籠絡
暗い部屋の中でベットに横たわる万里を見下ろしている清良の目は満月の大きくて温かみのある光ではなく、新月ような冷たく暗い目だった。
「おい」
声だって低くて太くて、もし、温度があったら冷たくて。
「ヨウイチとは誰だ。」
清良の発した名前に覚えはなかった。万里は目を瞬かせた。
「……?…誰…?…」
暗い中で清良がどんな顔をしていうのか見る事はできないが、その声音は笑っていないばかりか微かに怒りさえも感じる。
「万里が名前を呼んだんだぞ」
とげのあるような声だ、と万里は思った。
「……ヨウイチなんて知らないよ」
万里は眠い目を擦った、が、口に出してみて気が付いた。今見ていた夢の中でそんな名前を聞いていたような気がする。
「万里……私を愚弄するのか」
今度は清良が怒っているとはっきりわかる声音だった。
「いつ、私、呼んだ?」
なんだろう、思い出せそうだけど。
「今だ、今」
ああ、そうか…やはり夢の中だ。陽一さん。ミツさんの想い人だ。
ようやく頭がはっきりしてきたのか万里の脳裏に今見ていた夢が鮮やかに甦る。
「そうか、ごめん、夢見てた」
わざと惚けてたワケじゃないと何度も念を押しながら、夢の中の出来事を説明した。
「本当なんだな」
それでも信じないのか清良は私の両頬を指でつねってきた。
イテテ、何すんのよ。
「ふふん。もしかしてヤキモチやいてくれた?」
「ヤキモチだと?そんなものは知らぬ。起こされて腹が立つだけだ」
万里はそんな仕打ちをする清良に仕返しがしたくなった。
「私を何だと思っているのだ」
「清良でしょ?私の好きな人。清良は私を何だと思ってるの?」
万里はそういって両手でつねられた頬を覆った。つねられた頬は少しだけ熱を持っていた。
「そんな言い回しでは私を籠絡はできぬぞ」
「そんなこと考えてないけど」
「お見通しだ」
フフンと鼻で笑って清良は今度は万里の手の上から手のひらを当ててきた。今度は冷たい感触が手に伝わる。
面白くない万里は口を尖らせた。
私の気持ちなんて知ってるくせに、乗ってくれたっていいじゃん。すこしくらい甘くしてくれてもいいのに。
万里の子供っぽいたくらみなどすべてお見通しと言わんばかりに清良は声を上げて笑った。そして万里の頬から手を離すと、尖らせた唇をまるで丸ごと食べるようにパクリと唇を重ねた。
「そなたがこのようにいつも素直なら私も素直になろうものを」
「もう、私はいつでも素直なのに、清良がそうさせないんじゃない」
「夢の中で愛しそうに男の名を呼ぶような女は確かに素直なのかも知れないな」
「え?私、そんなことしたの?」
「ああ、あんな甘い声は私は聞いたことがないな」
暗闇の中で清良の金色の瞳が光る。一瞬見えなくなったのは清良が瞬きをしたからだ。
「……ねぇ、聞いていい?」
万里は夢の先を知りたくなった。
「何がだ」
さっきよりも柔らかい清良の声が返ってきた。
「あれから、ミツさんはどうなったの?」
好きな人と逃げて一緒になれたのか、それとも主家の息子である源一郎の言葉に従ったのか、それとも奥様の持ってきた縁談を受けたのか。
夢の中の感じでは縁談を断れるような雰囲気ではなかった。けれども万里は好きな人と一緒になったと思いたいと思った。それを清良の口から聞きたいと思った。
好きな人と一緒になった、と。
「知らぬ」
素っ気ない清良の答えに万里は自分の頭の中が沸騰するのを感じだ。怒りではない。気持ちが沸騰したような、そんな感じだ。
「どうして?どうして?好きな人と一緒になれなかったの?」
ミツは自分と同じではないのに、それなのに万里は自分と清良の将来が重なったような気がしていた。
言ってよ、身分が違っても何もかもが違っても好きなら一緒になれるって。私はそれを清良の口から聞きたいの。
万里は自分の気持ちをぶつけるように清良の腕を掴んで揺さぶった。
「知らぬ、それにそなたとミツは違う、落ち着け」
そんなことわかってる。ミツさん達とは違いすぎるくらい違うことくらい。清良が自分だけに愛をささやくことができないくらい。神様に愛情を求めることの方がおかしいことぐらい。
でも、それでも言って欲しいの。だって、私はこんなに清良に囚われているのに。
「どうして?どうして一緒になれないの?好きなのに、それ以外に何がいるの?」
万里の頭の中で自分とミツが一緒になってグルグル回っていた。
分かってる、どうしようもないことぐらいは分かってる。こんなこと言って清良を困らすだけなのも分かってる。
「万里、落ち着け、万里」
清良は万里の名を何度も読んでそして、そっと冷たくて大きな身体で包み込んだ。
そんな清良をずるい、と万里は思った。こうしていつも小手先で騙すんだから。そして私も騙されるんだから。
「未来も過去もない漂う者である私と違って、そなた達人間は時を重ねる、ということをしてきたはずだ。ミツとそなたは違う。そうであろう?」
「うん」
そう、時代背景的にはミツさんの時代と今は全くちがう。でも、ミツさんも今の自分のように「好き」だと叫びたかったはずだ。同等に立ちたかったはずだ。
許されていないのは、今も昔も同じなのではないか。
「私がそなたたちと違うとすればそれは変わらない、という事だけだ」
「どうして?年を取るのが怖い人なんか沢山いるじゃない」
「年を取るということではない。人間は変わる事ができるのだ」
「……変わる……」
清良の腕の中で万里がつぶやく。
「人は我らに力を貸せと頼みに来る。しかし、手を貸しても変わることが出来るのは人間だけだ。我らは取り残される」
「でも、清良は私と同じではないでしょ」
そう、清良は皆が頼りにする神様だ。
本当の月明かりの下でほんの少し清良が笑ったのがわかる。
「同じではない。我らに頼り、心を預けておきながら変わりゆき去っていくのは人間の方だ。万里、そなたも同じだ」
清良はそういって万里の髪を撫でた。
「私が心を預けても万里はそれを持ったまま去っていく」
「じゃあ、私が全てを預けたら覚えておいてくれる?」
「……万里?……」
万里はそう言って清良の身体に腕を回した。
「私がいつか清良を残していかなければならないのなら、それまで私のすべてを預けるから覚えておいて」
「そなたが居なくなったらどうするのだ。私はそなたの抜け殻を抱きしめて過ごすのか」
同じだ、と万里は思った。自分と清良に差があると思っていたように清良も同じように思っていてくれたのだ。
清良は好きだと言わなかったわけじゃない、言えなかったんだ。
「ずっと傍にいるよ。ヨボヨボのおばあさんになっても幽霊になっても、嫌だといっても」
「恐ろしいことをいうな」
「清良を一人にしない。約束するよ」
今まで自分の気持ちをぶつける事しかしなかった万里はいかに自分が子供なのかを知った。
同じだったのに、自分が清良を独り占めできないと思っていたように清良も自分が傍からいなくなったのを恐れていてくれたのに。
「万里、私の傍に居よ、すべてを捧げよ。さすれば私もそなたの欲するものを授けよう」
「…私の欲しいもの?」
「そうだ、そなたが気持ちというものを、だ。愛というのだろう?」
「愛してくれるの?」
「ああ、愚か者の万里は口にしないと納得などしないのだろう?」
「そうなの、もう一度、言って」
「愛している、万里。ずっとそばに居よ」
「私も、愛してる」
夜空の月が暗闇から私たちを守るように照らしていた。清良の二つの付きも私を優しく照らす。
満たして、清良が愛と呼ぶもので、私のすべてを。
万里は確かに幸せを感じていた。
けれども、自分を置いていくと言っていた清良は万里に嘘をついた。
その朝、いつものように起きてリビングに向かった万里は目を瞠った。
お気に入りの窓辺にあるお皿の中ででオオサンショウウオの清良が腹を見せてプックリと水に浮かんでいたからである。




