ブラックエンジェル、現わる
「思っていたとおり、二ノ宮さんと清瀬さんが喧嘩別れしたのはあなたのせいだったんですね?」
「怒った顔もかわいいね。もっと怒らせたくなるよ」
「質問に答えてください」
「君も僕の質問に答えていないけどなぁ」
ノエルは無言で男をにらんだ。
「……」
そんなノエルに苦笑いを男は浮かべる。
「そうさ。ノエルの言うとおりだよ。知っているだろ? 僕は憎悪の感情を集める使命があるんだ。そして僕自身もその憎悪の感情を味わっている。僕にだけに注がれる憎悪はとても美味なんだよね」
言って俺には見えないが、宙に漂っている何かをつまんで、口の中に入れる動作をする。うっとりとした表情を浮かべてそれを咀嚼し、飲み込んだ。
「君にも見えるだろう。このあたりにはさっきの女の僕への憎悪の感情がたくさん漂っている。この空間は僕にとって最高の食卓だよ」
ファーストフード店の前で、両手を広げて舞台役者のようにポーズをとる男。
「さあ、僕の質問にも答えて欲しいな。僕の憎悪の弾丸を打ち込んだ二人が再び、恋愛感情を復活させたのは君の力かい?」
「二ノ宮さんとく清瀬さんは自分たちの力で再び、お互いを好き合うようになったんです」
「だよねぇ。今のノエルには愛のエンジェルの力は使えないんだったよねぇ。
けれど二人だけの力でよりを戻したというのは難しいんじゃないかな。僕の憎悪の弾丸は簡単にはその力を失わない。何かきっかけがなければね」
男はようやく俺に目線を向けた。男の目の色は黒ではなく茶色がかった色をしていることに気づく。
「俺は……」
言いかけてはっとなって口を閉じる。
きっかけといったら唯に他ならないだろう。だが、この男の前で唯のことを話すは危険だと心のどこかで何かが告げていた。
だから俺は男をしっかりと見つめて言った。
「そうかもしれない。俺はノエルに選ばれた契約者だからな」
男の注意が唯ではなく俺だけに向けられるように。男は、仲を回復した二ノ宮と清瀬と一緒に、俺のほかに女子が一人いたことに気づいたはずだ。
「君はノエルの契約者なのか?」
唇のはしをゆがませて男は俺を見つめた。
「もっと見目のいい男と契約すれば、胸キュンを確保するのも楽だったろうにね」
「お前、俺たちのことを知っているのか?」
「お前、という名前ではないよ。僕にはアニスという名前がある」
言って、口元に浮かべていた笑みをひっこめ、目つきを鋭くする。
「そもそも人間にお前呼ばれれるされるのは不愉快だ」
気圧され、後ろに下がりたくなる気持ちを耐えて、ぐっと足に力をこめた。
「アニスはノエルが言うところのブラックエンジェルなのか?」
「ふーん。ブラックエンジェルの存在を知っているのか。ノエルが教えたのかな」
ちらりとノエルに目線を送るアニス。
「……」
ノエルは唇を引き結んで、返事はしない。そんなノエルを面白そうに見下ろす。
「ノエルはけっこうおしゃべりなんだねぇ」
アニスは俺のほうに向きなおった。
「そう、僕はブラックエンジェル。憎悪の女神エリス様に仕える者だよ。仲の良い人間に仲たがいをさせ、憎悪の感情を集めている。そして、こうして時には人間の姿に変身して、俺自身に向けられる憎悪を食らうこともあるんだ」
「人間に変身するだと?」
「そうだよ。普通、エンジェルの姿は人間には見えないからね。けれど力あるエンジェルなら、人に姿を現わすことができるんだ。ノエルはできないよねえ。見習いに身を落としたのだから。せいぜい契約者に姿を見せるくらいしかできないんだ、かわいそうにねぇ」
あざけるようノエルを見て笑う。ノエルは悔しそうに唇をかみしめた。
「お前がマックにいたのは、二ノ宮達のことを見張っていたからか?」
「それは偶然だよ。女と別れ話をするのに適当な店を探して入ったら、君たちがいたんだ」
「マックで別れ話とは、安い男だな」
「付き合っているときはもっと高級な店に行くよ。しかし、別れ話をするのに、わざわざ高い店に行くことはないでしょう?」
「サイテーな奴だな」
「僕にとっては誉め言葉だよ」
アニスは腰にはいた拳銃のようなものを片手で取り出して、くるくると回し、俺に構えてみせた。
「おい、冗談だろ……」
銃を向けられ、おのずと両手をあげる俺。これは本能なのだろうか。そうしろと教わったわけでもないのに、体が勝手に動いた。
「この魔弾を打ち込めば、勝手に人間たちはお互いを憎悪してくれるから、単純な生き物だね」
「アニス、博士様に魔弾を打ち込むはわたしが許しません」
「ノエルが許さなくても僕は痛くもかゆくもないよ。僕はね、今とても不愉快なんだ。魔弾を打ち込んでお互いを憎悪していたはずの二人が仲良く店を出ていくのを目にしてしまったからね。
この空間に漂っている俺に対する憎悪の感情をしてもこの不愉快さはぬぐえない。
なぜなら、ここには、あの二人のお互いを好き合う感情も漂っているからだよ」
そうなのか。俺には俺が発生させた胸キュンしか見えないから、分からなかった。
「二人の感情を戻したのは、ノエルの契約者である君のせいということかな?」
「……」
俺はだんまりを決め込んだ。ここで俺が否定したら、この銃口は違う相手に向けられる。それは唯だ。唯の存在をアニスはまだ知らないようだが、あのファースト店に四人グループでおしゃべりしていた高校生の顔なんて、少し調べればすぐに分かるだろう。
「それを打たれたら俺はどうなるんだ?」
「銃弾は二個ペアであるんだよ。ここで一つ、君に銃弾を打ち、その銃弾のペアになっているもう一つを他の誰かに打つ。すると銃弾をくらった人間はお互いにいやおうなしに相手のことを嫌いになるんだ。相手に対する愛情が深ければ深いほど、憎悪は強くなる。君が好きな人は誰だろうね」
俺が好きな人? コンビニのお姉さんの千佳さん、ミス誠進の三瀬、数学教師の泉先生、そして妹安奈に、どうしたわけか唯の顔が浮かんだ。
しかし彼女たちは俺が好きな人ではない。前者の三人は好きになりかけただけだ。安奈は今俺のターゲットだから思い浮かんだだけで、唯はさっきまで話をしていた相手だから、ついでに思い浮かんだだけだろう。
「残念だな。俺は今、好きな人はいないぞ」
「だったら君の家族の誰かに撃ち込もうか。人間は家族の絆を大事にする生き物だからね」
言いざま、アニスは銃を撃った。
「――っ!」
音はしなかった。しかし打たれたことは分かった。
突然だったし、油断していた。突然でなくても、油断していなくても撃たれたことだろう。
俺は一介の男子高生で、弾をかわすスキルも、弾き飛ばすスキルももちあわせていない。
「きゃあ、博士様!」
すぐ隣でノエルが悲鳴をあげた。
俺は撃たれたあたり、つまり胸に手を当てその場にうずくまった。
しかし、いくら待っても痛みは感じられなかった。
「あれ……?」
胸に当てたままの手を恐る恐る胸から離してみる。銃創の後も血の後もなかった。手も血まみれになっていなかった。
「あはは。実弾みたいに痛みを感じると思ったの?」
心底おかしそうアニスは笑った。
「これは魔弾なんだよ。実際に撃たれた痛みを感じはしない。普通は魔弾に撃たれたことすら気づかない」
アニスに見下ろされている構図が嫌で、俺は立ち上がった。
「今のは撃たれたと思って思わず体が反応したんだ」
「あなたの計画は崩れましたよ。アニスも気づいたでしょう。博士様に弾が当たったときに、守りの光が博士様の内側から発生して魔弾から守ったことを!」
「そ、そうなのか?」
俺はノエルとアニスを交互に見た。アニスに魔弾を撃ち込まれたが、守りの光とやらで俺は守られたらしい。その守りの光ってなんだ?
「ふん、アフロディーナの加護だね」
つまらなそうに鼻を鳴らすアニス。なるほど。アフロディーナのおかげか。誰も説明してくれないため、ノエルとアニスの会話から納得する俺。
アニスはノエルから俺に視線を移した。
「君に魔弾は効かなかったが、ここに魔弾のペアの片割れがある。これを絶好のタイミングで使わせてもらうよ」
俺は焦った。今、胸キュンターゲットは妹の安奈なのだ。安奈に弾丸を撃ち込まれたら、安奈は俺を憎悪し、今まで以上に胸キュンをゲットするのは難しくなる。
「絶好のタイミングってなんだよ?」
「時が来ればわかるよ」
にこりと笑うアニス。
「くぅ」
俺は悔しさで思わず呻いた。そんな俺にアニスは優越感のおびる笑みを浮かべた。その笑みで思い出す。
「お前、日の出公園で女子とキスして俺にピースしたやつだな」
アニスは目を少し驚いた表情をしたが、すぐにニヤリとする。
「そういえばそんなことがあったね。あまりにうらやましそうにこちらを見ているさえない男がいたから、面白くなってそんなことをしたんだったよ。あははは」
アニスは心底おかしそうに笑った。
「あの時のさえない男が君か。全然気づかなかった。何か雰囲気が変わったね」
自分でもさえないと思っているから、余計にイラっときた。
「さえない男で悪かったな」
「博士様には、モテる男にしてもらうことを条件に契約していますからね。わたしのアドバイスのたわものです」
隣でノエルがえばってみせる。
「見習いエンジェル風情が偉そうだね。ノエル、僕はとことこん君の邪魔をしてあげる。見習いのままでいるがいいさ。そしてその身分のままで消えてしまうがいい」
暴力的な言葉にノエルが息を飲む。
「……」
アニスは言うと背を向けた。
「おい、待てよ」
俺はそのアニスを呼び止めた。
背中越しに振り替えるアニス。
「僕たちは今はこれ以上話合う必要はないよね」
「ある。俺に撃ち込んだ弾丸とペアになっているという弾丸を渡せ」
「渡すはずがないじゃないか」
「おい、こら、待て!」
アニスはさほど急ぐ様子もなく、道の角を曲がった。俺も後を追って、角を曲がったが、そこにアニスの姿はなかった。
後から追いついてきたノエルが悔しそうに言った。
「姿を消しましたね」
そう、文字通り姿を消したのだ。
しかし、ノエルにはアニスの姿が見えているか、宙をじっと見つめている。
「ノエルには見えるのか?」
「見えますが、わたしではアニスに勝てません」
ノエルはしばらく宙をにらんでいたが、アニスの姿が完全に見えなくなったのだろう、俺に目線を移した。
「博士様、絶対に胸キュンをいっぱいにしましょう。そしてわたしは見習いエンジェルからエンジェルに格上げになって、アニスをギャフンと言わせます」
「俺もさえない男だなんて言わせっぱなしにはさせていられないぞ」
俺たちはガッツに燃えた。
妹、安奈を胸キュンさせる。なにがなんでも!
しかしなかなか安奈を胸キュンさせるのはなかなか苦難の道だった。
こんなに近くにいるのに、まったく安奈を胸キュンさせることができない。このまま一生できないんじゃないかと思えてくる。




