愛の女神、現わる
ノエルの話をまとめるとこうだ。
胸キュンは一人の人間から五つまでしか捕獲することができないらしい。
それ以上瓶の中に入れようとしても中に入らないのだという。ピンクの玉を一ポイントとして、それを五つ集めて五ポイント。
この計算でいくと、あと四人の胸キュンが必要だという。
たった一人の胸キュンをゲットするのにもこんなに大変なのに、あと四人に対しても同じようなことをしなければならないか。
モテる男の道のりは険しい。
ノエルが今回一番驚いたのは、俺がアフロデーナの力を使ったことだそうな。
その力の影響を受け、千佳さんは多くの胸キュンを放出したのだという。
覚えのない俺にノエルは説明した。
今回俺は二回、その力を使っているという。
まず一回目はアニメマートで男たちが千佳さんを馬鹿にしたとき。
もう一回はつい先ほど、千佳さんにあの言葉を言って欲しいとせがまれたときだ。
その二回とも俺の体が神々しい光に包まれていたそうな。
「そのとき、何か体や感情の変化はありませんでしたか?」
「一回目の時は千佳さんを助けたいと思ったら、体の中が熱くなった。気づいたら千佳さんの味方になって男たちを撃退していた。
さっきは千佳さんがあまりにかわいく見えて千佳さんのためなら何でもやってあげたい気持ちになって、そうしたら体の中が熱くなったんだ……」
「どちらも千佳さんのことを強く思ったときに、アフロデーナ様の力が発動していますね」
ノエルは愛らしい顔に難しい表情を浮かべた。
「これはいったいどういう現象なのでしょうか。うむむむむ」
眉間にしわをよせてうなるノエル。
俺はそんなノエルを見ていることしかできない。
ノエルが分からないなら、俺が分かるわけがないのだ。
「エンジェル見習いのノエル、あなたが一人で悩んでいても答えは見つかりませんよ」
どこからか声が響いた。あどけない声音の女の子の声だ。
声をしたほうを見ると、俺たちのすぐ近くに金髪碧眼の白いローブをした人物が立っていた。
金髪のゆるくウエーブのかかった髪は長く、地面につきそうなほど。
肌はどこまでも白く、青い瞳は大きくて、唇は花びらのように可憐だ。
歳は五、六歳くらいだろうか。将来絶対に美人になると思われる要素を兼ね備えた幼女だった。
まるでアニメの中から飛び出してきたみたいだ。
ノエルはかわいいという感じだが、この幼女は可憐で、ノエルよりも年下のはずなのに、ノエルよりも気品がある。
十年後に出会いたかった。
「アフロデーナ様!」
ノエルが慌ててその場に膝をつく。
「え?! あなたがアフロデーナ? 愛の女神?」
俺は仰天した。
「あなたは小林博士ね」
「はい」
思いがけず、フルネームで名前を呼ばれて、とっさに敬語で返事をする俺。敬語を使わざるを得ない高貴な雰囲気がこの幼女にはある。
「わたしは愛の女神アフロデーナ。この姿は仮の姿よ。本来の姿は人間の子供であるあなたには刺激が強いから、この姿を取らせていただくわ」
本来の姿でもよかったです。
むしろ本来の姿が見たいです。
「ノエルがあなたをトラブルに巻き込んでしまい、申し訳なく思っているわ。
けれどノエルと一緒に恋する心を捕獲する任務は、きっとあなたの人間性を高めてくれるでしょう」
「はぁ……」
人間性は高めなくてもいい。俺はただモテたいのである。
モテたいったらモテたいのだ。
「ノエル、顔をあげなさい」
「――はい」
「今回のこと、水鏡で見ていたわ。最初はどうなることかと心配だったけれど、無事、対好意的感情物質を収集できて、安心しました」
そういえば「胸キュン」は正式名称「対好意的感情物質」というんだったな。
「もったいないお言葉。ありがとうございます」
ノエルが恭しく頭を下げると、アフロデーナは俺のほうを目線を移した。青い瞳に見つめられるだけでグゥッと身が引き締まる。
幼女の姿でこうなら、本来の姿なら、どうなることだろう。
見つめられるだけで、愛の奴隷になっちまうんじゃないか。
……ぜひ会ってみたいものだ。
「小林博士、あなたが使った力は、ラブエレキサーをその身に受けたため備わったものです。わたしたちはらラブオーラと呼んでいます。
あなたが誰かを大切に思い、その人の望むことをしたいと思ったときにその力は発動します。
あなたの体力、魅力、知性がアップし、あなたが思う人を未了する効果があります」
「ウオオ! そんな素敵な効果があるのか。その力を使えば、俺はモテモテだぁ!」
俺は夢に希望が膨らんだ。
その場で小躍りしたい気分になる。
ラブオーラの力を使えば、美人を魅了しまくり、本気でハーレムも夢じゃない。
一人でうかれる俺をアフロデーナは冷めた目で見つめた。
「ラブオーラの力は無限ではありません」
「ええ? そうなんですか? あとどれくらい使えるんですか?」
「そうねぇ」
首を傾けて、考えるしぐさをするアフロデーナ。姿が幼女なので、とてつもなく愛らしい。
「十回というところかしら」
「ええたった十回? 意識せずにすでに二回も使っているんです。この分じゃあ、すぐに使い切りそうだ」
上げて下げる。
アフロデーナ、ひどい。
俺はその場にしゃがみ込み、両手をついた。一時の夢だった。
残念だ。非常に残念だ。その力を使って、アイドルを胸キュンさせてやりたかったのに!
ハーレムの夢が。モテモテの人生が遠ざかっていく。
「回数に限りがあるとはいえ、誰彼構わずラブオーラの力を使わせるわけにはいきません。
それは道徳的に違反します。
ですから、ラブオーラを使用する条件をを設けます。
あなたがターゲットにした人物にだけにしかその力が使えないように。
いいですね?」
幼女ながら、強いまなざしで見つめられ、俺は思わず首肯した。
「は、はい」
返事をしてから「しまった」と思う。回数に限りがあるとはいえ、条件はないほうがいい。胸キュンターゲットだけに使えるようにするなんていう条件は、俺のモテる可能性を狭めることになるんじゃないか。
しかし後の祭りである。
「よろしい」
俺の心境を知ってか知らずか、アフロデーナは満足げに頷く俺のもとにやっていた。歩き方がその外見と比例して幼い。とてとてとあるく姿は保護欲をそそる。
そんな調子で目の前までくると、アフロデーナは俺を見上げた。吸い込まれそうな青い瞳だ。
「しゃがみなさい」
「あ、はい」
慌ててその場にしゃがむ。どうやら俺は天下の愛の女神様を見下ろていたらしい。
ああ、恐れ多い恐れ多い。
くぅ。
アフロデーナは俺の胸のあたりに左手の平を当てた。
口の中で何か呪文ようなものをつぶやくと、手のひらから白い光が発生して、それが俺の胸の中に入っていった。
俺自身は何の変化も感じない。
「制御をかけました」
「はぁ」
まったく自覚症状がないので、間の抜けた返事になる。
アフロデーナは再びノエルに目線を移した。
「ノエル、ラブオーラの影響を受け、相手が本気で小林博士恋心を抱くことがないように見張ることもあなたの役目よ。小林博士の命がかかっているのだから」
「じゅうじゅう承知しています」
神妙に答えるノエル。
うん? 俺はここで聞き捨てならない言葉を聞いたぞ。
「俺の命がかかっているとは、どういう意味ですか?」
「相手が好きでもないのに恋心を抱かせておいて、自分の目的を終えたら、その人を捨てて、次の相手を探す。そういう行為を世間でなんと言うか知っているわね?」
頭の中に、さぎ、たらし、はーれむ、やさおとこ。といった言葉が浮かんだ。
しかし、言葉にはせず、知らない、気づかないふりをする。
「え、えっと……」
アフロデーナは幼女の顔に真顔の表情を浮かべている。口角が少し上がっていて微妙に微笑んでいるようにも見える。それはどこまでも可憐でそして、恐い。その表情のまま、アフロデーナは言った。
「人間として最低な行いをする者には天罰がくだるものよ」
ごくりと俺はつばを飲み込む。
「それってどんなものですか?」
「……」
アフロデーナはただ俺を見つめる。
女神が下す天罰……。
大怪我をする。テストの点数が極端に落ちる。クラスでいじめられる。針の山を歩かされる。沸騰した湯船に無理やり入れさせられる。
いろんな、ほんとうにいろんな罰を想像してしまう。
「あのぅ?」
伺うように恐る恐る聞くと、顔の表情を一ミリたりともかえずに言った。
「知りたいですか?」
「――!」
心からビビった。
ビビッて硬直する俺をアフロデーナはただ黙って見つめてくる。
こえぇ。
これが無言の恐喝というやつか。
「……いいえ、結構です」
ようやく俺は言った。
途端にアフロデーナはにこりと満足げな笑みを浮かべた。
「ノエルと契約を結んでいる間、女心をもてあそぶようなことをしたら天罰がくだること、覚えておきなさいね」
にこり。
「はい……」
だからその笑顔が怖いんだよ!
恐れをなす俺に、アフロデーナはくすりと笑うと、声の調子を明るくして言った。
「それじゃあ、伝えたいことも伝えたから。あとは頑張ってね。
この頑張り次第で、ノエル、あなたの存在が消滅するか、見習いエンジェルから正式なエンジェルになるかが決まるのよ」
「頑張ります!」
アフロデーナの体が光り出した。
「ブラックエンジェルには気をつけて――」
そんな言葉を残してアフロデーナの姿は宙に消えた。
なんだブラックエンジェルって?
「なんだか話が壮大になってきたな……」
アフロデーナが俺のことを「ひろし」ではなく「はかせ」と呼んでいたことはいちいち気にしない。
「この話は壮大なんです!」
ノエルが自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
俺はベンチに座って頭を抱えた。
まさか、ここにきて自分の命までかかってしまうことになるとは。
「千佳さんは俺に本気で恋をしようとしたのかな。そのラブオーラの力でさ」
「その前にわたしが千佳さんには恋から覚める『言葉』を使いました。
今の千佳さんには博士様と一緒にいた記憶はあってもそのときに感じた恋の感情はありません」
「恋から覚める『言葉』って、あれか。ノエルが千佳さんの耳元で言った、『恋の夢から覚めなさい』というやつ?」
「そうです」
いともあっさりとノエルは肯定した。
「そうか……」
「博士様達の認識では『言葉』というよりも『魔法』といったほうがなじみがあるかもしれませんね」
「ラブオーラで魅了されたまやかしの恋心を正気に戻す魔法か。確かにそのほうが違和感はないな」
魔法なんて現実には存在しない力だが。ゲームでよく使われるからなじみはある。
ノエルが俺の隣に座った。
「博士様、面倒なことに巻き込んでしまってごめんなさい。けれど、博士様の命はわたしが守ってみせます。安心してください」
安心できねえよ!
即座に大声で言い返したいところだが、とてもそんな気分じゃない。気力もない。
盛大なため息をついて、ノエルの返答とした。
そのまま、俺たちはお互いに物思いにふけっていたが、しばらくして静かにノエルが口を開いた。
「わたしは人に恋を芽生えさせるエンジェルだったのです」
「恋を芽生えさせる?」
「惹かれ合う男女の胸に対となった恋の矢を放ち、胸をキュンキュンさせて、その胸キュンを集めるのがわたしの仕事だったのですよ。恋の矢にはお互いを好きあう力があるのです」
「愛のキューピットみたいなやつか?」
「はい。けれど今は、愛の媚薬の瓶を落とすという失敗をして、エンジェルから見習いエンジェルに身を落としてしまいました。
そして、わたしの背から翼はなくなり、エンジェルとしての仕事道具だった恋の矢と弓を剥奪されました。 けれど、恋から覚まさせる魔法は健在だったみたいです。おかげで博士様は大きな罪を背負わずにすんだのですから、よかったです」
悲しそうな表情に無理やり笑顔を乗せて言うノエル。
「一つ質問していい?」
「なんですか?」
「恋から覚まさせる魔法は、どういう時に使うものなんだ? 恋の矢で、男女をを好きあうようにして、胸キュンを集められるなら、恋を覚ます必要はないじゃないか?」
「恋の矢を射るのはだれでもいいというわけではないんです。恋の矢は二本ある対の矢。射る相手は決まっています。けれど、間違って違う相手に刺さってしまうことがあるんですよ。そのときに、恋から覚ます魔法を使うんです」
「ああー、なーる。ノエルはよく使っていそうだな」
「そうですね。けっこう使いました」
「やっぱり……」
ノエルは弁解するように言葉を続ける。
「矢を的に当てるのって大変なんですよ。対象物は動きますし」
一生懸命なノエルに心のこもっていない相槌を打つ。
「分かるよ」
いつの間にか日は沈み、空気がひんやりと冷たくなっていた。
「寒い。とりあえず、家に帰ろう」
俺は身震いをしながら立ち上がった。
ノエルの手をとる。ノエルの手は俺の手より冷たくなっていた。
「寒いか?」
「少し。博士様の手は暖かいですね」
「長い間、話し込んじまったな。急いで帰ろう」
「次のターゲットは目が合った人ですから、気をつけてくださいね」
「分かっているよ」
道行く人と目が合わないように、うつむき加減で歩きながら、家路を急ぐ。
歩きながら考えるのは千佳さんのことだ。
千佳さんは、俺と一緒に過ごしたときの感情を忘れてしまった。
悲しいな。
俺は覚えているのに。
今日一日千佳さんと一緒にいて、千佳さんのことをいいなと思い始めていた自分がいた。
最初はただのコンビニのお姉さんだったのに。
千佳さんの胸キュンをゲットすることが目的だったはずなのに。
本気で千佳さんのことを好きになりかけていた。
もし、千佳さんが俺と一緒に過ごしたときの感情を忘れないでいてくれたら、そのまま千佳さんと付き合ってもいいとさえ、思えた。
それなのに、千佳さんは俺から去っていった。一緒に過ごした感情を忘れて。
なんだろうな。この気持ち。
心の中に風穴が感じがする。。
まるで失恋したての心境みたいだ。
いやいや俺は今までリアルの女の子に本気で恋をしたことがないから、失恋もしたことがないのだが。
そこで俺ははっとなる。
「ノエル、俺、今回のことで気づいたことがある」
「なんですか?」
ノエルが俺を見上げた。
「俺は本気で誰かに恋をしたことがない。
本気で誰かを好きになったことがないのに、ただモテたいと騒いでいるだけだった。
手当たり次第に女子にモテたいってそんなご都合主義なやつ、モテるわけないよなぁ、あはは」
乾いた笑いをあげる。そんな俺のことをノエルはどこか痛ましげな表情で見てきた。
なんだその目。痛い。心が痛いぞ。
その後、俺のゴールデンウィークは購入したギャルゲーを攻略するために費やされた。
部屋にこもっている間は、人と目線を合わすこともない。
俺は目の前の面倒くさい現実から気をそらすために、ギャルゲーをやりまくった。
しかし、そんな日々も長くは続かない。
ゴールデンウィークが開け、日常がやってきた。
『春華春闘花の舞』
あらすじ:
美少女たちがさまざまな武器を片手に妖怪を退治し、ステータスを高めていく。
当然ですが、中嶋の創作です。




