魂移しの儀式
探せ、と言われて引き受けたのはいいが、具体的には何をどうすればいいのかとなると万里にはまったく考えが浮かばなかった。
とりあえず、この村(住所は市になってはいるが、どうみても村だ)で万里が知っている人はおじいさんとおばあさんだけだ。そこから聞くしかない。
家に着くと、父はもう幸恵さんと釣りに出掛けたあとだった。
そして、目的のおばあさんは庭で井戸のポンプを動かしながら収穫してきたナスを洗っていた。
万里はそこで初めて手動ポンプなるものを見た。
細い取っ手を上下に動かすと水が出るなんて、面白いと思った。
「手伝います」
興味半分、話しを切り出す口実半分でポンプの取手を持ったのはいいが、これが結構重くて、とてもおばあさんのように楽々とは動かせない。
「大丈夫?」
おばあさんは悪戦苦闘する万里に向けて皺をさらにクシャクシャにして笑った。その顔は、幸恵さんに少し似ている。
「おばあさん、すごいね。毎日こんなことするなんて」
汗を垂らしながら重いポンプを何度も動かしていると身体がコツを掴んだのか急にポンプが軽く動かせるようになった。
慣れれば面白いようにザブザブと水が出てきた。
「そりゃ、生きていくためだからね」
おばあさんはそういうが、万里は昨日、車の中で父に幸恵さんには弟がいて、ここから車で小一時間ほど走った所にある便利が良い所に住んでいて一緒に暮らそうと言っているというのを聞いたばかりだった。
良い返事をしないんだって幸恵さんは心配そうに言っていたが、要するにここが好きなんだろうな、と万里は思った。そう思うほど今のおばあさんの笑顔は自然で、ストレスを感じない。
「万里ちゃん、泉に行ったんだって?」
どうやって聞こうと思っていた話題を振られて万里は心の中でパチンと指を鳴らした。
「うん、スゴイ綺麗だね。なんか、妖精?とかいそうな感じ。」
何だか無理がある聞き方だと我ながら思うが、これしか考え着かない。
「万里ちゃんは面白い事いうねぇ。そういや、そんな昔話もあるみたいだけどね」
「えええ?どんな話?」
いい風が吹いてきた、と万里は乗り出した。
「んーー確か、あの泉には主がいて、どうだったか…」
あぁ、もう少しだったのに……おばあさん頼りない。今度は万里は心の中で舌打ちをした。
「確か、伝承館でそんなの集めて本にして配ってたと思ったけど。」
「伝承館?」
おおナイス、おばあさん、頼りないなんて言ってごめん、心の中でペコリと頭を下げた。
お詫びも半分込めて万里は、おばあさんの向かい側に座って洗ったナスを拭いて水けを取るとザルにあげた。ナスが太陽の光に反射してピカリと光る。
「役場の隣にある建物だよ。知りたいのなら幸恵が買い物に行くときに一緒に言ってもらってくるといいよ」
「うん、そうする。ありがとう」
万里はナスを拭きながらお礼を言う。
これなら案外、楽に事が進むかもしれない。そんな思いがよぎる。
一人ニヤ着いているのに気が付いて、おばあさんが気味悪がっているかも知れないと顔を上げれば、自分をじっと見ているおばあさんに万里は気が付いた。
「幸恵が良い子だって言ってたけど、本当だね。万里ちゃん、幸恵を頼むね」
おばあさんはそう言ってニッコリと笑った。しかしその瞳は笑ってない。
そうか、と万里は思った。幸恵さんはアラフォーだけど、初婚だ。しかも相手は五十に近い子持ちのオッサンだ。周囲が継母が出来た万里に色々言ったように継子が出来た娘を母であるおばあさんが心配しないわけがない。
「やだなぁ、おばあさん。お願いするのは私だよ。幸恵さんすごいいい人だから、お父さんにはもったいないくらい」
万里は今思っている正直な気持ちを言った。本心だから嘘はない。それは、おばあさんに伝わるはずだと思う。
気持ちが伝わったのか、気のせいかおばあさんの瞳が光に反射して煌めいたような気がした。
結局、万里が幸恵さんと買い物へ行くことができたのは、夕方になってからだった。
「万里ちゃん、昔話なんかに興味があるの?」
万里が暇があればスマホをいじってるとお父さんに言われているのを知っている幸恵さんの言葉はもっともだ。
「うん、だって、すごいキレイだったし。ちょっと興味があって」
まさか、イケメンの主様に頼まれたなんて言えるわけもない。
「ふぅん」
幸恵さんはそういっただけで、車を伝承館に回してくれた。しかし、伝承館って言っても役場の敷地の隅にいある古い民家みたいな建物は盆休みで休館になっていた。仕方なく万里は入口に置いてあったパンフだけ受け取って車に戻った。
歩きながら中身をパラパラと見ると、おばあさんが言った通りこの辺の伝説みたいなのを集めて冊子にしているようだ。
読みながら歩いて車に戻ると幸恵さんはクスクスと笑う。
「どうしたの?」
「だって、万里ちゃん、よっぽど暇なんだな、と思って」
否定はしません、と万里は心の中でうなづく。
「そんな事ないよー。ほら、私、一応、大学で国文が専攻だし。興味はあるの」
けれども、それらしい言い訳はしてみる。本当は国文を選んだ理由は、理数が全然ダメだったせいなのだけれど。
しかし、幸恵さんは納得してくれたのか「万里ちゃん真面目だもんね」とうなづいてくれた。
そう、私、真面目だから調べるの。主様の顔につられたワケじゃないの、と心の中でうなづく。
家に帰って、夕飯の片付けの手伝いが済ませたあとで、万里はついでにスーパーで買ってもらったポテトチップを部屋の中でつまみながら寝転んでパンフを読んだ。
『泉の主様』という昔話のページを開く。泉には守り神がいて、普段はオオサンショウウオの姿をしていると書いてある。清らかな心を持つ娘には人間の姿で見える、と良くある話だ。
「清らかな心ねぇ」
今日、寝転んだ足を組み直しながら、独り言をつぶやく。自分が清らかだとは思わないけど、と思う。清らかとか清楚とかそういうキャラじゃない。
でも、残念な事に主様が言う『ミツ』なる娘のことは書いてなかった。しかし、この伝承を代々伝えてきた家があるのは分かった。一歩、前進だ。
翌朝、早速おばあさんに聞くと、「あぁ、その家はねぇ。先日、おばあさんが亡くなって、とうとう空き家になったんだよ」と、何だか寂しい答えが返ってきた。
年は結構違ったのだが、仲は良かったという。
「過去帳を見れば、先祖の名前くらいはわかるけどね。娘はいても跡継ぎもいないし、それ以上は無理かな」
過去帳がなんのことか分からない万里におばあさんは、お寺に置いてある亡くなった人の名簿みたいなものだと説明してくれた。
とにかく行ってみよう、と万里は早速、教えてもらったお寺に向かった。
こういう時「きいたことのある大学」の「国文学専攻」という万里の肩書が意外に役に立った。住職さんは、大学の研究だとありがたい誤解をしてくれたのだ。
百年前だから、そんなに昔じゃない。筆といえども文字ぐらいは万里でも読み取ることができた。しかし、そこに『ミツ』という名はなかった。
「泉の伝承を調べてるの?」
熱心な学生だと誤解した住職さんは更に親切なことに万里の為にお茶をいれてくれた。
「何か、面白そうだと思ったんです」
丁度喉が渇いていた万里は、お礼もそこそこにひと口飲んでこれが麦茶でないと気が付いた。なんだろう、と思って住職さんに尋ねると、住職さんは笑いながら庭のビワの木を指さし、ビワの葉で作ったお茶だと教えてくれた。
初めての味、でも結構おいしい。と万里は遠慮なく飲み干した。
「あの泉はねぇ、元々その家が管理してきたんだよ。何でも先祖が主から任命されたとかで」
それはパンフに書いてあった。代々、泉を管理し、人々の立ち入りを禁止してきた、と。
「そういえば、昔、じいさまから『魂移りの儀式』があってそれをあの家が取り仕切っていたと聞いたな」
「魂移り?」
住職さんはおばあさんと同じくらいの年に見えた。その人のじいさまだから、百年前の当事者ということになる。
いきなり話が近くなった。
「あぁ、主はオオサンショウウオだから肉体は朽ちるだろう?新しい身体をお作りする儀式らしい。参加したかったけど、ダメだったとか」
参加したい…そりゃそうでしょうよ。でも、そっちの突っ込みはどうでもいい。問題は儀式に使われた若い娘だ。
「村人じゃない娘を連れて来てどうのこうの。何するとは聞いてないな」
どうのこうのの部分は、すでに主様から聞いている万里にとってはどうでもいいことだった、が、まさか知ってるとは言えず、万里は興味がありそうにメモをとるフリをした。
「若い娘はどうなったんです?」
自然な流れで聞けた、と思う。万里は心で念じながら話を振った。
「んーー。じいさまの話だと、すごくキレイな娘だったらしい。その後、あの家に引き取られて…みんなで見に行ったとかなんとか」
「でも、過去帳には載ってなかったです」
他所から来たのなら養子になってるはずだ。そんな名前はなかった。
「そうだよね。じゃあ、お手伝いとかで引き取られたのかな。あの家も昔は豪勢だったらしいから」
らしい、という事は住職さんは知らないということか。しかし娘は伝承を伝えてきた家に引き取られた。そしてここで亡くなったわけじゃない、それは収穫だ。
意外な事にその先はおじいさんが知っていた。
夕飯の時間に住職さんと交わした話をするとおじいさんが話始めた。
「嫁にいったらしいぞ、綺麗だったからもったいないとか、どうとか、じいさまが」
まったく、男というものはいつの時代も……そうは思うが顔には出せない。取材中だ。
その時「こんばんはー」と玄関から声が聞こえてきた。あの声は昼間聞いた住職さんの声だ。
玄関に出て挨拶する万里に住職さんはニッコリと微笑んだ。
「あれから、犬井さんの娘さんが来てよ」
犬井さんとは、伝承を伝えてきた家で『犬井さんの娘』といっても結婚して苗字も変わっている五十すぎのおばさんらしい。今は東京に住んでいるが、お盆のお墓参りでお寺に寄ったのだそうだ。
「蔵になんか古い帳面やら本やら置いてあるらしくて、まとめて売りに出すんだと。でも盆明けにはなるらしいからそれまで、自由に入って読んでいいって」
そういって住職さんは万里に鍵を渡した。犬井さんの娘は空き家になった家を処分することにして、蔵の中にある古書やなんかはまとめて東京の古本屋に売る事にしたというのだ。
「中身は知らないって言ってたけどな。本には興味もなかったって言ってたから」
「ありがとう。明日から早速調べさせてもらうね。」
百年前を調べろって言われた時は、絶対無理って思ったのに、何だかトントンと話が進む。田舎の人の親切さを万里は実感せずにはいられなかった。
「お、住職さん、ついでに飲んでいかないか?」
話を済むのを待っていたかのようにおじいさんが奥から顔を出した。
「いいねぇ、じゃ一杯だけ」
住職さんはそう応えてなんだかすごく嬉しそうに、そして、まるでそれが本当の用事だったように家の奥に入っていった。