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ぬしさま  作者: 里桜子
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帰省の最終日

 私は何しているのだろう。

 万里はトボトボと山を下りながら考えていた。

 サンダル履きの足は痛いし、とんでもないもの持ってるし。なのにどうして捨てようとか思わないのだろう。

 どうして偉そうで図々しい上に視線が生々しいエロイおっさんを連れているのだろう。考えても考えても分からない、どころか益々深みにはまるようだ。  

「エロいおっさんとはなんだ、失礼な」

 水筒の中にいるはずのオオサンショウウオの声が響く。連れていると考えが読めるらしい。また面倒くさいことが増えた。

「エロ主でも物足りないわよ」

 信じらんない!私ってバカ。こんな奴の言いなりになってる私ってバカ。ホント、バカ。

 万里はそう言って頭を自分でポカポカと叩いた。

 どうしてこんなことになったんだ。


 家のたどり着くと勝手に倉庫からバケツを借りて井戸水を汲むと、万里は急いで自分に貸してくれている部屋に戻った。

 部屋に入るなり、水筒の蓋をあける。

「出てきていいわよ」

 エロ主はキョロキョロと周りの様子を見るように注意深く出てきて、ポチョンと水音を立ててバケツの中に入っていた。見てみるとそこにいるのはトカゲぐらいのオオサンショウウオ。

 意外に小さい。

「もっと、大きいものだと思っていたけど」

「水筒の中に入るために体を小さくしたのだ」

 そういうとエロ主は、ボアッといきなり膨らんだ。万里はいきなりバケツにキチキチになったオオサンショウウオに驚き、思わずバケツを落としそうになった。

 肌がヌルリと黒光りしている、なんて気持ちが悪い。

 こんなのを産み落としたら確かに失神ぐらいする。いや、それだけでは済まないだろう。

「びっ、びっ、びっくりするじゃない!」

 心臓が今まで聞いたことのない音を叩いている。

「そちが見たいと申したのであろうが」 

 万里は心臓を押さえながら、ふん、と横を向いた。人のせいかよっホントむかつく。


 夕飯の時間の話題は当然というべきか今日の犬井さんの蔵の話になった。

 色々あった今日は午前中の事なんかまるで昨日の事のようだと思いながら万里はご飯をかみしめた。

「なんかいいモンあったか?」

 そういうおじいさんの笑顔は下品だった。犬井家といえば昔は庄屋として栄えていて蔵に何があるのか前から興味があったのだそうだ。

「古い本とかはたくさんありましたよ。あとは……よくわからない」

 壺とか、茶碗とかそういうものが入っていそうな箱はなかったような気がする、と天井を見ながら万里は思い返す。

 そこで、ふと、一つ聞きたかったことを思い出した。

「犬井さんって絵がお上手な人がいたんですか?」

 万里は絵が描いてあるスケッチブックがあの蔵にあったことを話した。もちろん中身の話は伏せて。

 多分、絵のモデルはミツさんだ。あとは誰が描いたかだ。

 しかし、予想に反しておじいさんもおばあさんも、もちろん幸恵さんも知らないと首を振った。

「昔は、ここらでも画家さんが回ってきていたからねぇ」

 写真がそんなに普及していないころは、年に一度ぐらい、絵描きが家々を回って肖像画とか書いていたらしい。

「写真が普及してない頃っていつの話ですか?」

「昭和30年代までぐらいかなぁ、この辺は泊まるところなんかないから、犬井家みたいな立派な屋敷に逗留してたんだ」

 なんだか、懐かしいなとおじいさんとおばあさんは顔を見合わせて笑う。

 確かに田舎といえど今の生活では想像もつかない。

 なるほど、昭和30年代までそんなことしてたなら、百年前はもっと写真が珍しいわけだから事情は多分同じだろう。

 当主に絵の趣味でなくても絵が残せる事情はあるわけだ。

 万里は箸を咥えながらウンウンとうなづく。

「ところで、万里、おまえ、どうして水筒に半分しか泉の水を汲んでこなかったんだ?」

 ほろ酔いの顔で片手にグラスを持ちながら父が万里にそう言った。

 あっ、と万里は思ったが、もう遅い。

「台所に置いてあった水筒の水、もしかして飲んだ?」

 あれにはエロ主が入ってたんだけど。

 すぐに洗っておかなかったのは失敗だった。

「なんだよ、ダメなのか?あの水、甘くて美味いんだよ。もっといっぱい汲んで来いよ」

「美味しいの、それ」

「ああ、東京の水道なんかと比べちゃダメだよな」

 上機嫌な父の言葉に万里は「ごめん」と言うしかなかった。まさか、オオサンショウウオが入ってましたとはいえない。

 そんないささか青ざめた万里の目の前で父は、グイッと水割りを飲み干した。


 夕飯が済んで片付けの手伝いも済むと万里はすぐに荷物の整理があるからと言って部屋に戻った。そして、バックからスケッチブックを取り出すともう一度の明るい電気の下で見直した。

 若い、少女といってもいいくらいの女の子。ミツさんは魂移りの時には15歳だったんだから多分、その当時。

 背中を見せてる絵は女の万里の目線でも見惚れるくらい綺麗だと思った。残りのベージは現代でいうなら、男性目線のグラビアといっていいだろう。

 えんぴつ画だからカラーではないし、どちらかというと美術の授業でやったデッサンに近い絵だとは思うが、このぼかし具合が余計になんだか卑猥に見える。女の子の顔も無表情なのが逆に味わい深い。

 同性の裸体に興味がない万里だが、綺麗だな、と思った。非常に丁寧に描かれているせいかも知れない。

「勝手にもってきちゃっていいのかな」

 ページをめくりながら言うと頭の中にエロ主の声が響く。

「いいんじゃないのか。ミツだって、売られたくはないだろうさ」

「やっぱりミツさんなの?」

「あぁ、よく似てる」

 尻尾を動かされるくらいでは、オオサンショウウオの表情はわからない。本当のところはどうしてミツを探せなんて言ったのか泉を出たいなんて言ったのか、全然分からない。

 しかし、万里もミツさんのことは何だか気になっていた。何しろ15才で他所から呼ばれてオオサンショウウオを産み落としたのだ。

 普通じゃ考えられない。常識の範囲外だ。

 手紙は確かに幸せそうな文面だったが、そこにたどり着くまでは長く過酷だっただろう。どんな人生を送ったのだろう。

 そんな思いが万里の頭を巡っていた。

 スケッチブックの最後に挟んであったハガキの住所に行ってみようか、と思う。もちろんミツさんはいないのは承知で。

 そして夜が更け、その日は結局、そのままで風呂に入って布団に入ったのだが、夜中に突然エロ主のでっかい声が頭に響いた。

 思わず万里は飛び起きた。

「なにっ」

 窓辺に置いてあるエロ主を見れば、奴はバケツの縁に手をかけてこっちを見ていた。

「腹減った」

 なんだとぉ、今、何時だとおもってるんだ。

 頭をボリボリと掻きながら布団から起き出した万里はエロ主まで這っていきなりエロ主を人差し指で弾いた。

 ボチャンと音がしてバケツの中にオオサンショウウオが落ちる。

「なにをするのだ、失礼な」

「失礼はどっちよ、いい気分で寝てたのに」 

「腹が減ったと申しておろうが」

「カスミでも食べてれば?」

 万里はそう言うと、布団にもぐりこんだ。とたんに頭にグワーンとお寺の鐘が響いたような音が響く。

「だから、なにすんのって言ってんの」

「腹減ったといっておろうが」

 ダメだ、万里は肩を落とした。これでは押し問答だ。

「で、どうすればいいのでしょうか、ね」

 諦めた万里はエロ主に伺いを立てた。

「供物を用意せよ、簡単なものでよいぞ」

 ここは自分の家ではないし、そんなことできるか、なんていう言い訳は出来そうもない。万里は眠い目を擦りながら台所へ降りて行った。

 そこで、音を立てないようにそっとごはんと残っていた味噌汁を持って再び二階にあがった。心なしか鳴り響く虫の音が夜中に起こされた自分への応援歌のように聞こえ、今の万里にとって、エロ主以外はみんな味方のような気分になった。

「はいよ」

 いささか乱暴にお盆を畳の上に置くと、エロ主がボン、とイケメンになった。

 しかし、せっかく持ってきたご飯は見つめるだけで食べようとしない。

「食べないの?」

 万里が聞いても答えない。そのうちエロ主は「馳走になった」と再びオオサンショウウオの姿になるとバケツに戻っていった。しばらくすると万里の頭に寝息が響き始める。

 何、何?何なのよ。食べてなんかないじゃない。夜中に起こしておいてどういうこと?訳が分からない。

 第一、この残ったごはんはどうすんのよ。

 何だか振り回されたような気になった万里は、ごはんと味噌汁を口の中にかきこんで布団をかぶった。そして、目をギュッと瞑る。しかし、一度目が覚めてしまった頭はすっかり冷めてしまってその夜は中々眠りに入ることができなかったのであった。

 しかも、そんな目にあっていても万里はエロ主を追い出そうとは思わない自分に気が付かないのだった。

 翌朝、万里は眠い目を擦りながら連れて行くのが当たり前のようにオオサンショウウオを水筒に入れて、荷物をまとめた。

 本当にどうしてこんなことをしているのか、ワケが分からない。

 万里は大きく息を吐いた。

 

 帰り際、おじいさんとおばあさんは優しく「またおいで」と万里に声をかけてくれた。

「ありがとう。楽しかったです」

 と、万里は自分で思うかぎりの丁寧なお辞儀をした。本当にご飯も美味しかったしみんな親切だったし最高でした。マイナスポイントはエロ主だけ、とまでは言えない自分が悲しかった。

 そして、高速に乗ったころ、車の中で幸恵さんがこんな話を始めた。

「万里ちゃんが伝承を調べてて思い出したんだけど、中学の時にね、あの泉にいったら銀色の髪をした男の人が岩にすわっていたの。話しかけられたんだけど怖くて逃げちゃった」

「おいおい、本当かい?」

 運転席と助手席に座る新婚さんは何だか幸せそうに会話をする。

 その話の間中、万里は黙って寝たふりをしていた

 もう!その時に幸恵さんが話を聞いてくれていたら、私はこんな目に合わなかったんだけど!

 心の中で叫ぶ。おまけに水筒の中のエロ主も寝たふりをしていた。コイツ。ホント、食えないやつ。


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