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ぬしさま  作者: 里桜子
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相変わらず

 万里は買ってきた子犬を帰宅してすぐに玄関先でゲージから放った。

 するとすぐに子犬はあちこち匂いを嗅ぎ回りながら部屋の奥へ入って行った。とりあえずここが気に入ったらしい。

「ええと、なんかなかったっけ、犬のエサを入れるのに使えるようなお皿……と。」

 万里は一人、ブツブツ言いながら部屋の中に積んであるいくつかのダンボールの中の一つを開けて中身を確認していく。

「いいのないなぁ」

 誰も居ないというのについ、独り言がでる。

 こうしてすべての荷物をダンボールにまとめてしまうと、元々質素を心がけて生活してきた万里の部屋はさらに寂しくなってしまい、それを繕うように無意識に声が出てしまう。

 ダンボールと少しの家具しかない部屋に万里の独り言が響く。

 おまけに無駄な物は処分してしまったが為に子犬の食器に使えそうなものすら、ない。

 万里はダンボールを一つ組み立てると、買ってきたペット用のトイレシーツを底に敷き詰めた。とりあえず、子犬には今晩だけはこの中でガマンしてもらおう。

 放した子犬を入れようと周りを見渡すが、肝心の子犬がいない。

「あれ?」

 まずい、万里の顔が少し青ざめる。その辺で勝手に粗相してたりしてないだろうな、そんな思いが脳裏をよぎる。やめてくれよ、明日は引っ越しなのにこの期に及んで部屋を汚すのは非常に困る。

 万里が慌てて探すと子犬は積み上げたダンボールを踏み台にして上ったらしく窓辺で外を見ていた。カーテンに隠れて見えなかったのだ。

 清良みたい、万里は窓の外をじっとみる子犬の後姿をみて思う。

「変な犬……ま、いっか」

 オオサンショウウオと犬を比べるのはどうかしてる。万里は頭を振った。とにかくマトモな生き物を飼うのを初めてだ。こんな仕草もあるのかもしれない。そうに違いない。

 そんな事よりお腹すいた、と時計を確認すればもうもうすぐ8時だ。今日は5時あがりのバイトだったのに、犬なんか買ったせいで随分遅くなってしまった。

 とりあえず、自分のごはん、と万里はカバンからコンビニの弁当を取り出し、ダンボールを漁ってペットボトルのお茶も取り出した。

 明日は朝から荷物の運び出しだから冷蔵庫はカラッポだし、レンジもコンセントを抜いて保護シートに包まれている。

 机すらも片付けてしまった部屋の中で一人座って冷たくなったコンビニ弁当を前に箸を取り出すと、犬が窓辺から降りて近寄ってきた。

「食べたいの?」

 トレイを持つ周りで盛んに匂いを嗅ぐ子犬に万里は話しかけた。もしかしてお腹すいてたのかな、と万里は弁当の蓋をお皿代わりにして中に入っていたチクワの天ぷらを一つ、置いた。

 お腹が空いていたとおもっていた子犬は散々、匂いをかいだが、なぜかチクワを前にしてお座りをするとジッとそれを眺めて決して食べようとしない。

 変な奴だ。

 そういえば、清良もそんな姿でそんなことしてたっけ。ごはんを前にして、じっと見てるだけで、口にしようとはしなかった。『気』を食べてるって言ってたな。

 万里はあの金色の瞳を思い浮かべた。

「お前の名前、キヨラにしようか。」

 万里はチクワを目の前にしてお座りをする犬に話しかけた。言ってみて、そうだ似てるし、と心の中でうなづく。可愛いようで可愛くないところとか、窓辺が気に入ったところとか、見た目は全然違うけど本当に良く似てる。

 犬はふいに視線をチクワから離して万里を見た。万里は犬に微笑みかける。しかし犬はじっと万里に視線を向けたままだ。

 何か言いたそうに。しかし、吠えることすらしない。

「何よ、要らないなら食べちゃうから。折角分けてあげたのにさ」

 万里はチクワを箸でつまむと口の中に放り込んだ。

 コンビニ弁当は期待をしすぎなければ十分美味しいけれど、一人でゆっくり食べるのには適さない。万里はさっさと食べ終わるとキッチンにむかった。ゴミを分別していると、ふいに後ろから抱きしめられた。

 え?

 心臓が大砲を打ったみたいにドンとすごい音がしたような気がして、思わず手が止まる。

 うそ、うそでしょ?でも確かに抱きしめられている。

 この感触、腕の強さ、知ってる。何年も前のことだけど、覚えてる。

「……万里……」

 この声、この声でずっと、もう一度呼んで欲しいと思っていた。

 何て言ったらいい?おかえり?会いたかった?それとも……言いたいことは沢山あって、返って頭の中をグルグルとかき混ぜた。でも、次に聞こえてきた言葉は万里のそんなロマンチックな気持ちを一気に冷めさせた。

「私を見つけるのが遅い」

 その低い声は、やはり、と万里の鼻の頭がピクリと動いた。

 何だと?急に消えといてそのセリフはどういうこと?

「何よ、勝手に消えたくせに。探す訳ないじゃない」

 背中を向けたまま、万里は言った。言っておいて頭の中で否定をする。違う、違うよ。こんな事が言いたいわけじゃない。こんなこと思ってるわけじゃないのに。

 けれどもそんな言葉は口からは出てこない。

「犬に取り憑いてからだけでも一週間だぞ。毎日のように通り過ぎていったくせに全く気が付かんとは」

「うるさいな」

 たまらなくなって万里はは身を反転させた。けれども目を合わせる事はできなかった。あの金色の目があんなに恋しかったのに、今見たら引き込まれてしまって何もかも許してしまいそうだった。

 万里は下を向いたまま怒鳴った。

「うるさいな、うるさいよ。勝手に消えた男なんて探すわけないでしょ?もう忘れちゃったんだから。」

 涙が滲んで慌てて目を擦った。本当はこんなこと言いたくない、なのに、言わずにはいられない。

 だって、待ってたの。忘れられなかったの。清良だってそうだったって、言って欲しい。

 なのに。

「万里、こちらを見ろ、私を見て、もう一度言え。」

「うるさい!知らない。見たくない!忘れたの!」

「万里」

 冷たくて大きな手が私の頬を包む。そして、そのまま力づくで上を向かせた。万里は目をギュッと瞑った。

「相変わらず、強情で可愛くない女だな」

 吐息が万里の顔に掛かった。それはどんどん近くなって、やがて、柔らかいものが私の唇を塞ぐ。

 それは、長い間、私の唇をただ、塞いでいた。悔しいけど、気分が少しづつ和らいでいくのが分かる。

「万里、目を開けよ」

 優しい声に促されて、万里はやっとゆっくりと目を開けた。

 目の前には満月のお月様のような瞳が二つ、見たかった満月。

「清良……本当に清良…?」

「そうだ。万里」

 聞きたかった声、見たかった瞳、万里の目から涙があふれる。

「どこにいたの?今まで」

「わたしは実体をもたないただ『そこに在る者』だ。それに誰でも依り代になれるものでもない。魂が私に応じる者を見つけるのに時間がかかった。それに万里が見つける必要もあったのだ」

「私が見つける?」

「そう、私は実体がない。形を作るには呼ばれることが必要なのだ」

 よく、わからないけれど、とりあえずあの子犬の魂が共鳴したってこと、でいいのだろうか。

「そんな理屈はどうでもいい。万里、時間が掛かったがそなたは私を見つけた」

 清良の腕に力が入って私を抱き寄せた。苦しいくらいきつく抱きしめられる。

「苦しい、苦しいよ、清良」

 腕の中で私は、呻くように言った。

「万里」

 清良は何度も名前を呼びながら万里のこめかみや頬にキスをした。それから、頬、そして、唇にも。

「清良なんか、嫌い」

 優しく抱きしめられて優しく唇を塞がれて、自分の頬が涙に濡れても万里は清良を抱きしめようとはしなかった。

「そうか、嫌いか」

 クスクスと笑いながら清良は万里を抱きしめる。

「嫌い」

「よい、嫌いでも好きでもよい、そうやって私を想うていろ」

「じゃあ、嫌い」

「万里が私を嫌うなら私もそうしようか」

 もう一度清良の冷たい唇が万里の唇を塞ぐ。冷たい清良に万里の体温が移っていって、やがて万里と清良は同じ体温になった。

「私が好きだって言ったら?」

「好いていると言おうか」

「じゃあ、好き。ずっと、こうしてて。抱きしめて」

 万里はそう言うと清良の背中に手を回して引き寄せた。

 すると、痛い、と思うほど清良も万里を抱きしめた。

「万里、一度しか言わぬ、よく聞け」

「なあに?」

 万里は清良の胸にうずめながら返事をした。

「良く私を見つけた。待っておったぞ、万里が私を見つけるのを」

 うん、待ってた。万里も心の中でうなづく。清良にそう言ってもらえるのを待ってた、私も。

「聞こえなかった。もう一度」

 もう一度、聞きたい。ううん、何度でも。

「一度しか言わぬと申したはずだ」

「だって、聞こえなかった。」

「うるさい、黙れ」

 そういって清良は私の唇を塞ぐ。

 本当に意地悪なんだから、万里は息苦しいくらいの清良の腕の中でそっと瞼を閉じた。


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