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ぬしさま  作者: 里桜子
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宿題

 万里は雨上がりの青空のような気分だった。

 空は晴れやかでも雨の記憶がなくなるわけではない。同じように清良のことは忘れたわけでも忘れようとしているわけではない。一人で立てそうもないが、家族や友人に支えてもらえればなんとか立ち上がって歩くことができることがわかったから。

 それがわかってすっきりと晴れた気分になれたのだ。

 今度来る時は最初から笑顔でそれから手土産も持ってくるから、そういって万里はお世話になったおじいさんたちと手を振って別れた。

 再び始まった東京での暮らしは、バイトと学校と自宅のトライアングルを行ったり来たり、と清良と出会う前と変わらない。忙しいのは何も考えなくても済むから返って楽だ。

 万里は由香里に夏休み明けの最初のコマの時に清良と別れたと簡単に説明した。

 由香里はうんうんとうなづいて、万里の肩をポン、と叩いた。叩いて、それだけだった。詮索しようとしない由香里を見て万里は自分がいい友人を持っていることを知った。二人でお酒を飲みに行って、くだらないことで笑った。今度は笑いすぎて万里は涙を流した。 

 そんな感じで始まった生活のある日、いつもカジュアルな姿が多い万里が珍しく白いブラウス、黒いスカートの姿で自宅の鏡の前に立っていた。

 就職活動ではない。今日は母の誕生日なのだ。

 万里の母は小学校の3年生の時に病気で亡くなった。それ以前も入退院を繰り返していた母を万里はあまり覚えていない。

 母が亡くなった時の万里があまりにも悲しい感情を表に出さないのでとても心配したんだ、というのは父の話だ。

 それもあって、万里は自分のことを少し薄情な娘だと思っていつも母に心の中で詫びている。しかし、そんな万里でも母の誕生日だけは、墓参りを欠かさない。

 命日に行かないのは父が母を亡くなった時のことを思い出すからといって嫌がるから。

 しかし、そんな父も今年は一緒に行けない。仕事が忙しいのかそれとも再婚のせいなのか、父は出張が入ったと言っていたが、万里は理由などどうでもいいと思っていた。いや、今ならどうでもいいと思えるのだ。夏休みに入る前、清良と別れる前ならきっと露骨に嫌な顔をしたはずだ。

 きっと、父の母への気持ちが薄れたわけではない。時を重ねただけなのだ。清良と別れた今なら父の気持ちが分かる、痛いほど。

 万里は線香とお花を持って千葉にある母のお墓へ行くために電車に乗った。一時間ほど乗ったあと、バスに乗り換える。

 すごく綺麗に整備された公園のような墓地で母は眠っている。父は母が寂しくないように、と母方の祖父母の隣に区画を買ったのだ。だから、きっと父のいう通り母は寂しくないだろうと思う。

 墓石の前に立った万里は「来たよ」と母に声をかけて手を合わせたあと、汲んできた水を母の墓石に水を掛けた。もう9月も半ばだというのにまだ暑い。太陽に熱せられた墓石が水を掛けられてジュッと音をたてた。母もさぞかし暑いだろう。

 たっぷりと水をかけて墓石を冷やしたあと、持ってきた布で綺麗に吹き上げた。最後に周りの草を取って周りを見回すと、墓地は随分と墓参りの人でにぎわっていた。母の誕生日でもあるが、今日は彼岸の中日だ。

 花を添えて線香を上げて手を合わせる。そして心の中で話しかける。お母さん、久しぶりだね。あんまり来ない娘でごめん。

 それから隣の祖父母のお墓にも線香を上げて手を合わせた。綺麗なお花が風に揺れている。叔父は一足先にきて綺麗に掃除していったらしい。

 叔父、というのは母の兄だ。万里はお墓参りに来た時はいつも家に寄らせてもらって仏壇に手を合わせてから家に帰る。

 手を合わせた時、石碑が増えているのに万里は気が付いた。そこには何人かの名前と戒名と亡くなった年が並んで書いてあった。

 万里はその中の一つにもの凄く、本当にもの凄く驚いた。


『相田ミツ』

 

 確かにそう書いてある。亡くなったのは昭和51年。ミツさんは明治44年で15歳だったわけだからこの年はちょうと80歳だったことになる。時代も合っている。

 でも、母の旧姓は相田じゃなかったはずだ。もちろん万里も違う。なのにどうしてここに墓碑が建っているのだろう。

 けれども頭の中で雲が晴れていくようだった。もしかして、と気持ちが先走る。急いで叔父の家に向かうバスに飛び乗った。ゆっくりと動くバスがまどろっこしい。ドキドキする胸を手のひらで押さえて万里は何度も落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせた。単なる同姓同名かも知れない、偶然かもしれない、決まったわけじゃない。

 千葉市内にある叔父の家は、いわゆる新興住宅地の中にある。

 きっちりした四角い区画の住宅街に建つ似たような家に惑いながら万里は叔父さんの家を急ぎ足で目指す。

 家の前にたどり着いた万里は、息を整えてから呼び鈴を押した。明るい声と共に出てきたのは叔父の奥さん、つまりは叔母だった。

「万里ちゃん、よく来たね。上がって、上がって。」

 ふくよかな顔の叔母はそう言って、万里を家に上げてくれた。

「少し、大人になったみたいだな」

 リビングから出てきた叔父は、万里を見て微笑んだ。叔父は写真で見る母に面影が少し似ていた。

 もし、母が年を取っていたらこんな顔になっていたのだろうか。

 万里は仏壇の祖父母に手を合わせると、すぐに気にかかる話を切り出した。

「あぁ、実は、おばあちゃんの実家が無縁仏になってね…」

 おばあちゃんというのは、要するに叔父と万里の母という兄妹の母方の祖母ということになる。叔父は、誰も祭る事が出来なくなった母方の仏様を引き取ったらしいのだ。

「でも、うちの墓も狭いだろ?だから、墓碑だけ刻んであとの墓石は処分したんだけどね」

 ひいおばあさんのお墓は東京の台東区にあったらしい。と、いうことは万里は見当違いの場所を探していたことになる。

「そういえば、家も片付けた時に写真とか古いものが沢山出て来てさ。ちょうど良かった見せたかったんだ」

 そう言って、叔父は古いアルバムを持ってきた。

「この人が相田ミツ、万里ちゃんのひいばあちゃんだよ」

 そうは言っても晩年の写真を見てもピンとこない。万里はもっと古い写真がないかとアルバムをめくった。

「そうそう、これ。」

 そういって、叔父は古い、セピア色の小さな写真を指差した。白黒とは違う、茶色っぽい正しくセピア色の写真だった。

「万里ちゃんに似てるでしょ?最初に見た時からそう思ってたから、万里ちゃんに見せたいと思ってたんだよ」

 間違いない、万里はそう思った。スケッチブックに描かれた頃よりもう少し大人っぽいが、ここに映ってるのは確かにミツさんだ。

「一緒にいる小さい子がおふくろなんだけど、不思議だよね。万里ちゃんはおばあちゃんよりもひいばあちゃんの方が良く似てる。」

 うそ、うそ、あんなに探してたのに。こんなところで見つかるなんて。夢の中のミツさんが言っていたのはこのことだったんだ。

 清良。清良が探していたのは私だったよ。やっとわかったのに、清良、いないなんて。

 万里の目から涙がポロポロと溢れ出した。叔父もお茶を持って来てくれた叔母も唖然として万里を見てる。しかし、こんなところで会えるなんて思いもしなかった万里は取り繕うことができなかった。

『また、会えるよ』

 ミツさんの言葉が頭の中を回る。うん、会えたよ、会えたね。東京に来て子供に恵まれて幸せだったんだね。街を変えてしまったくらい酷かった戦争も生き延びてくれたんだね。

 無表情だったスケッチブックのミツさんは無表情だったが、写真のミツさんは幸せそうに微笑んでいた。

 好きな人と一緒になれなかったけど、その後、ミツさんは幸せに巡り合えたんだ。だって、こんなに笑顔が優しい。

 清良が知ったら何ていっただろう。ミツさんが幸せそうで喜んだだろうか、それとも変わっていく人間に呆れただろうか。

 こんなに清良と話がしたいのに、声が聞きたいのに、いないなんて。

「あは、は、は、ごめんなさい。自分に繋がる人がいたんだなって思ったら何か、出て来ちゃって」

 万里は叔母さんが持ってきてくれたボックスティッシュから何枚か引き抜くと涙を拭いて鼻をかんだ。

 それから何だか怪しい表情で万里を見る叔父さんと叔母さんに挨拶するとそうそうに引き上げた。

 やっと、宿題終わったよ。清良。

 万里は心の中で清良にそう呼びかけた。何だか、今日の空のように晴れやかな気分だった。

 清良も優しくよくやった、と微笑んでくれているような気がした。


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