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第8章

 フードを目深にかぶり顔を隠しながら、ルークはぼんやりと街を歩いていた。そんな彼を屋根から眺めるのはたくさんのカラス達。道路脇の側溝には綺麗な水が流れ、広場には活気が溢れている。大都市の平穏がそこにはあった。

 転移神術により、ルークはマルクトに送り返されていたのだ。

 不意にラッパの音が聞こえて顔を上げると、公示人が十字路に立っていた。王命や司法に関することを知らせる人間だ。何だ何だと人々が集まってくると懐から紙を取り出し、公示人はよく通る声でそれを読み上げた。

「明朝十時より、街の広場にて魔女裁判を行う!」

 にわかに辺りが沸き立った。

 魔女裁判。それは、無関係な人間にとって最高のショーだ。

 人々は一体誰がとすぐにまた静まり返り、それを見て公示人は続きを読む。

「容疑者の名はティオ・ボウヤー。その罪は皇帝陛下の下僕である帝国兵、並びに神聖なる神術師の殺害など多岐に渡り――」

 しかし、その名前には多くの人間が首を傾げていた。彼らは誰もティオ・ボウヤーなんて人間は知らないのだ。

 唯一ルークだけが、表情に絶望の色を濃くした。

 フローの言った通りになってしまった。


「ティオは火刑になるでしょうね」

 昨夜、黙りこむルークに、ティオはポツリと言った。

 テーブルについて向かい合わせ。ルークは出されたスープに手を付けられないでいた。

「場所はおそらくこの街の広場。やつら、きっと大勢の前で見世物にしてやりたいんでしょうね。もう荷物をまとめ出したわ」

「どうしてそんなことがわかるの?」

「わかるのよ、私には」

「……魔女だから?」

「そう。私も魔女だから」

 フローは、言ってから自嘲気味に笑って問う。

「軽蔑する?」

「いや……そんなことはないけど……」

 ルークには、自分がどう感じているのかわからなかった。

 魔女が悪であるという一般常識は持っている。

 しかし、イヴはそうでも数日間行動を共にしたティオやフローが邪悪な存在であるという実感はどうしてもわかなかった。

 知識と経験とで、認識にズレが生じている。それでどうにも態度を決めかねていた。

「――ティオのことは諦めなさい」

 と、唐突にフローが言う。ルークは驚いて顔を上げた。

 そこには、以前初めてここを訪れた時に見せた人懐こい笑顔は影もなく、ひどく冷たい表情があった。

「どうして!? ティオは僕を助けるために」

「だからこそよ。あの子が自分を犠牲にしてまで助けた命を、あなたは無駄にするつもり?」

「でも……」

「それにね、ティオとも約束したのよ。自分にもしものことがあったらルークを頼む、ってね」

 フローは疲れたように微笑んだ。

「これはあの子が望んだこと。あの子の死の責任はあの子だけのもの。あなたがそれを気に病む必要はないの。だから、あなたは生きなさい。逃げ延びなさい」

「……、……」

 ルークにはわからなかった。

 どうしてティオがそこまでして自分を守ろうとするのか。

 だけど同時に、その答えを知ってもいた。ただそれを認めたくないだけで。

 そんなルークの心情を察してか、フローは一度長く息を吐いて言った。

「イヴから聞いたんでしょう? どうしてあなたの家族が殺されたのか」

「っ!?」

 顔を上げた先には、いつかティオが森で見せたのと同じ、とても悲しそうな顔があった。

「ティオと関わったからよ」

「え……」

 ルークは愕然とした。

 ティオのせいで母さん達が死んだ。そんなのはあの女の嘘だと、自分を動揺させるためのでまかせなのだと信じ込もうとしていた。

 だけど今、ティオの友人であるフローまでが言うのだ。

「あなたの家族は、ティオのせいで殺されたのよ」

「なっ、何だよそれ! どういうことだよ!」

 ルークは思わず立ち上がっていた。椀に入ったスープが揺れる。それが収まるのを待って、フローはことの真相を語りはじめた。


 *


 少女は家族が大好きだった。

 一国を統べる頼もしい父。いつも優しい母。

 そして、やんちゃで可愛い二つ下の弟、アルフ。

 彼女の生活は毎日が笑顔に溢れていて、とても幸せだった。


 ――それが崩れ始めたのは、いつからだろう。


 最初は人々を救うためだった。

 疫病が流行り次々に民が倒れていく中で、母が自身の秘密について打ち明けたのだ。

 彼女は魔女だった。

 得意魔法は、治癒の力。それを使えば、苦しむ民を救えるのだ、と。

 しかし、古くから魔女は悪魔の手下であるという言い伝えがあり、それ故に疫病は魔女の仕業だと噂になっていた。彼女の秘密を、そのまま人々に伝えることはできなかった。

 そこで父は、彼女が魔女であることを隠したままその力で人々を救う方法を考え出す。

 それが神術だった。

 彼は妻の魔力を本に込め、不思議な力を持つのが人ではなく本であるとすることで、悪魔の力とされる魔法と対になる神の力としてそれを人々に示したのだ。

 これは予想以上の成功を収めた。

 邪悪な力を持つとされる魔女を恐れていた人々は、同じ力を持っているのが本であるというだけでそれをすんなりと受け入れた。彼らは何の疑いもなくそれが神の力であると信じ、それを授かった少女の父へより一層の尊敬を抱いた。

 しかし、それがいけなかったのかもしれない。彼は神術として魔法が受け入れられたとわかると、やがて治癒以外のことにもその力を使い始めた。土木工事、建築、飲み水の確保と、神術の活躍は目覚しいものだった。そして、その強大な力を目の当たりにする度に、父の眼の色は変わっていった。

 軍事利用が始まるまで、それほど時間はかからなかった。彼は魔女狩りを利用し、秘密裏に魔女を軍に迎え始めたのだ。

 平和だった国は他国との戦争に明け暮れ、領土を拡大し、帝国となった。

 父の表情は日に日に険しくなり、魔法の濫用はひどくなる一方だった。

 そして、とうとう母が倒れた。

 最後の最後まで父の優しさを信じ、それが人助けになるのだと信じていた哀れな母は、負傷した兵の治療に神術書の作製にと限界を超えて魔法を使い続けた。

 自分の身体を顧みずに、治癒の力を使い続けた。

 その結果訪れたのは、戦乱の世と自身の死。

 少女は泣いた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 どこで道を間違えたのか。

 母は死に、かつての父はもういない。

 唯一の救いは弟だった。彼と一緒にいる時だけは心が安らいだ。

 しかし、その時すでに弟の心は憎しみに侵されていたのだ。

「親父を止めよう」

 それを言い出したのは、彼が八つの時のことだった。少女は断った。たった一人の弟を失いたくなかったのだ。だけど、弟は頑なだった。例え一人でも事を為す気でいた。

 母と同じように使われ始めた少女を見ていたから。

 このままでは、どの道同じこと。だから、彼女は弟を失いたくない一心でそれに加担した。自分が手伝うことで、少しでも弟を守れるならと。

 そして、二人は失敗した。

 弟はあの女に殺された。

 少女やその母と同じ、魔女であるあの女、イヴ・ナイトメアに。

 心を絶望で満たしながら、少女は追われる身となった。転移神術で城外へと逃げ出した彼女は追手を恐れ、ひたすらに駆け続けた。

 その後、少女の消息を知る者はいない。


 *


「その少女が、テレサ・イェツィラー第一王女。あなたもよく知るティオ・ボウヤーよ」

「なっ……!」

 ティオが帝国の王女だった。そして、自分と同じくイヴに家族を殺されていた。

 その事実にルークは驚いた。

 元神術師だなんて大嘘だ。彼女は魔女で、王女だったのだ。ルークはずっと騙されていたのだ。そのことに、不信感を覚えなくもない。

 だけど、今そんなことは問題ではなかった。自分が知りたいのはそこではないのだ。

 ルークは再び声を荒げた。

「でも、それが母さん達のこととどう関係があるんだよ!」

 彼が知りたいのはその一点だけだった。今の彼にはティオの正体がどうであれ関係ないのだ。

 そんな彼に、フローは落ち着いた声で問いかける。

「着の身着のままで逃げ出して食料もなく、追手の影に怯えて夜も眠れず、そんな状況で生きていけると思う? 帝国がどんなに探しても見つからないなんてこと、あると思う?」

「それは……」

「あの子を助けた人がいるのよ」

 フローは悲しそうに笑った。

「弱ったティオに食事と宿を与え、聞き込みをしていた追手には嘘をつき、皇帝の暗殺未遂なんていうことをした重罪人を匿った共犯者が」

 そうして一度言葉を切ると、最後の一言を口にした。

「それがダイアナとエリザ――そしてルーク。あなた達ロッドウェル一家よ」

 あまりの衝撃に、ルークは何も言えなかった。

 ダイアナとエリザ。それは間違いなく彼の母と姉の名前だった。

 一度も話さなかったはずなのに、フローがその名前を知っていた。

 それが全てを真実だと告げていた。

 ティオが、あの家で一緒に暮らしていた。

 でも、思い返せばヒントはたくさんあったように思う。

「ティオも幼いながらに迷惑がかかることがわかっていたんでしょうね。だからほとぼりが冷めた頃に家を出た。あなたはまだ小さかったから、覚えてないのも無理ないわ」

 頭がグラグラした。

 ティオに助けられたと思っていた。ティオのおかげで、一人の寂しさから救われたのだと思っていた。

 だけど、逆だった。

 ティオさえいなければ、もともと自分は一人になんてならなかったのだ。

 もちろん、救われたという事実は何ら変わらない。彼女は優しかったし、自分のためにたくさんのことをしてくれた。

 だけどその事実の前にあってすら、ティオさえいなければと、そう思わずにはいられなかった。それほどまでに彼女がルークから奪ったものは大きかったのだ。

 もう、どうしたらいいのかわからない。

 自分が何を信じればいいのか。何のために生きればいいのか。

 とその時、肩を優しく叩かれた。

「今日はもう寝ましょう。あなたも疲れているのに、こんな話をして悪かったわ」

 いつの間にか、フローがすぐ近くに立っていた。その言葉にだけは頷いて、ルークは寝室へ向かう。そしてフローと共に寝て、朝方こっそり家を出た。


 裁判のことを読み終えた公示人が、次の四つ辻目指して歩き出す。同時に集まっていた人々もそれぞれ散っていた。

 ルークもぼんやりと歩き出す。

 一晩経って、街をひたすら歩いて、それでも答えは出なかった。

 ティオを助けるのか、見捨てるのか。

 きっと、自分の命を投げ打ってでも助けるべきなのだとは思う。

 森で出会ってから今日まで、彼女が与えてくれた優しさはそれくらいのものだ。家族を失い、ひとりぼっちになって、復讐に死のうとしていた自分を絶望の淵から救ってくれた。その恩を忘れたわけじゃない。

 だけど、その絶望を与えたのもまた彼女なのだった。

 彼女がいたから、彼女と関わったからルークの家族は殺された。

 つまり彼女の与えてくれた優しさは、ただの罪滅ぼしだったのではないか。そんな考えが頭を離れない。

 もちろん直接手を下したのは帝国であり、憎きイヴ・ナイトメアである。

 でもそれは、法に則ってのこと。

 ティオさえいなければ。

 それがどんなに恩知らずで身勝手なことなのかはわかるのに、どうしてもそう思ってしまう自分がいた。

 魔女とは、世界に災厄を振りまき人々を害する邪悪なる存在。

 たとえティオに悪意がなかったのだとしても、彼女が災厄を自分に振りまいたことは事実なのだ。

 そして、心の、本当に本当に奥の方で、火刑で殺されるだろうティオを、少しだけ「ざまあみろ」と感じてすらいる自分が、最低に気持ち悪かった。

 もう、ルークの思考はぐちゃぐちゃだ。

「……でも、仕方ないじゃないか」

 ふと、口をついてそんな言葉が出た。

「ティオは魔女なんだから。罪を犯したんだから」

 だから、このまま何もしないことが正しいことなのではないか。言葉にしてしまった途端、それはじんわりと思考を満たしていく。どこかで啼くカラスの声すら、ルークには何だか自分の言葉を後押ししてくれているように感じられた。

 フローだって言っていた。自分が気に病む必要はない、生きなさい、と。そしてそれはティオの望みでもあるのだ。それなら、その通りにするべきなのではないか。

 喉の奥が勝手に震える。それは奇妙な笑いとなって口から漏れ出した。

「く、ふ……そうさ、仕方ないんだ。もう、そうするしかないじゃないか」

 彼はもうおしまいにしたかったのだ。逃げ出してしまいたかったのだ。

 神術の恐怖に触れて、己の無力を知って、復讐に燃えていたはずの彼の心はどうしてか生きたいと願ってしまった。

 だから、殺したい程に憎んでいたはずのイヴの行動が法に則ってのものだと知って、家族を殺された怒りを向ける代わりの相手が見つかって、こんなにも気持ちが揺れてしまうのだ。

 イヴの代わりティオが死ぬことで自分の復讐に一応の決着をつける。

 それで満足してしまおうとしていた。

 自分の家族を奪った悪は滅んだのだと、納得してしまおうとしていた。

 そうすれば彼の欲求は満たされるのだ。

 ティオを見捨てたところで、彼女もフローも自分を責めはしない。

 それどころか邪悪な魔女で大罪人だ。誰も自分を責められやしない。

 だったら、どうするかなんて、何を選ぶかなんて決まっているだろう。

 そう、思うのに。

 何故だか、心がそれを受け入れなかった。

 筋は通っているはずだった。

 それなのに、胸の奥がざわざわとするのだ。

 ルークは頭を振った。違う、そんなのはただの勘違いだ。

 心を従わせようと、彼は自分の生活を想像した。

 そう悪くはないはずだ。いくら神術の秘密を知ってしまったとはいえ自分はただの子供だ。帝国もいつまでも自分を探しはしないかもしれないし、そうすればこの地で暮らすことだってできるかもしれない。

 フローは自分にきっとよくしてくれる。相変わらず過剰なスキンシップには襲われるかもしれないけど、あのボロ部屋で一緒に暮らして、その内に読み書きを習って、自分も写本の手伝いをする。たまには贅沢をして、リンゴのはちみつ漬けか何かを食べてもいい。

 それは、いい人生ではないか。

 自分が生きたいと思った、生きる価値のある人生なのではないか。

 ――本当に?

 それでも心は何かを訴えかけてくる。

 それが鬱陶しくて、ルークは壁へ拳を叩きつけた。鋭い痛みが走って、血が溢れてくる。それでも握った拳から力が抜けない。

 ――本当にそれは、お前が生きたいと願った世界なのか?

「ああそうさ! 死ぬのは怖い! 平和な暮らしを願って何が悪い!?」

 とうとう彼は叫んでいた。屈服しない心に、泣き出しそうな声で。

「お前は僕が死ねば満足なのかッ!? あんな連中に敵いっこないとわかってて、それでも立ち向かって死ねばそれがいい人生だって……っ!?」

 言って、ハッとした。

 元々自分はそうするつもりだったのではなかったか。

 あの小屋の前で兵士に殺されそうになった時、自分は満足してはいなかったか。

 自分は仇に立ち向かった。脅されても、決して誇りを捨てなかった。そうして死ぬことに、ある種の安らぎすら覚えてはいなかったか。母さん達に会えるのだと、喜んではいなかったか。

「……っ、あの時は、狂っていたから……!」

 じゃあどうして、今は生きたいと思うのだろう。

 母さん達のいないこの世界で、一体何のために、誰のために生きたいと願ったのだろう。

 それは――。

「あれ? ルーク? ルークじゃない?」

 その時、突然思考の外から女の子の声が飛び込んできた。

「……え?」

 顔を上げて、ルークはいつの間にか自分がスラム街の方へ歩いてきていたことに気付いた。辺りにはボロ屋が立ち並び、目付きの悪いゴロツキや乞食があちこちにいる。

 そんなスラムに場違いな程に明るい声で、自分に声をかけてきた一人の少女。

「わあ! やっぱりルークだ! ねえパパ! ルークだよ!」

「ん、おお、いつぞやの! 今日はどうした? また客でも探してんのか?」

 それは、あの日ティオが見捨てたはずのアニーだった。

 ベッドに寝たきりで、素人目にも先が長くないことがわかるような状態だった彼女が、何故か元気な姿でそこにいた。そばに立つ男も、やけ酒で荒れていた一昨日とは比べられない程に穏やかな顔をしていて、そこには不安も諦めも感じられない。

「何、で……」

 ふと口をついて出たその言葉に、アニーは少しだけ意地悪そうに笑った。

「あっ、やっぱりルークも私の病気が治るわけないと思ってたのね! お生憎様! もう、この通りすっかり元気よ!」

「んや、ルークもとは何だ“も”とは! 父ちゃんはずっと言ってたろう! いい子にしてればきっと治るって!」

「ふぅん? とか言って、治ったとわかった途端大泣きしたのはどこの誰かしらね?」

「いや、それは、まあ、ほら……なあ?」

 男が助けを求めるように視線を向けてくるが、むしろ助けてほしいのはルークの方だった。

 一体これは、どういうことなのだろう。

 だって、目の前で笑うのはどう見ても元気な女の子なのだ。二日前にはやつれて憔悴しきっていたはずのアニーなのだ。

 たとえ奇跡的にその病気が快方へ向かったのだとして、しかしたった数日でここまで回復するなんてありえない。

 ルークが何も言えないでいると、アニーは見かねたように種明かしをしてくれた。

「あの日、ルークが帰ってしまった後にね、天使様が来てくれたのよ」

「……天使、様?」

「うん!」

 アニーは嬉しそうに笑う。

「きっと私がちゃんといい子にしてたからね! 夜、ふと誰かの気配がしたと思ったらそばに女の人が立ってたの! ああ、天使様が来てくれたんだって、私すぐにわかったわ!だって、すごく優しい顔をしていたんですもの!」

「……ああ」

 その瞬間、ルークには全てがわかったような気がした。頭にかかっていたもやがいっぺんに晴れていく感覚があった。

「それでね、何だか温かい光に包まれたと思ったら私いつの間にか寝ちゃってて……って、あれ!? ルークどうしたの!? どうして泣いてるの!?」

「はは、いや……」

 気付けば、ルークの瞳から幾筋もの涙が流れ出していた。それは拭っても拭っても後から溢れだしてきて、ルークの頬を温かく濡らした。

「ねえアニー、一つだけ教えてほしいんだ」

「え、えっと、なあに?」

「その天使様は、どんな姿をしてた?」

「す、姿? う~ん、羽根は生えてなかったわ。それ以外は、暗かったから何とも……あ、でもね!」

 アニーは胸の前で手をパチンと合わせると、うっとりとした表情で言った。

「光に包まれたその時に、とても綺麗に澄んだ青い瞳が見えたわ!」

「……そっか」

 もう、間違いない。ルークは笑った。

 格好つけ。何が「取引が長引いた」だ。

 ルークは確信した。

 ティオは、災厄を振りまく邪悪な存在なんかじゃない。

 彼女の魂は高潔だ。

 魔女が悪だなんて、決め付けてはいけない。

 母さん達に教えられたはずなのに。

 何もわかっていなかった自分が恥ずかしかった。

 疑ってしまった自分が恥ずかしかった。

 ティオはいつでも正しくて、ティオはいつでも自分を守ろうとしてくれていたのに。

 そんなだったからこそ、自分は彼女と一緒に生きたいと思ったのに。

 言い訳をして、見捨てることを正当化して、何の意味もない平和な生活に縋りつこうとしてしまっていた。

 自分は一体何をやっているのだろう。

 保身のために見捨てたのだと、勘違いして怒っていたのは誰だったか。

 自分が正しいと思うことを貫き通すのではなかったか。

 どうするかなんて決まっているじゃないか。

「助けなくちゃ」

「え?」

「アニー、ありがとう! おじさんも! 元気で!」

「え、あっ、ちょっと!」

 戸惑う二人を置いて、ルークは駈け出した。時間がない。イヴ達はとっくに村を出ただろう。

「ばいばーい!」

 後ろから追いかけてくる声に手を振り返して、ルークは走る。

 魔法も神術もないんじゃ勝ち目がない。

 だけど、フローは頼れない。

 それなら――。

 ルークは門を目指した。

 頭にあったのは、ティオと歩いた森のこと。

 森を抜け街道に出る直前、ティオは神術書を森の中に捨てていた。それを使うのだ。

 間に合うかはわからない。

 もし見つからなかったら。

 見つけても、それがただの本であったら。

 そんな想像が頭をよぎる。

 だけど、これは自分がやらなくちゃいけないことだ。

 死ぬつもりか? そんなことを言うさっきまでの自分を、鼻で笑ってやる。

 そんなわけあるか。死ぬつもりなんて、これっぽっちもない。

 ティオだって言っていた。そんなことは考えちゃいけないんだ。

 死んでもいいなんて、そんな絶望はもうたくさんだ。

 どうせ戦うなら、どうせ恩返しをするのなら、


 ――生きて、ティオと一緒に笑うんだ。


 ルークはもう迷わない。

 ルークはもう振り返らない。

 ただ彼女と一緒に生きる希望だけを胸に、街の広場を駆け抜けた。

 城門は、もうすぐそこだ。

「待ちなさい」

 その背中に、冷たい声がかかる。

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