女の子に話しかける
が、三瀬の胸キュンを集めなければならないことを思い出し、一気に気が沈んだ。
さらに、一人うれしそうにチョコレートの入った箱を両手にかかげて、へらへら笑っているノエルに殺意まで抱いてしまう。
そんな俺の目線に気づいて、ノエルがぴたりと動きを止め、いぶかし気に、そしてかわいらしく小首をかしげながら聞いてきた。
「博士様、どうしたんですか?」
ボソリとつぶやく俺。
「三瀬を胸キュン……」
「はい?」
小さな耳に手を当て、こちらにむけるノエル。
くそう。どこまでもノー天気なやつめ。
思わず叫ぶ。
「俺があの三瀬を胸キュンさせることなんてできないぞ」
「ギャア!」
ノエルは猫がしっぽを踏んづけられたような声を上げて、遠ざかると、片方の耳を抑えて頬を膨らませる。
「いきなり耳元で怒鳴らないでください。難聴になったらどうするんですか?」
「ノエルがあまりにもノー天気だから腹が立ったんだ」
言い訳をしてから、胸の前で腕を組んだ。
「俺は、三瀬を胸キュンさせることなんてできない。絶対的な自信がある」
どうどうと言い放つ俺に、ノエルはやれやれというように両手を高さまであげて首を左右に振った。
「できないという言葉はまず、実行してから言ってください。時間は有限なんですよ」
何こいつ、むかつく。
「時間は有限ねぇ。そんなことは知っている。時間を有効活用したいから、学校の授業はきちんと聞くし、宿題は休み時間済ませるようにしているんだ。で、家に帰ったらゲームの時間だ。
学校で授業をロクに聞いてないやつは、俺がゲームをしている間に、また勉強しなくちゃいけない。
まったく時間を損しているよな」
「私が言っているのは博士様の授業がなんたらだの、ゲームがなんたらだのという、そんなどうでもいい時間のことではありません」
「はぁ?」
さらりとひどいことを言ってないか?
「胸キュンのことを言っているんです。以前に言いましたよね。感情の塊は時の経過とともに消えると」
そういえばそんなことを言っていたな。
「それは瓶の中に入った胸キュンも同じなんです。この意味は解りますか?」
六ヵ月以内に、五人分の胸キュンを集めないと、最初に瓶の中に集めた胸キュンが消えてしまうということだな。現状だと千佳さんの胸キュンだな。
うん? てことは、五人分の女の子の胸をキュンキュンさせたとしても、瓶に集めた最初の一人の胸キュンが消えていたら、その分を補充しなければならないってことだよな。
てことは……。
「六ヵ月の間に五人の胸キュンを集めないと、永遠に胸キュンを集めることになるっていうことか?」
「そういうことです。それ以外にも……」
ノエルが何か言いかけたが、その前に、俺は事が迫っていることに動転して叫んだ。
「なんだって? うかうかしてられないじゃないか」
現状のターゲットの胸キュンをゲットしなければ次のターゲットに移行することはできないことは以前聞いている。
つまり、三瀬の胸キュンをゲットできなかったら、せっかく瓶に集めた千佳さんの胸キュンも消えてしまうのだ。
ノエルがロリータファッションのスカートのすそをめくると、切り細工の施された瓶を取り出した。その中には五分の一ほどピンク色の液体がたまっている。
「この瓶は胸キュンを保存する魔法の瓶です。この液体は千佳さんの胸キュンです」
「へええ。これが?」
千佳さんの胸キュンが千佳さんの胸からあふれ出てきたとき、ノエルは何かの瓶に胸キュンを詰め込む動作をしていたが、これがその瓶なのかぁ。
「液体になっているぞ? 胸キュンはピンポン玉みたいな形状をしていたよな」
「はい。この瓶に入ると、胸キュンは液体になるのです」
「へえ」
「この液体が六か月後にはなくなってしまうんです。博士様、いいんですか? 本来の目的を全うすることなく、千佳さんの胸キュンが消えてしまうんですよ」
今でも千佳さんと別れ際に駅前で抱き合ったことのことを思い出すと、こっちのほうがキュンキュンしてしまう。
あのとき発生した千佳さんの胸キュンが、目的を遂げることなくただ消えてしまうのは、せつない。せつなすぎる。
「わかった」
俺は意を決した。
「三瀬を胸キュンさせるしかないんだな」
「その通りです」
俺とノエルは従来からの同志のように見つめ合い、頷き合った。
が、三瀬の胸キュンをゲットする具体的な案については結局は持ち越しとなった。
ノエル曰く、「ハンカチを返した時の三瀬の反応で、対策を決めましょう」とのこと。
俺もノエルの意見に賛成だ。
まずは三瀬と会話をしなくては。
次の日の朝、三瀬のために購入したハンカチを忘れずにきちんとカバンの中に入れて登校した。
昼休みになり、早めに昼食を終えた俺は、三瀬のところに向かう。
三瀬はいつものように取り巻きに囲まれて昼食を取っていた。
三瀬とよくいるメンバーは、最初こそ俺にとってはその他大勢だったが、こうしょっちゅう見ていれば、おのずと把握してしまった。
バスケット部のエースと、いつもテストでは十位以内に入る秀才、三瀬と負けず劣らず、美人の部類に入る女子二人。この四人がいつも三瀬と一緒にいるやつらだ。
ちなみに俺が壁にぶつかって三瀬からハンカチを借りたとき、三瀬から遠ざけるかのように、俺を無理やり保健室に連れて行ったのはバスケットのエースだ。
教室では、いくつかグループで食事をしているが、三瀬のいるグループは、他のグループよりも華やかだ。そこだけスポットライトが当たっているように輝いて見えるのは気のせいではあるまい。
本来なら、そんなところに自ら進んで入り込むなんてことはしない俺だが、確たる任務のため、勇気をだして三瀬のグループのところに向かった。
「三瀬」
話しかけると、三瀬が不思議そうな表情を浮かべて俺を見た。
エースが敵意まるだしで俺を睨み、秀才は無言で眉根をひそめながらこちらを見る。
女子二人は珍獣を見るような目線を俺に向けた。
うわぁ、針のむしろに入り込んだみたいな威圧感と、アウェイ感。
そうだよなぁ。こんな輝いているグループに俺みたいなさえない男子生徒が入り込んできたら、そういう反応になるよなぁ。
エースがこちらを睨みながら聞いてきた。
「あん? なんだお前?」
俺はエースをにらみ返した。いきなりそんな高圧的な態度に出られたら、こちらとしてもそれに答えるしかない。
俺に真正面柄にらまれ、エースはますますまなざしをするどくした。俺かエース、どちらかが口を開く前に、三瀬が言ってきた。
「あなたは、この前の……」
記憶を思い出すように俺を見つめながら、小首をかしげる。
と、バスケのエースが叫んだ。
「お前、この前、朝っぱらから壁にぶつかって鼻血をだしたやつだな」
おまえ、うっさい。
「『鼻血を出したやつ』で固定認識されたらたまったもんじゃないから名乗っておく。俺は2年1組の小林博士だ」
「鼻血男でいいだろ」
「なにぃ?」
最初から喧嘩腰のエースに売り言葉に買い言葉で言い返そうとしたところに、三瀬が入り込できた。
「小林君っていうのね」
俺の名を呼び、微笑みかける。
うわあ、天使の笑みだ。
この笑みをこの近くから見られただけで、満足感に満たされる。まだここにきた目的を果たしてないけど。
あれ? 俺何しにここにきたんだっけ?
ノエルが俺のそばでささやいた。
「ハンカチを渡してください」
おおっと、そうだった。目的を果たさないとな。
「その節はハンカチを貸してくれてありがとう。これはその礼だ」
三瀬に差し出すのは池袋にあるデパートの柄のついた包み紙だ。
「これはなあに?」
「一度血が付いたものを洗ったからといってそのまま返すわけにはいかないからな。気持ち悪いだろう……いちおう、借りたやつと似たものを選んだつもりだが、趣味が合わなかったら捨ててもいい」
「気にしなくてよかったのに……」
三瀬は差し出された包みを手にとろうとはせずに、あの困ったような笑みを浮かべた。
「美月はいらないってさ」
エースが椅子から立ち上がって俺をにらんだ。バスケットボール部のエースだけあって、背が高い。
俺より顔半分くらい高いだろうか。
俺はまっこうからエースを見返した。エースのほうが背が高いから、俺がエースを見上げ、エースのほうは俺を見下ろすかたちになる。
「三瀬はいらないとは言ってないぞ」
「なんだと、てめぇ」
エースが俺の胸元に手を伸ばしてきた。
止めたのは三瀬だ。
「二人とも、喧嘩はやめて」
「美月、でもよ。迷惑だろ?」
俺は三瀬に向き直った。
「三瀬、これは礼だ。特別な意味はない」
「小林君、気持ちだけ受け取るわ。このハンカチは誰か他の人にあげて」
目線をそらせて、あくまでもハンカチを受け取ろうとしない三瀬。
そこで俺は悟った。
三瀬は今までも、こういうふうにいろんな人から、様々な口実で贈り物を贈られたことがあるのだろう。
そのたびに周りが騒いだんじゃなかろうか。今のエースみたいに。
人気者は人気者なりの苦労があるもんなんだなぁ。
と思ったら、先に口から言葉が出ていた。
「こんなささいなことにまで気を使って疲れないか?」
驚いたように俺を見る三瀬。
「え……?」
「アンデールの袋を両手に抱えて、水たまりをかるがると飛び越えるような、元気な三瀬もいいと思うけどな」
ますます三瀬の目が大きくなる。そんな三瀬にむりやり包みを渡すとその場を後にした。
教室を出たところで、食堂から帰ってきた唯と出くわす。
「よう、唯」
「ヒロ君、昨日はありがとう。本当にアンデールまで行ってくれたのね。半分冗談だったのに。いちごも抹茶もおいしかったわ」
唯のクラスでは、数学の授業はあれからまだ受けていないようだ。教科書に唯が間違っている箇所に俺が正しい答えを書いていることについては一切ふれてこない。
まあ、そのうち分かるだろうから、教科書の話はあえてせず、唯に話を合わせることにする。
「それはよかった。安奈にも喜ばれたんだ。俺も唯にもらっていちごのやつを一つ食べてみたが、おいしかった。あの味なら有名になるのも頷ける」
「でしょ?」
唯の友達が言ってきた。
「わたしも唯からおすそわけしてもらったわ。いちおう礼を言っておくわね」
「おまえの強引な押しがなければ行っていなかったからな。そういう意味では俺もおまえに礼を言っておく」
俺と唯の友達は、目と目で語り合った。
唯が少し言いにくそうに聞いてきた。
「でね、ヒロ君、あたしの下駄箱にお菓子の袋を入れたとき、他に何かなかった?」
唯が言っているのはあの封筒のことだろう。
「何かって?」
シラを切る俺。唯はぱっと明るい表情になった。
「見てないならいいや。じゃあ、また」
「ああ」
教室に入る唯に手を振ると、その後ろからこちらを見ている三瀬が見えた。
三瀬はすぐに違う方向をみたが、唯とのやり取りを見られていたような気がした。
唯のやつ、封筒のことをみてないふりをしたら、安堵した表情を浮かべていたな。そんなに見られたくなかったものなのか。
気になるが、ここは気づかない、知らないを全うしたほうがいい気がする。
なぜかは分からない。
けれど、これ以上くいこんだら、何か取り返しのつかないことが起きそうな気がしたのだった。




