドラコキッドのような小さなドラゴンから、体長10メートルを超える、人間と比べるとあまりにも大きすぎるモンスターが、街に向かって翼を羽ばたかせる。
もはや絶望的、この街は……この世界は終わりだ。




