胸のもやもやが収まらない
急いで唯のほうへ向かう。が、途中で団体客に通行を邪魔されて、俺がその場所にたどり着いたときには、唯たちの姿はなかった。
まわりを見渡す。
くらげコーナーの出口のあたりで、唯とアニスが出て行く後姿が視界の端にはいる。
二人のあとを追う。水族館の通路は魚よりも人の数のほうが大きいのではないかというほど混雑している。俺は唯たちの姿を見失った。
唯、どこにいった?
「あら、小林君?」
話しかけてきたのは、コンビニのお姉さんの千佳さんだった。隣には千佳さんと同じコンビニで働く男の人がいた。二人とも私服でおしゃれをしているのですぐには分からなかった。
「さっき、この前小林君と一緒にコンビニに来た女の子が、きれいな男の子に手をひかれて屋上のほうへいくのを見たわ」
「屋上にいったんですね。探してみます。千佳さん、ありがとう」
俺は急いで屋上に向かった。
そこで目にしたのは、二人がけのベンチにアニスが座り、そのアニスの前に立ち、腰をかがめて、アニスに覆いかぶさっている唯の姿だった。
これはもしや、キスをしている、いやしようとしている姿勢なのでは?
「唯!」
俺は思わず大声で唯の名前を呼んでいた。
「ヒロ君?」
振り向いた唯はきょとんとしている。それでわかった。唯はアニスの額に手をかざしていたのだ。
くらげコーナーで具合が悪そうにしているアニスと出会い、風通しのいい屋上へきたのだという。熱があるか確認するために、額に手をあてているところに俺がやってきたということだった。
「熱はないみたいね」
「ありがとう。まだ詳しく知りもしない僕のためにここまで連れてきてくれて」
「突然、目の前でよろめいてこちらに倒れてきたら、ほうっておけないわよ」
「くらげをみていると心が癒されるんだ。でも夏休み期間は人が多すぎて、かえって疲れてしまうね」
アニスは病弱な美少年を装って言う。
「唯、そろそろ戻らないと、二ノ宮たちも心配してるぞ」
「そうね。でも星野君を一人にしてはおけないわ」
星野とは、どうせ偽名だろう。
「あれ、ここにいたんだ」
二ノ宮たちがやってきた。二人で見て回って屋上までやってきたのだろう。すぐにアニスに気づいて二ノ宮が問う。二ノ宮の後ろのほうで清瀬が、アイドルを見るかのように瞳を輝かせて興味津々にアニスを見つめているのが見えた。
「えっと君は?」
アニスはゆっくりと椅子から立ち上がると、さわやかな笑みを浮かべたる
「星野アニス。唯さんとはちょっとした知り合いでね」
「そうなんだ。僕は二ノ宮。そしてこの子は」
「清瀬清羅です。唯ちゃんとはここで偶然会ったんですか?」
「そうなんだ。僕は最近このあたりに引っ越してきたばかりで、友達がいないんだ。少しでも心の癒しをもとめてここにきたけれど、逆に人の熱気にあてられてしまってね。気分が悪くなって、よろめいたのを『偶然』通りかかった唯に支えてもらったんだ。そして、外の風が通るここまで連れてきてもらったんだよ」
偶然なものか。きっと、アニスは水族館でラブラブしているカップルの仲をぶち破ろうと待ち構えていた違いない。
唯が俺たちに謝る。
「勝手に離れちゃってごめんね」
二ノ宮が言った。
「しょうがないよ。どうしてもというときにはケータイ鳴らしていたし」
清羅が気づかわし気にアニスに聞く。
「あのう、もう体調はいいんですか?」
「おかげにだいぶ良くなったよ」
「じゃあ、もういいな。行こうぜ」
俺は唯たちに声をかけた。唯はすぐには頷かず、アニスに目線を移した。
「アニス君、一人で来ているの?」
「そうだよ」
唯は俺たちに目線を向けた。
「ねえ、アニス君も一緒にどうかな?」
すぐさま清瀬が言った。
「わたしは構わないわよ」
二ノ宮も続く。
「僕も別に構わない」
みんなの目線が俺に向く。
俺は構う。ものすごく構う。アニスは唯に興味を持っている。アニスがその気になったら、単純な唯はころりと落ちてしまうだろう。そして、雑巾のように捨てられるんだ。
マックでアニスに振られて泣いていた女の人のように、唯も泣くことになるんだ。
唯をアニスの魔の手から守らなければならない。
しかし、ここで俺がアニスと同行することを拒絶すれば、場の流れを悪くしてしまう。それは唯の俺への好感度を下げることにつながる。
いつまでも黙っている俺に唯が返事を催促するように声をかける。
「ヒロ君?」
俺は無表情に言った。
「好きにしろよ」
アニスがほほ笑んだ。
「みんな、ありがとう」
一緒に行動していると、アニスはいちいち唯の喜ぶようなことをする。
俺がジュースを買ってきてやろうと思っていると、俺より先にジュースをかって唯に渡すし、そろそろ休んだほうがいいかなと思うと、俺より先に「そろそろ休憩しようか」と言って、わざわざ唯の座る椅子をさげて座らせる。
「小林、うかうかしていると新参者に平野さんをとられるよ」
二ノ宮が耳打ちした。
「とられるってなんだよ?」
イラッとしながら答える。俺自身、どうしてこんなにイライラしているのか理由がよく分からない。
ただ、唯がアニスと仲良く話しているのをみると、心の中でもやもやするんだ。
水族館の帰り道、唯を家まで送るというアニスに俺は割り込んだ。
「俺が唯を送る。唯の家は俺の近所だからな」
「僕は唯さんと少しでも長くいたいんだよ。小林君、じゃまをしないでくれないかな」
「なんだって?」
「唯さん、出会った瞬間から俺は唯に惹かれていた。そして今日一日君と一緒にいて、やっぱり好きだと思った。付き合ってくれないか?」
突然の告白に、唯は目をぱちくりして驚きの表情を浮かべた。
「わたしはまだアニス君のこと、よく知らないよ。アニス君のこと、好きかどうかも分からないの」
アニスが妖艶な瞳で唯を見つめた。
「だったらこれから僕のことを知ってほしい」
そんなアニスを真正面から見つめると、一瞬俺に目線を移した。
すぐにアニスに戻し、唯はにこりと笑みを作った。
「うん。こちらこそよろしく」
「きゃあ、素敵ね」
清瀬が明るい声で言った。そのあと、すぐに気づかわし気に俺をみる。
なんなんだろう、この感じ。
呆然とする俺の肩に、二ノ宮がいたわるように手をおいた。
あれ? なに俺、慰められているのか?
二ノ宮と清羅は二人で帰り、唯はアニスと一緒に帰った。
「ノエル、最後の最後でごめんな。唯の胸キュンはゲットできない」
「まだあきらめないでください。唯さんはアニスと付き合うことになりましたが、アニスのことをまだ好きではないのです。まだチャンスはあります」
その後もノエルは何か言っていたが、俺の耳には何も入ってこなかった。
どうやって帰ったのか覚えていない。
気づけば、自宅の自分の部屋のベッドの上で、ぼんやりと天井を眺めていた。
唯とアニスが仲良くなるのは嫌だと思う。
相手がアニスだからだろう。
「博士様がもたもたしている間にアニスに唯さんをとられてしまいますよ」
そんなことを言われてもな。
その後も、学校で唯と会っても、俺は唯に対して何もできないでいた。
そんな俺に、佐々木や三瀬が声をかけてくる。
「さあ、博士、最後の仕上げだ。カラオケにいくぜ」
「怪我には充分に気をつけてね。文化祭直前で足でもひねって怪我をしたら、今までのわたしたちの練習の努力が水の泡だもの」
ダンスと歌の練習は週1のペースで続いている。ダンスのメンバーは全員部活をやっているから、一緒に練習をするのは休みの日になる。
ダンスの練習をしたあと、佐々木と2人でカラオケに行くのが週間になりつつあった。
その分ゲームをやる時間が削られ、『春華春闘花の舞』はまだ全面クリアしていないし、佐々木に借りた『カワセミの唄』は半分も攻略できていない。
リアルの時間が俺の幻想の時間を削っていく。
ゲームは待ってくれるが、リアルは待ってくれない。
ダンスの練習に歌の練習、それに勉強や部活。みんな頑張っているのだ。
俺だけ、知らない顔はできない。
月曜日の朝、登校している最中に唯の後ろ姿を見つけた俺は、唯に声をかけてみた。
「よう、唯。おはよう」
「あら、ヒロ君。おはよう」
「アニスとはたまに会っているの?」
「うん。マックや公園でおしゃべりをしたりしているわ。
アニス君って、博識で会話も面白くて、一緒にいて楽しいのよね」
「そ、そうか」
唯の話を聞いているとなんだかイライラしてきた。
そんなところに、唯が声のトーンを落として言った。
「だけど……」
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
唯は笑って会話をきった。




