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ぬしさま  作者: 里桜子
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ぬしさま

 明日には東京に帰らねばならない。だからタイムリミットは今日だ。

 万里は早起きをすると、おばあさんが暗いから、と貸してくれたロウソクランタンを手に住職さんが犬井家の蔵に向かった。

 なるほど、犬井家は古いが太い一本柱を使用したとても重厚で立派な作りの日本家屋だった。蔵があるのもうなづけると万里は思った。

 重い開き戸を開けて薄暗い蔵の中を見渡す。なるほど、おばあさんが灯りを持っていかないと字が読めないと言ったのは正解だった。大げさだと思った万里の認識が間違っていたのだ。

 蔵の中は真夏だというのにひんやりとした空気でその上、暗い。

 その薄暗い蔵の中には住職さんが言っていた犬井さんの娘の話の通り、古そうな本やらいつの年代か分からないような帳面やらが積み重ねてあった。

 結局のところは消去法で国文を選んだ万里なのだが、本は好きだ。古い本の中には初版本らしきものもあったりして興味をそそった。探せば値打ちものだってあるだろう。暇さえあれば籠って探して読みたい衝動にかられたが、生憎、時間もない。

 とりあえず、積んであった帳面をパラパラとめくりながら中身の確認を始める。

 その中の江戸時代と思わせるような毛質のミミズ書きのような文面のものは避けていく。すると古そうな鉛筆書きの帳面が残った。

 裏表紙に書かれていた日付を見ると明治44年。

 万里の口から「ビンゴ」と飛び出した。

 漢字とカタカナが混じった文面は現代人には読みにくい、が万里は初めて国文を専攻して良かったと思った。何とか読めそうだ。

『タマウツシ』となる文を見つけた時は思わず口笛を鳴らした。間違いない、これだ。

 男の名前がズラズラと書いてあるのは参加した名前だと思われた。その最後にミツとある。年を見れば15歳。ひどい事をしたものだ。現代では考えられない。しかし、それが唯一の良心だったのか具体的にどうしたのかは書いてなかった。

 その帳面の下には、帳面と同じくらい汚れた小さなスケッチブックがあった。もしかして同じ年代かもしれない。

 一枚めくって万里は目を見張った。そこにはエンピツで女の子の絵がスケッチしてあったのだが、素人ばなれとしかいいようのない綺麗な絵だったのだ。なんて魅力があるのだろう、と思わず見入った。

 でも、問題はその絵の構図だった。

 これ、ヌードだよねぇ、と万里はつぶやく。

 描いてあったのは綺麗な長い黒髪の女の子が裸体。芸術品なのか単なる趣味なのかは万里には分別などできなかった。

 住職さんのじいさんが見に行ったというのはまさかこれじゃないだろな。そんな事を考えながら最後までページをめくったところででパラリとハガキが落ちてきた。差出人を見ると住所は東京市。名前は相田ミツだ。文面は季節の便り。要するに今までお世話になった犬井家への感謝がつづられている。いい嫁ぎ先を探してもらったってことは結婚したということになる。

 万里は悪いな、と思いながらスケッチブックと手紙をバックにしまった。取りあえず主様へ報告を優先してその後こっそり戻して置けばいいだろう。

 万里は、その足で泉に行ってぬし様を呼び、ハガキとスケッチブックを見せた。

 現れたぬし様は不思議なことに泉から出てきたというのに濡れていない。

 それが人ではない証明か、と万里は思いながらスケッチブックを眺める主様を見つめた。

「そうか、幸せに暮らしたのだな、ならばよい。」

 最期に手紙を読んだぬし様はそう言ってうなづいた。納得してくれたようだ。

「じゃ、用が済んだなら私は帰るね。今度会う時は清らかじゃないかも知れないから最後かな」

 万里は立ち上がるとそういってお尻の砂をはたいた。とりあえず暇つぶしは完了だ。

「待て」

 呼び止めれて万里は用が済んだのに、と思いながら顔を上げた。

「お前の格好を見て変わった世の中が見たくなった。連れて行け。」

 そういって、ぬし様はショートパンツとTシャツ姿の万里の姿をジロジロと見た。

 だから、その視線が生々しい、本当は単なるエロジジイじゃないの?と万里は内心思う。

「連れて行けって、どこだって行けるんじゃないの?」

 例えば水の中ならつながってるとか。人間じゃないんだし。

「私はここ以外は動くことは出来ぬ。それにこの姿も長くは保てぬ」

 意外に井戸の中の蛙のような主様だな、と万里は思った。思って、それから自分の身体が動かせない事に気が付いた。

「何?動けない」

 動くのは口と視線だけ。目玉だけを動かしてぬし様を睨みつける。しかし、どうにも迫力が出ない。

「私を連れて行け」

 それはまるで、呪文のようだった。

 万里の身体は魔法に掛けられたように勝手に動き、持っていたバッグの中から水筒を取り出す。

 これ、お父さんに水割り用に頼まれたやつなのに、と思いつつ、蓋を開ける。身体がいうことを聞かない。しかも今度は水筒をもったままで、頭の中に響く主様の声の通りに身体がまるで氷の上を滑るように抵抗無く泉の中に入っていく。一昨日は入るなと言われたくせに、だ。

 引き込まれる。

「止めて、いや、怖い」

 声は出るけど、腹の奥からの大声は出ない。

 ゴボリ、と音がして持っていた水筒が持っている万里の体ごと水に沈む。

 何すんの。

 叫びたいとは思うが、この泉は意外に深い。口を開けると水が入り込む。夏だというのに冷たい。

 金色の瞳が自分を覗き込むように見つめているのがわかる。

 あぁもう、こんなことされているのにイケメンだと思う自分が憎い。 

「素直で結構」

 ぬし様は顔を半分だけ歪めて喉の奥でククッと笑うとオオサンショウウオに代わり、水筒の中に入り込んだ。

 ああ、お父さんの水割りにオオサンショウウオが!飲むのか、これ。

 オオサンショウウオが入り込むと金縛りのようだった身体がいきなり自由になり、万里は水の中に沈んだ。水筒を持ったまま水の中をもがきながら陸にあがり、ゼイゼイと荒い息を吐きながら水筒の水を泉に戻そうとするが、今度は手から水筒が離れない。

 いや、手が動かない。

 何、これ。

 そうは思うが、理由は分かっている。ぬし様だ。なんとしてもついていくつもりらしい。 

「離すな」

 頭の中でぬし様の声が響く。

 離したくてもできないじゃん、と万里は叫び答えるが、そんなことはおかまいなしにまたもや勝手に身体は動きだし、水筒の蓋を勝手に締めて、ご丁寧にバックへしまった。

 いつのまにか服を乾いている。身体だけではない、髪も。

「おお、温度も保てるし、中々快適だな」 

 時代劇みたいな言い回しで、実に勝手な言い分の言葉が頭に響く。

「ちょっと、勝手な事しないでよ。出て行きなさいよ」

 しかし、水筒に収まったぬし様は鼻歌でも歌ってるかのような他人事ぶりでもう言葉さえも発しない。

 それに不思議な事に万里はぬし様を追い出したいと思うのに万里は具体的にどうすればいいのか、思い浮かばないのだ。第三者的には水筒を置いていけばそれで済むことぐらい思いつくのに、万里の頭の中はそれを眼隠したように思いつかない。

 ただ、嫌だの帰れだの叫ぶだけ叫ぶが、それ以上は考えられない。

 しかもそんな自分に気が付かない。

「これでよい、帰るがいい」

 これでよい、とは万里のコントロールが完了したということなのか、万里の頭の中で主様の声が響く。

「私は乾くと死んでしまう。いつでも水を用意しておけ」

 なんて勝手な言い分なのだ。連れてけ、と言ったのは自分のくせに、準備はすべてしておけ、とはなんと偉そうな。他人に願いを立てる時は下手に出るものだ。

 絶対、やだ。

 そうは思うが、置いて行く方法が見つからない。ぽっかりとその部分に穴が空いてしまっている。

 誰か、第三者の意見が欲しい。アドバイスが欲しい。しかし誰も居ない。それがこれほど悔やまれた事もない。

 もう仕方ない。何が何でもぬし様はついていくつもりなんだ。

 どうにでもなれば?と万里は諦めの心境に足を踏み入れた。でも、しかし、それではあまりに悔しい。

 せめて、せめて、コイツを『ぬしさま』なんて『さま』付けなんかで呼んでなんかやらないからな。

 万里はそう強く決意しつつ、半ばヤケッパチで家に戻った。

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