虚しさが、やる気を失わせる
家に帰って、自分の部屋に行くと、俺はベッドにダイブした。このまま沈んでしまいたい。
「お疲れさまでした。一日のうちに第2のターゲットの胸キュンをコンプリートし、第3のターゲットまで見つけ、そのターゲットの胸キュンを早々に一つ取得するなんて、すばらしいです」
「ノエル……」
俺は顔だけノエルに向けた。
「俺、もういいや……」
「なにがですか?」
にっこりと笑顔を浮かべたまま聞き返すノエル。
「胸キュンゲット大作戦は降りる」
ノエルはけっそうを変えた。
「どうしてですか? なんでですか?」
「……千佳さんも、三瀬も、なんだかんだいってどうにか胸キュンをゲットすることができたが、今度は、学校の先生だぞ」
「博士様なら先生でも宇宙人でも胸キュンさせることはできますよ!」
「その根拠はなんだ?
泉先生から見たら、俺はただの高校生だ。恋愛対象外だろう」
「コンビニのお姉さんも、ミス誠進も、最初は弱気だったじゃないですか? それでも胸キュンさせることができたんですよ?」
俺は身体を起こして、ベットの上であぐらをかいた。
「胸キュン云々だけの話じゃないんだ」
「どういう話ですか?」
「千佳さんも三瀬も、俺との記憶はあるんだよな。けれどそのときに感じた感情は忘れている。俺には記憶も感情も残っている。これがきつい。
俺はもっと心が強い人間だと思っていたけどさ、ゲームの住人が相手ならともかく、相手がリアルの人間だとこたえるもんだぜ。
そのときは本気で相手を助けたいとか大切にしたいとか、す……」
好きだと言いかけて、さすがに言いよどむ。
「ともかくそういう気持ちになっていたのに、今では、相手はそんな俺の気持ちなんて知らないで、普通に過ごしているんだ」
「それがどうかしましたか?」
「俺の感情はどうなる? ラブオーラの効果かなんか知らないが、千佳さんも三瀬も、あの瞬間は、俺は相手のことを本気で大切にしたいと思っていた。そして相手も俺のことを好きになってくれていたと思う。
ノエルか変な横やりをいれなければ、そのまま相思相愛になれたかもしれない」
「そんな……」
「どうせなら、俺の感情の記憶もなくなってくれればよかったんだ」
俺は叫んだ。
ドアごしに安奈が言ってきた。
「お兄ちゃん、うるさい。何叫んでるの?」
ドアを開けると、アリンコヘアスタイルの安奈が腰に両手を当てて立っていた。
「ああ、悪い。ちょっと発声練習をな」
「発声練習って?」
「ちかぢか音楽の授業で歌の試験があるんだよ」
歌の試験があるのは本当だ。発声練習をしていたというのは嘘だが。
「電話の次は発声練習とかって。言い訳が分かり過ぎる。ストレスがたまって大声をあげたくなるお年頃かもしれないけれど、そんなのはカラオケボックスにでもいけば?」
言い返してもいいがそうするともっと安奈はヒートアップするだろう。俺はおとなしく頷くだけにした。
「ああ、そうだな」
自分の部屋に戻る安奈を見送り、自分の部屋に戻る。
すぐさまノエルが言い寄ってきた。
「博士様の気持ちは察します。けれど、あと三人の胸キュンが必要なんです」
俺はテレビのスイッチを入れて、ボリュームを大きくする。テレビでは日曜の夕方の大御所「笑点」をやっていた。
『アハハハハ』
『これはおもしろいねぇ。座布団1枚』
テレビから聞こえる笑い声は俺の耳には届かなかった。
もし万が一泉先生の胸キュンをゲットしたとしても、その後、俺は再び喪失感にも似た空虚な気持ちを味わうのだ。
それらを想像すると、やる気がみるみる失せていく。
「いい。もういいや……」
「モテる男になりたくないんですか?」
「モテる男にはなりたいが、ノエルとの契約を遂行するのは気苦労が多すぎる。体力的にも精神的にもな。
こんな思いを何度もするくらいなら、もうモテなくてもいい」
言って俺は再びベッドに突っ伏しした。
「わたしとの契約を反故にするというんですか?」
「……ああ。そうなるな」
「それだと、わたしは消滅してしまいます」
絶望にも似た声に、思わずノエルのほうを見ると、ノエルは目に涙をためて、俺を睨んでいた。
「消滅ってどういうことだよ?」
消滅だなんて、あまりにも暴力的な言葉だ。
俺は体を起こして、ノエルを見つめた。
「前にも言ったと思いますが、ラブエレキサーを落としてしまい、その失態を罰せられてエンジェルから見習いエンジェルに格下げになりました。
本来なら、その時点でわたしという存在は消滅させられても当然だったのです。それをアフロデーナ様はわたしに温情をかけてくださって、こぼした分を瓶の中に補充すれば、許すとおっしゃってくださいました。
しかし、それには期限があったのです」
そこでノエルは言葉をきり、はたと俺を見つめた。にらんだといってもいい。
「期限? 初めて聞いたぞ。どれくらいあるんだ?」
「6ヵ月です」
「6ヵ月……?」
俺は頭の中を整理させた。
瓶の中の胸キュンは6ヵ月で消えてしまうが、補充することはできる。
ノエル自身は6ヵ月という制限がある。
実質、6ヵ月しか胸キュンを集める期間はないということだ。
「もし期限が切れたらどうなるんだ?」
「わたしはこの世から消滅します」
「消滅って、おい……」
思いもよらない言葉に俺は絶句した。
「どうしてそんな大事なことを黙っていたんだ?」
「胸キュンを集めるのに、こんなに時間がかかるとは思っていなかったからです。それに博士様と交わした契約が枷になるとは思っていませんでした」
『人間小林博士様は胸キュンを集めることを条件に、わたしエンジェルノエルは小林博士様をもモテる男にします。契約の誓いをここに』
この契約をしたばかりに、契約をした本人すら知らなかった事実が露見したんだったな。
俺が相手に発生させた胸キュンでなければわたしは胸キュンを集められないことになるっていうな。
俺を使って楽して胸キュンを集めようとしたのが、仇になったかたちだ。
「博士様、これからも胸キュンを集めてくださいますよね。
もし集めてくださらなかったら、一人のいたいけなエンジェルがこの世から消えてしまいます」
ノエルがいたけなエンジェルというのには反論があるが、俺のせいでノエルが消えてしまうのは、良心が痛む。
しかし、胸キュンを集める労力とそのあとの精神的苦痛を考えると、胸キュンを集める気力がわかない。
「……」
俺は押し黙った。
俺自身、どうすればいいのか、どうしたいのか、分からないのだ。
そんな俺にノエルが悪魔の笑みを浮かべる。
「泉先生を胸キュンさせたくはありませんか?」
「へ?」
「ラブオーラはターゲットになった相手にしか使えない必殺技です。
せっかく泉先生がターゲットになったなら、その力を使わない手はありません。
泉先生は大人の女性。大人の色気むんむんです。
そんな大人の女性を胸キュンさせたくはありませんか?」
あの泉先生を胸キュン? 想像して、
「ちょっといいかも……」
思わず言ってしまった。
「ですよね!」
満面の笑顔を浮かべるノエル。
俺、もしかして自分で自分の首を絞めるようなことを言ったか。
「さすが博士様。
段取りはわたしが考えます。
首を長くして待っていてください」
自信満々にノエルは言うと、意気揚々と部屋を出て行った。
ノエルはその夜帰ってこなかった。




