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気の狂いそうな蜃気楼

作者: 安藤

父方の実家に行くと言う理由で来たこの町では、今日「サーカス団」が来るという話題で持ちきりだった。どうせなら見に行ってみるかと、惣菜屋の店先に貼られていたポスターを覗き込んでみれば、そこには「奏町」と書かれている。その町の名は、此の場所とは違う名の町だ。コロッケひとつを買うついでに「奏町ってどこですか?」と訊ねれば「ああ、サーカスを見に行くのかい?奏なら隣町さ。歩いて行けるから地図を描いてあげよう」と、多大な親切でもって対応してくれた。手渡された地図は簡易的なものではあったものの、確かに此処からそう離れていない隣町らしい。サーカスは今日の夕方から行われるらしいから、早速今から行ってみようかと「ありがとう。はい、105円」と店主にコロッケの金を支払って、その場を後にした。


コロッケを頬張りながら、手渡されたその簡易的な地図に時折視線を移して歩く。初夏の陽射しは暑く、じりじりと砂利道からの照り返しに気でも狂いそうだ。こんなことならコロッケなんて買わずにアイスでも買った方が利口だったかも知れない。然し、親切に地図まで描いてくれたあの店主の事を思うと、こんな考えも何処か申し訳なくて、僕はふるふると頭を何度か横に振った。


こんな小さな町では、サーカスが来るという事が大きな話題になるらしく、父方の実家でも伯父や従姉妹が何処かそわそわと忙しなかった。恐らくは彼らもサーカスを見に「奏町」に赴くのだろう。それならば一緒に行けば良かったが「サーカスを見に行こうよ」と従姉妹に誘われた時、僕は「遠慮しておくよ」と答えてしまったものだから。伯父の運転する車に今さら同乗することも躊躇われた。それは僕の些細なプライドが、ムクリと起き上がったからかも知れない。意地を張り通さなければならないような相手でも無かったのに。


最後の一口、コロッケを頬張る。咀嚼するたびに、口内の熱さと熱気や陽射しの暑さで、むわりと気持ちの悪さが込み上げた。ああやっぱりアイスにでもしておくべきだった。一寸先は蜃気楼。こんな状況で口にするものじゃなかったんだ、コロッケは。


小石を蹴るようにして畦道を歩く。両隣は田園風景が続いていて、右手に広がる視界には線路。左手に広がる景色には、相変わらずの田園と、所々に住居。妙にアンバランスだが、蜃気楼の先にゆらゆらと揺れるそれ等は余り気にはならない。


再び簡易的な地図に視線を落として、次の角を曲がるんだなと確認をし、何度か「角を曲がる、角を曲がる」と頭の中で反芻しながら、その通りに曲がる。畦道の終わりは突然で、見上げるほどに大きな林に入る手前。左右に分かれる道があった。地図によれば、角を右に曲がれば目の前には小さな橋があるはずだ。そう深くはないだろう川の上を走る、そう長くはないだろう橋があるはずだ。そう、あるはずだった。


それがどうしてか、角を右に曲がった先に見えたのはガラリと雰囲気を変えた町並みだった。RPGゲームの中に出てきそうな街並みを連想させる。僕は「え、」と短く声を上げて後を振り返った。そこには相変わらず長く続く畦道があるだけ。曲がるはずではない左も確認してみたが、地図にあるような橋は確認出来ず、変わらない畦道が延々と蜃気楼の中で揺れていた。


恐らくはあの店主が地図を描く際に間違えたんだろう。そう思うことにして、遠く見える町並みに向かって僕は歩き始めた。父方の実家がある町とは違って、奏町という所は随分と「お街」らしい。けれど高層ビルだとか洒落た店だとか、そんなものを感じさせない雰囲気で、何処か違う国にでも向かっているかのような感覚に襲われる。多分僕の頭は、この暑さに沸騰してしまったんだ。


歩を進めてゆくと、その町並みは大きく僕の視界に入ってきた。町の入り口に続く一本道の端には、古ぼけた看板が立っているが、その文字は随分と掠れてしまって読み取れない。プラカードを心なしか頑丈に作ったような板張りの看板は、柄の方から蔦に絡まれていたが朽ちることはなく、どこか力強く地面に突き刺さっている。それでも書いてある文字は読み取れない。書き直せばいいのにと思ったが、見知らぬ土地の事だ。僕には何ら支障もない。


額から伝う汗をTシャツの胸元を引っ張って拭いた。取敢えず、町の中に入って喫茶店にでも寄りたい。涼しいクーラーでもついているのが望ましい。そして胸焼けを起こしそうな、コロッケの余韻を流してくれる飲み物も飲みたい。ここに来たのは、サーカスを観るためだったが、今はサーカスよりも冷たい飲み物だ。町並みを一通り見渡してから、僕は入り口へと繋がる一本道を進んだ。


林の中に隠れるようにして見えるその町は、近づけば近づくほど全景を隠してゆく。大きな木々が邪魔をして、遠目で見たような外観を見えなくさせているようだった。この林を抜ければ町並みがある。それは先ほど確認したばかりだった為、僕は何の迷いも持たずに一本道を進み、林の中に入った。まるで一本道を避けるようにして、両脇に少し高めな位置から木々が生い茂っている。恐らくこの道は人工的に作られたものなのだろう。だからこうして、人が通る場所は切り拓かれているんだ。


ずんずんと進んでゆくと、少しずつあの町並みが視界に入ってくる。林に守られるようにして鎮座している町並み。周りを木々に囲まれながらも、その外観は本当にゲームの中で出てきそうな雰囲気だ。町というより「村」と形容しても正しいかも知れない。どこか古めかしいものの、それでもあの畦道を思えば「お街」に見える。地面はアスファルトではなく、まるでレンガを敷き詰めたようなものだった。家々は白と薄いオレンジのような統一が施されていて、じきに牛を引き連れた少女が通るんじゃないかと感じるほどに「異空間」そのものだ。ここでサーカスが行われるというのだから尚更驚く。


あと数歩で町に足を踏み入れるという所まで来て、僕の目の前に何か黒い影がスッと姿を現した。それは少女で、僕よりもその視線は低い。この暑い中、黒と白を基調としたようなドレスを着ている。この服装を「ドレス」と形容することが正しいのかどうかは分からないが、そんな感じだ。原宿なんかにズラズラと居そうな出で立ち。何て言ったっけ、こうゆう服装。頭にはフリフリのレースが咲き乱れている布を宛てていて、どうやらそれは顎の下で結ばれている黒くて細いヒモによって固定されているらしい。とにかく、僕が余り接することのない人種だということは確かだ。そんな少女が僕の進行を妨げるようにして突っ立っている。右手には平べったい魚の人形を引っ掴んでいることと、この出で立ち以外は文句のない少女だ。容姿もそう悪くない。



「あのー…退いて、もらえるかな」<BR>



僕が躊躇いがちにそう言えば、目の前の彼女は「どうして?」とでも言いたげな表情で首をかしげた。「どうして?」は僕の気持ちではあったものの、見知らぬ土地で見知らぬ人物と不毛な押し問答が出来るほど、僕はコミュニケーションに長けてはいない。


「先に行きたいんだ」  「どうして先に行きたいの?」

「どうしてって…暑いから。あ、じゃなくて…今日この町にサーカスが来るんだろ?だから、それを見るために」


模範的な解答だったと僕は思っているんだけど、彼女は再び不思議そうな表情で首を傾げてから、「あぁ」と妙に納得したような声を漏らした。


「サーカスは奏町で開かれるのよ?ここじゃないわ」

「え、ここは奏町だろう?」


「いいえ、ここはエミュータウンよ。サーカスの開かれる奏町の隣にある町」


僕はまるで理解出来なかった。あの地図は間違っていて、ここが奏町だとばかり思っていたからだ。だって、あの分かれ道で左も確認したけれど、店主の言っていた「橋」なんて何処にも無かったじゃないか。ゆらゆらと揺れる蜃気楼の向こうは、相変わらずの畦道しかなかった。そもそも、奏町の隣は僕が元来た場所のことじゃないのか?それとも反対側の隣?どうなってるんだ。


「だって…目印の橋なんて無かったんだよ」

「きっと見落としてしまったのよ。分かれ道を右に曲がった?」

「あぁ…右に曲がって此処へ来たんだ」

「…おかしいわねぇ」


相変わらず首をかしげながら、彼女は独り言のようにブツブツと何かしらを呟き始めたけど、特に興味もなかったし、現に聞き取れなかったので気にしないことにした。聞き耳を立てるのも失礼かと思ったから。


「それはそうと、エミュータウンの入り口で三月ウサギに会わなかった?」

「さ、さんがつうさぎ…?ウサギの着ぐるみなんて無かったけど…」

「いいえ、着ぐるみじゃないの。ウサギよ、三月ウサギ。彼に聞かなかった?ここはエミュータウンだって」

「…ウサギなんて居なかった、と…思う、けど…」

「まったく…!またサボってるのね!彼はエミュータウンの案内役なの…サボリ癖のある、ね」


そう言って、少女はオーバーな程にガックリと肩を落として見せた。この人は俗に言う「不思議ちゃん」という種類なのだろうか。それならばこの出で立ちも、右手で引っ掴んでいる魚のぬいぐるみにも頷ける。ウサギが案内役だなんて、僕に負けず劣らず、この暑さで頭がどうかしちまったとしか思えない。況してや、その「三月ウサギ」が喋れるとでも言いたげな物言いだ。まるで人間を相手にしているかのようで。


「三月ウサギは仕事を与えないと、する事がないの。する事がないと何をしていいのか分からなくなって、気でも違えたように大声で喚き散らしながら町中を走り回るのよ。窓を壊したり、ティーセットを叩き割ったりしてね。満月屋の看板もしょっちゅう倒して行くから、ミカヅキ猫がカンカンに怒ってるわ」


やけに饒舌に「三月ウサギ」の事を説明しながら、彼女は引っ掴んでいた魚のぬいぐるみをブンと一回振り回した。それが晴天の空に良く映えて、まるで魚が空を泳いでいるかのように見えた。


「やらなければならない事があるとやらない。やらなければならない事がないと騒ぐ。どうしようもない子なんだけれどね、彼は町のみんなに愛されているの」


まるで自分の家族の事を語るそれと似ていて、彼女は酷く穏やかな笑みを連れながら「三月ウサギ」の補足をした。にわかに信じがたい内容を話されてはいるものの、どうしてか僕は不思議とその話を「ふんふん」と妙に熱心に聞き入っていた。それは恐らくこの熱気の所為だろう。とうとう僕の頭は沸点を越えたようだ。でなければ、こんな信憑性もない上に根拠もない、況してや「ありえない」話を、あたかも納得しているかのように聞くことなんて不可能だ。ウサギが人間と同じような生活をしていることや、ミカヅキ猫と呼ばれた猫が看板を持つような職に就いていることなど、挙げたらキリがない。そもそも、この日本で「エミュータウン」なんて名前の町があってたまるか。隣町は「奏町」なんて日本名の町なのに、ここだけ「エミュータウン」だなんて。タウンじゃなくて、町だろう。いや、疑問に思うべきところはそこじゃないか…。ああ、本当に僕の頭の中はぐらぐらと煮えたぎっている。コロッケも出戻ってきそうだ。


「ここは奏町の隣なんだろう?それにしても、エミュータウンなんて珍しい名前の町だね」


僕はやっぱり頭の中が沸点を越えていて、したい質問は山ほどあるというのに、こんな言葉しか出てこなかった。


「奏町が珍しくなくて、エミュータウンは珍しいの?」

「あぁ…まぁ。普通、タウンなんて付く町はないからね。普通じゃないな、って」


「この町の名が普通なのか、この町の名が普通じゃないのか。私にはそんなこと分からないわ。だって私はあなたじゃないもの」


そう答えて、彼女はまた魚のぬいぐるみをブンと一回振り回した。確かにそりゃそうなんだけど。彼女は僕ではないから、僕の言う「普通じゃない」を理解できなくて当然だろう。けれどもそれと同じく、僕も彼女ではないから、彼女の話すことを全て理解するのは難しいことなのだ。況してや、ウサギだとか猫だとかタウンだとか。それは僕の想像の範囲を軽く飛び越えてしまうほどに突飛過ぎる。


「とにかく、ここは奏町じゃないの。来た道を戻るといいわ。あの分かれ道にきっと着くから」

「あの分かれ道からは、どう進んだら奏町に着くんだい?」

「さあ?私は奏町に行ったことが無いから分からないわ。けれど、行ってみればきっと分かるわよ」

「そんな行き当たりバッタリなこと…」


「元々あなたがサーカスを見に行くことに決めたのも、行き当たりバッタリのようなものでしょう?」


それもそうか。ん、待てよ。どうして彼女がそれを知っているんだろう。疑問が浮かんだが、結局僕は言葉として排出することなく「そうだね、戻ってみるよ。ありがとう」とだけ告げて踵を返した。今度は来た道を戻るのか。この暑い中いったい何をしているんだろう。頭がぼうっとしてくる。


「迷わないように、真っ直ぐ前だけを見て行くといいわ!分かれ道に着くまで、後は振り返っちゃダメよー!帽子屋に皮を剥がれちゃうからー!」


そんな恐ろしい言葉が背中にぶつかってきた。あの少女が大きく手を振りながら(いや、もしくはあの魚のぬいぐるみをブンブンと振り回しながら)僕の背中に叫んでいる姿が、何となく脳裏に浮かぶ。皮を剥ぐという帽子屋は、剥いだ皮でお手製の帽子でも作るのだろうか。僕だったらそんな帽子は絶対に被りたくないけど。自分の皮を使った帽子なんて被りたくないし、売られているのを目にするのも嫌だ。そう思えば、彼女の助言は有難いもので。後だけは振り返らないようにと、何度も何度も頭の中で反芻しながら歩いた。


再び両脇に林がそびえたつ、あの一本道の中間あたりまで歩いた時、さっきよりは微かな声で「サーカス楽しんでね!」と聞こえた。思わず振り返って手を振ろうかと思ったけど、やっぱり皮を剥がれるのはゴメンだから、手だけを大きく掲げて「ありがとう」の意味で振った。


林を抜けて暫く歩くと、分かれ道が見えた。心なしか早歩きで分岐点のまん前まで歩くと、僕は勢い良く後ろを振り返った。分かれ道まで来たのだから、帽子屋に皮を剥がれることもないだろう。遠目に大きく見えるあの町並みをもう一度視界に入れようかと思ったのだが、振り返ってみれば、そこは鬱蒼と茂る林がそびえ立っていて、あの一本道は愚か、その先に見える町並みさえも消えうせていた。まるで夢でも見ていたんだと嗤うような木立は、ねっとりとした息苦しさを削ぎ落とすような風に吹かれて、さわさわと小声で会話をしている。


林を背に、真っ直ぐ正面を見てみれば、目印だった「橋」が見えた。つまり、どっちにしろ店主の描いてくれた地図は間違っていた。角を右に曲がるのではなくて、左に曲がらなければならなかったんだ。けれど最初に来た時に左も確認したが、蜃気楼に畦道が揺れているだけで橋なんて無かったのに。


もう一度振り返る。やっぱりそこには青々と揺れる林だけ。人が進める道も無ければ、あの町並みも見えては来ない。


「暑さで気が違えたんだ…」


そう独り言を呟いてみるけど、あれが幻想だったとは思えないのが本音だ。蜃気楼の向こう側にたどり着いてしまったのかも知れないが、それは、僕が迷い込んだのか、それともあの町に誘われたのか。ゆらゆらと揺れる畦道に、僕ひとりぶんの影が濃度を増しながら映っている。


あの橋の向こう側から、人々の騒がしい声と、サーカス特有のおどけた曲が聞こえてきた。

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