再び動き出す
夏休みの間、予想していなかったイベントがいろいろと起きて、思ったよりもゲームは進捗しなかった。
忙しいせいで、ノエルのことを考える機会が減っていき、やはりノエルはもともと存在せず、俺の妄想が創ったものだったのではないかと思い始めていた。
ノエルの存在すら忘れかけていた夏休み終了3日前に、ひょっこりとノエルが俺の前に現れた。
「博士様、先生を胸キュンさせる策を見つけてみましたよ!」
「へ?」
満面の笑みで言うノエルに、俺は呆けたような返事をすることしかできなかった。
ノエルの存在を確かめるために、ノエルのピンク色の髪の頭をおく。確かに触れている感触があった。
「ノエル、本当にいたんだ。俺の妄想じゃなかったんだな」
そのままポンポンと軽く叩いてみた。
「なんですか?」
ノエルが不服そうに聞いてきた。
ノエルに乗せた手のひらを移動させ、ツインテールの髪の右側のテールをすくうようにすると、さらさらと手のひらからピンクの髪がこぼれるように流れていった。
「何やっているんですか?」
「ノエルがいることを実感していたんだ。ノエル、今までどこにいたんだよ? いきなりいなくなって心配したんだぞ」
「ごめんなさい。泉先生を胸キュンさせる策を得るために、泉先生の周辺を探っていたら、泉先生が住んでいるマンションの部屋の、隣の部屋に取りついていた地縛霊に捕まって動けなくなっていたんです」
「地縛霊に捕らわれるってお前、大丈夫なのか?」
「はい。わたしは大丈夫です。地縛霊はその部屋で自殺した人だったんですけど、1か月間、生前の愚痴や鬱憤を親身になってずっと聞いてあげていたら、すっきりしたのか昇天してくれました。
だからわたしは博士様のもとに戻ることができたのです」
「地縛霊を昇天させるって、エンジェルってやつはなんでもやるのか」
「さまよえる霊を昇天させる役目をもつエンジェルもいます。けれど今回はたまたまわたしが捕まってしまったので、わたしがやらなくてはならなかったのです。
ま、ともかく。博士様、わたしはこれから博士様に策を授けます。この策を使えば、泉先生の胸キュンなんて、あっという間にゲットできますよ!」
ノエルは自信満々に言い放った。
今まで心配してやった時間と思いを返せ、このやろう!
怒鳴りたいところだが、満面の笑みを浮かべるノエルを見ていると、怒る気力が失せり、逆にうれしい気持ちがあふれていた。
単純にノエルが戻ってきてうれしいのだ。
「よし、ノエルが言う泉先生を胸キュンする策に乗ってやろうじゃないか」
「それでこそ、博士様です」
「ところでノエル、いつも背中にしょっていた偽物の翼はどうしたんだ?」
「破棄しましたよ。博士様に嘘くさいと言われ、地縛霊にも同じようなことを言われたので」
少しむくれてノエルは言った。
「今のほうが自然だ。ロリータファッションはノエルの趣味ということで我慢しておいてやる」
「この制服もいけないですか?」
「悪くない。ノエルに似合っているぞ。普通の生活の中でそんな恰好をしている小学生はいないがな」
「わたしは小学生ではなくエンジェルなので、問題ないですね!」
ノエルはにっこりと笑った。
「……」
俺はこのコメントにはあえて返さなかった。心の中でいろいろ、それはほんとにいろいろ、言いたいことはあったが。
俺の心境を知らないノエルはさっそく俺を促した。
「さあ、行きますよ」
「おう!」
ノエルに連れてこられたのは、池袋西口にあるカラオケ屋の前だった。
ノエルと二人だが、他人からみると俺一人だけのように見えているはずだ。
最近だと佐々木とよくカラオケに行くが、ひとりカラオケは初めてだ。俺は一人でラーメン屋にも入れない繊細な心の持ち主なのだ。少し緊張する。
「上がって2階の206号室です。ドリンクはのちほどお運びしますね」
店員から部屋番号が挟まったバインダーを渡され、受付すぐ近くの階段を上る。
この建物は、7階まであり、そのうち1階から3階までカラオケ屋になっているのだ。
通り過ぎる様々な個室から中で歌っている人の歌声がドア越しに漏れ聞こえていた。
タブレットを操作して、おすすめや新曲を閲覧しているうちに、店員がドリンクを持ってきた。
ただのウーロン茶。今日は暑くて喉が渇いていたため、甘いジュースよりさっぱりしたお茶を選んだのだった。
「博士様、わたしは泉先生を探してきます。何か適当に歌っていてください」
ノエルは個室を出て行った。
仕方がないので、アニソンを選曲。音楽が鳴り出した途端に、俺のゲーマー魂にスイッチが入った。気がつくと、椅子から立ち上がり熱唱。点数が表示される。88点。
「まあまあだな」
すぐさま別の曲を選曲した。
結果、95点。
「調子がでてきたぞ。次は満点を目指す!」
次の曲を選曲していると、ノエルがやってきた。
「泉先生を発見しました。ミッションスタートです」
「それはまだ後でいいだろ? 俺は今高得点を取るのに燃えてるんだ」
「泉先生がいつ帰るか分からないんです。すぐに行動に移してください」
ノエルの言うことは一理ある。俺はしぶしぶ椅子から立ち上がった。
俺たちがカラオケボックスにきた理由。それはノエルが泉先生が毎週日曜日の午後は、このカラオケボックスで一人カラオケをしているという情報を仕入れていたからだ。
もし一人カラオケをしているところを学校の生徒に見られたら、先生として面目が立たない。
それを秘密にするかわりに「付き合ってください」と申し込むのがノエルの作戦だった。
俺はこの策にあまり乗り気ではなかった。まるで他人の弱みに付け込んで、それをネタに交際を申し込むようなものではないか。
こんな付き合い方で、相手を胸キュンさせることができるのだろうか。
しかしノエルはやる気である。地縛霊から解放されて、気分もノリノリなのだろう。
俺も最初にノエルの策に乗るといった手前、断れなかった。それにノエルか言う策のほかに、これといった案もないのだ。
「ここですよ」
ノエルか小さな声でとある個室に目線を送った。そんなに小さな声で言わなくても防音設備なのだから、聞こえないだろうに。
ドア越しに中を見る。そこにはこぶしを振るって熱唱している泉先生がいた。
泉先生だと最初から認識しているからすぐに分かったが、もし街角で今の先生とすれ違ってもきっと気づかないだろう。
いつも後ろで一つに結んでいる髪は降ろし、スーツではなくフリルのスカートに白い肩むき出しのキャミソールみたいなものを着ていて現役大学生みたいだ。
ドア越しにわずかに聞こえる曲は5、6年前に流行った曲のものだ。
「博士様、スマホ持ってきてますか? 一人カラオケしている泉先生をシャメしてください。いいゆすりのネタになります」
「ゆすりっ言ったか?」
エンジェルの口から出るには物騒な言葉だ。俺は思わず復唱した。
「はやく!」
「くっ……」
四の五の言わせないノエルの権幕に俺はそれ以上突っ込まず、ポケットからスマホをだして、カメラアプリをたちあげた。カメラ機能なんてめったに使わないから、少し手こずった。
標準を泉先生にあて、ディスプレイ越しに先生を見ると、ちょうど泉先生がこちらを向いた。
カシャリ。ちょうどその瞬間の画像がとれる。
泉先生の表情が固まる。俺はあいまいな笑みを浮かべて小さくお辞儀をした。泉先生はまだ流れている曲を終了し、ドアを開けた。
「小林君、こんなところで何やってるの?」




