美容院デビュー
「安奈がよくお世話になっています」
「やっぱり。どことなく似てるね」
「そうですか?」
たびたび言われるが俺はそんな気はしない。
こちらにどうぞと手で示され、堺さんの後に続き、勧められるまま、鏡の前にある椅子に座る。
「今日はどんな髪型にする?」
鏡越しに俺に聞いてきた。俺はずっと手にもったままの雑誌を差し出した。
「希望はこんな感じなんですが……。無理ですよねぇ、あはは」
髪型うんぬんよりも、もともと土台が違うし。
「どれどれ……」
雑誌のモデルと俺を見比べる酒井さん。さほど時間を要せず彼は言った。
「似た感じにはできると思うよ」
「ほんとうですか?」
境さんは鏡の向こうからにこりと笑った。
「こういう髪型はスタイリングでやるんだよ。髪はそれほど切る必要はないね。でも全体的に雰囲気を軽くするために、すこし毛先をすこうか」
それから先はもう、魔法を見るようだった。三十分もかからないうちに、鏡の中の俺は「これ、本当に俺?」みたいな感じになっていた。
「すごい。髪型一つでこんなに印象が変わるんですね」
「前髪の斜めのラインはこうやって櫛を当てて、固めるスプレーを振りかけておくと、多少の風でも乱れたりしないよ。
前髪は左にこのあたりから髪を分けているけど、こうやって交互にわき目をとると自然な感じになるんだ。
サイドの髪は耳にかけるようにしてそのまま、さりげなく流すのがコツ。ここはワックスと髪を固める効果のあるジェルを指先にとって手櫛ですると、自然な感じになるよ」
そんなヘアスタイルに関するアドバイスも堺さんはしてくれた。
「『髪型一つで雰囲気が変わる』という言葉は女性によく使われる言葉だけど、それは男子全般に言える言葉なんだよね」
「そうなんですか?」
「女性は短い髪も、長い髪もアリだけど、男性は一般的には髪は短いものだと世の中では思われている。
短い髪型の中で、どれだけ自分をかっこよく見せるかを俺たち男性陣は昔から探求してきたんだ」
言ってにこりと笑う堺さん。
「ありがとうございました」
「これ、友達紹介のプレゼントなんだ。安奈ちゃんに渡してあげて」
言って差し出されたのは、トリートメント用品だった、透明な袋に入っていてピンクのリボンが結ばれている。
「ありがとうございます。安奈が喜ぶと思います」
「安奈ちゃんによろしくね。そしてこれは博士君に。男性専用の整髪剤だよ」
俺の目の前に差し出されたのは、水色のリボンが結ばれた透明な袋に入った、クリームが入るような形状になった丸い容器だった。
「うわあ、いいんですか?」
「新規会員限定だよ。ワックスと固定作用のあるクリームなんだ。同じような製品はほかにも市場に出回っているから、博士君はこれをきっかけにいろいろと試してみるもいいかもしれないね」
「はい。ありがとうございます」
堺さんは俺の名前をきちんと「ひろし」と呼んでくれた。さすが常識のある大人。「博士」という漢字を人の名前にあてはめたとき、「はかせ」ではなく「ひろし」と読むと察してくれたのだ。
美容院を出ると、ノエルがすぐに言い寄ってきた。
「博士様、見違えました」
「あはは。そうか?」
多少照れながらも、まんざらでもない俺。
「今すぐにでも、コンビニのお姉さんに会いに行きましょう」
「それは早急すきるだろ? コンビニのお姉さんがどこに住んでいるか知らないんだぜ。俺がいつも行く土曜日の昼頃はいつもいるから、土曜日は定期的にシフトを入れているだろうが、それ以外にいつコンビニで働いているのか知らん」
「そうですか……すると一週間後の土曜日にはお姉さんに会えるということですね」
「まあ、そういうことだな」
「それはちょうどいいかもしれません。これから一瞬間、博士様には、コンタクトレンズと髪型に慣れていただきましよう」
「ええ? こんな髪型、自分でできないぞ」
「できますよ。人間慣れればなんでもできるものです」
「そうかなぁ」
俺は奥歯にものが詰まったような返答をした。
家に帰る途中、雨に降られてずぶぬれになり、家に帰るなり、すぐさまシャワーを浴びた。ついでにコンタクトレンズもとって洗浄。そのため、家族には少し髪を切って、いつものように眼鏡をかけた俺の姿しか見られなかった。
夕食のときに、さっそく母さんが言ってきた。
「博士、コンタクトレンズにしたんじゃなかったの?」
「さっきシャワーを浴びたときに、ついでに外したんだ。なんか違和感があってさ。そのうち慣れるといいんだけど」
どこか残念そうに相槌を打つ母さん。
「そうなの」
「お兄ちゃん、美容院行ってきたんだよね。あまり髪型変わっていない気がするけど?」
「ちゃんと行ってきたぞ。堺さんが安奈によろしくって言ってた」
「ほんとう? 堺さんがそういってたの?」
安奈はうれしそうに顔をかがやせた。
「あら、堺さんって?」
「安奈が行きつけの美容院の美容師だよ」
「あら、美容師なの。安奈はその人を気に入っているのね」
「まあ、気さくだし、腕もいいし……」
ごもごもとはずかしそうに言う安奈。
「母さんも堺さんに会ってみたいわね。今度、その美容院に行ってみようかしら」
「お母さん、やめてよ。はずかしい!」
安奈が全力で抗議した。
「あら、そんなに反対することないじゃない。母さん、落ち込むわよ」
そこに父さんが追い打ちをかける。
「俺も安奈お気に入りの堺さんに興味があるな」
「お父さんもやめて」
安奈は顔を赤らめた。
このあたりで助けてやるか。俺はさりげなく言った。
「そうだ。堺さんに安奈にって、ヘアークリームみたいなもの、もらったんだ。あとで渡すよ」
「うん」
食事が終わり、いったん自分の部屋に戻ると、堺さんから堺さんからもらったやつをもって、リビングに戻った。
「安奈、これ、おまけのやつな」
「ありがと」
安奈はうれしそうに受け取った。
「これ、髪によく効くのよね」
「髪に効くってどういうふうにだ?」
「傷んだ髪がきれいになるの」
安奈の言葉に母さんがやれやれというように首を振る。
「安奈の歳で髪が傷んでいたら、母さんなんて、もうパサパサよ」
そういう母さんの髪型は、肩より少し長い髪を後ろで一つにくくっている。
まだまだ黒々としていて、パサパサとは縁がないように見える。
父さんが自分の髪に手をやりながら言った。
「父さんはパサパサというよりはモジャモジャだ」
そのモジャモジャの遺伝子をついでしまった俺は、朝起きると、いつも寝ぐせがついているのだ。
それが普通だったから今までは気にしていなかったが……。
次の日、目覚まし時計の音で目が覚める。
この日もノエルは夜通しゲームをやっていた。
この調子だと、毎朝、目を覚ましたら、女の子がゲームをしている。という光景が日常化しそうだ。
電気代、大丈夫だろうか? と子供の身ながらに、家計を心配してみる。
今日は月曜日、普通に登校の日だ。
眼鏡をかけようとするとノエルに「コンタクト!」と言われ、コンタクトレンズにする。
「コンタクト、めんどうくさいなぁ」
「そのうち慣れます。髪もセットしてください」
「あー」
境さんからもらった整髪剤を使って、堺さんにセットしてもらったように自分でセットしようとしたが、堺さんのようにはうまくいかなかった。
特に斜め前髪が決まらない。
ま、いいか。
テーブルにすでに安奈が座って朝食を食べていた。
母さんはキッチンにいる。
父さんはすでに家を出ている。都内に職場がある父さんは朝が早い。
「おはよう」
安奈は朝食のトーストを持ったまま俺をみて固まった。
「お兄ちゃん、どうしたの?!」
「眼鏡からコンタクトに変えて、髪型を堺さんに教えてもらったとおりにしたんだ」
キッチンから母さんが俺の分の朝食をトレーにのせてリビングにやってきた。
「博士、おはよう。あらあら、本当にイメチェンしたのねぇ」
「母さん、おはよう。髪のセット方法を教えてもらったんだけど、なかなかうまくいかなくて……」
「そのうち慣れるわよ。それにしても我が息子ながら、見違えたわ。安奈、どう? イメチェンしたお兄ちゃんは?」
母さんが安奈に問いかけ、俺も安奈を見た。安奈と目が合うと、安奈はぷいと目線をそらした。
「し、知らない」




