イメチェン発動
次の朝、8時にセットしていた目覚まし時計の音で目が覚めた俺は、寝る前と寸分違わない場所に座ってゲームをやり続けているノエルの姿を見てギョッとした。
「ノエル、夜通しやっていたのか?」
「はい、そうです」
俺の声にこちらを振り向いたノエルの顔を見てますますギョッとする。
寝不足で目が充血し、一晩で老婆のような形相になっている。
「まだまだ、好感度が足りません。うう……」
呻くノエル。
「今どれくらいなんだ?」
「六十三パーセントです」
おお? 俺は心の中で驚きの声を上げた。
攻略のレベルにはイージー、ノーマル、ハードの三種類があり、ノエルがプレイしているのはイージーだ。
人気が一番高いなら、攻略ももっとも難しいアーサーの好感度を、たった一晩で半分以上上げたのは、ノエルがオトゲー初心者だということを考えると、称賛に値する。
「ここがどうしてもクリアできません」
ノエルが画面をにらむ。
画面を見ると、主人公が悩めるアーサーを慰めているシーンが表示されている。
ほほう。確かにここは俺も少し難航したところだ。しかし、周りのサブキャラの話をじっくり聞いて考えると、意外に簡単にクリアできるのだ。
だからここで、俺がここで一言アドバイスすれば、簡単にクリアできて次に進むことができるだろう。
まあ、教えるつもりはないがな。
ここは誰もが通る道。簡単に答えを教えてはゲームのハマリ度合いが減ってしまう。
しかしかわいそうだから、少しヒントをだしてやろうか。
「ほかのキャラの話も聞いてみたらどうだ?」
「ほかの人の話はここでは関係ありませんよ」
ノエルは画面を見つめながら答えた。
バカなやつめ。これであと三時間は時間を棒に振ったな。
俺の憐みの心境をよそに、ノエルはゲームをセーブすると、俺に向き直った。
「さあ、モテる男の第一歩を進めましょう」
「やっぱり、やるのかぁ」
俺はため息交じりに返事をした。
今日は俺がやらなければならないミッションがある。
眼鏡からコンタクトレンズにかえることだ。土日もやっている眼科は事前にインターネットで調べていた。
眼科で視力検査などをし、適応性を確認するため、生まれて初めて目に入れたコンタクトレンズをはめたまま、しばらく眼科の待合室で待機。とくに問題がないということで処方箋をもらうと、眼科と隣接しているコンタクトレンズショップへ。
必要なものを買いそろえ、コンタクトレンズをはめたまま外に出る。
「おお!」
世界が違ってみえた。
行き交う人の表情がよく見える。街路樹の枝や葉の様子が移動するごとに徐々に配置を変えていくのがしっかりと見える。
「すごい。まるで3D画像を見るみたいだ」
いやいやあっちが偽物で、こっちが本物なのだ。
「俺は今、本物の世界を見ている!」
思わず叫ぶと、俺の周りを歩いていた人たちが驚いたように俺を見て行った。
「博士様、独り言が大きいですよ」
「……うれしすぎてつい叫んでしまった」
次に向かったのは安奈行きつけの美容院だった。
安奈は予約をしなくてもいいと言っていたが、一応事前に電話を入れる。
「急な予約の相談で申し訳ないですが……」
申し訳なさそうに言う俺に、電話に出た女の人は明るい声音で今ならちょうどキャンセルが入ったから、カットだけならすぐにできると返してきた。
少し道に迷ったが、どうにか美容院を見つけることができた。
黄色っぽい色の壁に白い柱。屋根は濃いグリーンだ。ヨーロッパのおしゃれな雑貨屋みたいな雰囲気で、女子が好みそうだ。
「いらっしゃいませー」
中に入ると、さわやかなハーブの香りが鼻腔をくすぐった。トリートメントの匂いかなにかだろう。
受付には二十歳前後の女性が立っていた。
「さっき電話した小林ですけど」
「小林様ですね。お待ちしておりました。今、スタイリストを呼んできます。そちらのソファに座ってお待ちください」
「は、はい……」
丁寧な対応にこちらのほうがおどおどしてしまう。
俺は、美容院を訪れるのはこれが初めてなのだ。
高校二年生にして、美容院デビューをしちゃったぜ。アハハ。
わざとうれしがってみるが、自分が来たくてきたわけではなく、人から催促されて来たというところがひっかかり、心から、うれしいとは思えない。
受付の前にはいくつかソファが並び、テーブルがある。俺は近くにあるソファに座った。そのまま店内を見回す。
鏡は十個ほど並んでいて、そのうち半分は埋まり、それぞれ客が美容師の人に髪を切ってもらったり、トリートメントをしてもらっている。
おっと美容師じゃなくて、スタイリストっていうんだっけ。その人たちもみんなおしゃれで、若い人が多い。
内装も黄色と白を基調していて、ところどころに大小の観葉植物が置かれ、さわやかな雰囲気がある。
ソファの近くに雑誌ラックには女子が読むファッション雑誌に混じって、男子向けの雑誌もあった。男子専用のヘアスタイル集みたいな雑誌を手に取る。
「どんな髪型にするか決めてなかったな」
ぺらぺらとめくってみる。
「いろんな髪型があるんだな」
俺は感心した。そんな中、
「博士様、これなんか、いいんじゃないですか?」
ノエルが指差したのは、アーサーのように前髪が斜めにセットされた男の髪型だった。顔もどことなくアーサーに似ている。
前から不思議に思っているのだが、この前髪をななめにセットするのってどうやってやるんだろうか?
風が吹けばすぐにくずれてしまうじゃないか。
「お待たせしました」
声がかかり、雑誌から顔を上げると、二十代半ばの男の人が、人好きのする笑みを浮かべて立っていた。
「担当させていただく堺です。安奈ちゃんの紹介っていうことだけど、もしかしてお兄さん?」
「そうです」
言って椅子から立ち上がる。
こいつが堺か。
少し長めの黒髪は、つややかに光り、清潔な感じがする。もっとチャラい感じの男を想像していたのでいささか拍子抜けだ。