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短編3000文字シリーズ

空のした。

作者: usk

短編3000文字シリーズ第7弾


 ふわりと風が舞って、ジャケットの裾を広げる。かすかに花の香りを運んできたが、なんの花なのかは分からなかった。

「あれから二年かぁ」

 見上げると、空にはひと際大きな入道雲が青い空に白い塊を作っていた。



「じゃあね」と彼女はこれが最後にも関わらず、いつもと同じ笑顔で、いつもと同じ挨拶をした。思わず「またね」と言いそうになるのをぐっと堪えて「じゃあな」とぶっきらぼうに言い放つ。

「正ちゃん、顔が暗いよ。もっと笑って」

「笑ってるだろ」と言った僕の顔はひきつっていたのだろうか。

「アドレス、ちゃんと消してよね。あたしも消すから――」

 彼女の言葉を遮るように、ホームに新幹線の発車を知らせるメロディーが流れ、無機質な音を出して容赦なくドアが閉まる。

 僕達の最後の会話はそれで終わった。新幹線の少し曇った窓ガラス越しに、彼女が何かを言っていたが、僕の耳にはもう届かなかった。



 二十歳の頃から付き合い始めて六年。彼女とすごす毎日は、あっけなく彼女の方から終わりを告げられた。

「あたし、留学する」

「は?」

 彼女が前から見たいと言っていた映画を見に行った帰り、アパート近くのファミレスで晩御飯を食べていた最中だった。

 僕はその日見た映画の内容が、アメリカへ留学した女性の恋愛ものだったから、その影響を受けて思いつきのように言ったのだろうと軽く聞いていたのだが、彼女の決意は生半可なものではなかった。

「ホントはね、もっと早く言うつもりだったの。正ちゃんあたしの夢知ってるよね?」

「シンガーになってブロードウェイだっけ? ……ってまさか」

「うん、もう向こうの学校に願書送っちゃった。で、見事合格」

 その日二度目の「は?」はほとんど声にならなかった。

「来週の月曜には、出発なんだ」

「来週の月曜って、明後日だよ」

「うん……突然でごめんね?」

 そう言って笑った彼女の顔は少しだけ寂しそうだった。


 なんの心の準備も出来ず迎えた日曜日、彼女の部屋に行くと見慣れたはずの部屋は綺麗に片付いていた。何もなくなった部屋を見てようやくこれが現実なんだと実感する。

「何もなくなると結構広いんだねぇ」

 部屋の中央に立って彼女は両手を広げた。傍らにはいつの間に用意したのか、大きめのスーツケースが置いてある。

「ホントに行くんだ?」

「行くよ。夢だもん」

 いっそ清々しいほどの即答に思わず笑みが零れる。思えば彼女はいつもそうだった。思いつきのように突然行動を起こすけど、いつだって用意周到で、なんでも一人で勝手にきめてしまう。僕は彼女のそういう所が大好きだった。彼女といると毎日が驚きに溢れていて、毎日が楽しみだった。

 英語を習いたい、と言った彼女を僕は軽い気持ちで応援した。

 もっとうまくなりたいとカラオケで納得のいかない顔を見せる彼女にも、軽い気持ちで「頑張れ」と言った。

 彼女は僕の前をいつも早足で歩いていた。僕はただ彼女に着いて行くのに必死で、頑張って、頑張って、でもそれが楽しくて。気がつくと六年間が過ぎていた。その間も彼女は自分の夢を追いかけていたんだと、今になって思い知った。


「正ちゃん、泣かないでよ」

 彼女に言われて僕は初めて自分が泣いている事に気がついた。慌てて袖で涙をぬぐう。

「あたしを応援してよ。いつもみたいに『頑張れ』って言ってよ」

 頑張れ、そう言おうとして言葉は喉から前に出ずに、吐き出した声はみっともない嗚咽だった。

「ごめんね」彼女は僕の指を掴むと、申し訳なさそうにそう呟いた。


「キミは泣かないんだね」

 すっかり薄暗くなった部屋の真ん中で肩をくっつけて座る。僕が落ち着くまで彼女は僕に寄り添っていてくれた。

「あたしは泣かないよ。自分で決めた事だもん」

 彼女の目はまっすぐ窓の向こうに向けられている。きっと僕には見えないものを見ているんだろう、その目は夕日を浴びてキラキラと輝いて見えた。

「あたし、寂しくなったらきっと正ちゃんに連絡したくなると思うの」

 彼女は窓の外を見ながらはっきりと言う。

「だからね、アドレス、消そうと思って」

 彼女の口元が小さく歪む。

「だからね、正ちゃんも――」

「頑張れよ」

 彼女の言葉を遮ってようやく言えた言葉は、自分でも驚くほどスムーズに、はっきりと言えた。

「僕もアドレス消すから。夢叶えるまで絶対諦めるなよ」

 小さな肩を抱き寄せて唇を重ねる。


 この短い時間で僕の出した答えは、やっぱり彼女を応援することだった。いつだって僕の前を歩いていた彼女を、僕が引き留めてはいけない。僕が彼女の足枷になってもいけない。彼女は自由に歩いていてこそ美しく輝いていられるのだから。そんな彼女を僕はきっと、ずっと大好きだから。


 長い長い口づけの後、ゆっくりと唇を離すと、彼女の頬に涙の跡が見えた。が、それもほんの一瞬で、もう一度見ると彼女は笑っていた。

「今日が最後だから、もっとキスしよ?」

「一生分のキスをしよう。ずっと忘れないくらいに」

 二人で過ごす最後の夜は、この六年間で一番濃密で、一番純粋なキスで満ちた。


「ところでさ、留学って何年なの?」

「早くて二年かな。卒業した後もしばらく向こうでやってみるつもりだから、日本に帰ってくるのはいつになるか分からないけど」

 東京へ向かう新幹線は、彼女を僕の手の届かない所へ運ぶために、あっけないほど時間通りに到着して、最後の別れの覚悟も曖昧なまま彼女は颯爽と乗り込み「じゃあね」と、いつもと同じ笑顔で、いつもと同じように挨拶をした。

「じゃあな」と言った僕の声はもしかしたら震えていたのかもしれない。

「正ちゃん、顔が暗いよ。もっと笑って」

「笑ってるだろ」と言った僕の顔はひきつっていたのだろうか。

「アドレス、ちゃんと消してよね。あたしも消すから――」



 彼女の最後の言葉は今でも分からないままだ。

 ポケットから携帯を取り出してアドレスを開く。

 慣れた手つきで呼びだしたアドレスは結局消せないまま残してある彼女のアドレスだった。

 僕は大きな入道雲を見上げて、遠くの空の元にいるはずの彼女を想う。

 あれから二年間、彼女からの連絡は一切無かった。いつも僕の前を早足で歩いていた彼女だ、自分で言った事は守ったのだろうと思っていた。

 一人で過ごす二年間は、彼女といた六年間よりもずっと長く感じたけど、なんとかやって来れたのは彼女との思い出があったからだった。彼女を応援すると決めた以上、このアドレスには自分から連絡をするような事はしないと決めていた。



 不意に携帯が鳴ったのは、ほんの三日前の深夜だった。

 ちょうど布団に入ったばかりの僕は、少し苛立ち気味に携帯を開いた。そして画面に映し出された名前に飛び起きた。


『祝、卒業』の一言と共に添えられた写メールには、最後の別れの時よりも随分髪の伸びた彼女の溢れんばかりの笑顔が映っていた。

 あまりに突然のメールに驚いて固まっていると、続いて着信が入った。見慣れた電話番号、名前もまさしく彼女のものだった。

 飛びつき気味に通話ボタンを押す。

「もしもし」

「あ、起きてた? ごめんねそっちはもう夜だよね」

「いや、てか……」

「あ、びっくりした? そうだよね、正ちゃんは素直だからちゃんとアドレス消したよね。でもごめんね、あたし消せなかったの。でもちゃんと二年は我慢したよ、えらいでしょ」

 あっけらかんと言い放つ彼女に僕は思わず吹きだしてしまった。

「偉いね、美織」

 ホントは言いたい事はもっとあったのに、僕の口から出たのはその一言だけだった。






こうして短編を書いていると……わたくしがいかに携帯好きかがわかりますね(笑


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