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ぬしさま  作者: 里桜子
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好きな人に想われる。

 万里は、再びまたあの夢の中にいた。

 そこは知っている場所だった。この夏に行った犬井家の蔵。

 そこで万里が頭を間借りしているミツは、絵のモデルをしていた。目の前には若い男の人。

 でも、この間の人じゃない。貧乏そう…といったら失礼かも知れないが、来ている服はそんなに上等そうなものではなく、裾なんかは綻んでいる。

「ああ、だめ、動かないで」

 えんぴつを持った男の人は鋭い目つきで、古い椅子に座ってポーズをとるミツさんに注文をつける。

 薄暗い蔵の上の方にある明り取りから陽が差してそれが暗闇の中でミツさんを照らしてまるで、スポットライトに照らされたようで綺麗、とミツの頭の隅にいる万里は思った。

「ああ、でも陽一さま、私、疲れてしまって」

 座っているとはいえ、同じポーズを動かさずに続けるのはつらい。ミツさんがそう訴えると”陽一さん”は「少し、休もうか」と鉛筆をおいた。

「ごめん、僕は描き出すと夢中になってしまうんだ」

 陽一さんが肩を回しながらそういうと、ミツさんは微笑んでイスから立ち上がると陽一さんの後ろに回った。

「でも、いいのですか?大事な展覧会に出す絵のモデルを私なんかが務めて」

「何をいっているんだい、僕はミツさんを初めて見た時から今度の展覧会のモデルにしたいと思ってたんだ」

 ミツさんに肩を揉まれながら陽一さんは答える。

 そうか、と万里は思った。陽一さんは画家なんだ。そして、この人は自分が見たあのスケッチブックを書いた人。絵の感じが同じだ。

 でも、と万里は思った。あのスケッチブックに書いてあったミツさんはヌードだった。今、モデルをしているミツさんは着物姿だ。

「ああ、気持ちいいよ。ミツさんは肩を揉むのが上手だね」

「家にいたころは、よくじいさまの肩をこうして揉んだんです。じいさまもいつも褒めてくださって」

 ミツさんは寂しそうに微笑む。ここへ売られてきたミツさんにとって、その懐かしい場所はきっと、もう二度と帰る事が叶わない場所。

 遠くにありて想う場所だ。

「ねぇ、ミツさん」

 万里はミツさんの心臓がドキリと高鳴るのを知った。もしかして、ミツさん…。

 そんなミツさんの手を陽一さんはそっと上から重ねる。

「きみは、東京へ出てはこないのか?」

「……東京……でも、そんな遠いところ…それに、私…仕事が…」

「きみはぬしさまを産み落としたことで、年季が終わってるって聞いたよ?」

「あの、私…あの…」

 ミツさんにとって、ぬしさまを産み落としたことは知られたくないことのようだった。ああ、そうか、と万里は思った。ミツさんの好きな人はこの画家の陽一さんなんだ。だから、自分の過去を知れたくないんだ。

 そうだよね、オオサンショウウオを産んだなんて少なくとも言いふらしたくないだろう。清良だって産み落としたあとのミツさんは気絶したって言ってたし。

「ごめん、徳兵衛さんの家でおじいさんの肖像を描いている時に聞いたんだ。君が、その、買われた子だって…」

 それを聞いたミツさんは息を呑んでその場を離れようとした。知られたくない人に知られてしまったのだ、いたたまれない。

 しかし、そんなミツさんの手を陽一さんはキュッと掴んだ。

「それでも、いいんだ。ミツさん。僕と一緒に来てくれる?」

「……陽一さま……」

 今の万里にはミツさんの気持ちがすごくよくわかった。想っている人に想われていると知ること。それがどれだけ嬉しいか。

「この通り、僕は貧乏だし、きみにも迷惑をかけるだろう。でも、それでも手を離したくないんだ」

「陽一さま」

 ミツさんの目から涙が溢れ出す。それは嬉し涙。

「きみがいいと言ってくれるなら、今夜、僕の部屋にきてくれないか?待ってるから」

 陽一さんはもの凄く真面目な顔で真っ直ぐに視線を向けて泣いているミツさんにそう言って、重ねていたミツさんの手を一度力強く握ってからイスから立ち上がるとスルリと横を抜けて蔵を出て行った。

 陽一さんはきっと、真面目な人だ、と万里は思った。

 一人残って泣いているミツさんの頭の中で万里は陽一さんの言葉を思い返してそうか、と思い当たった。

 ミツさんは陽一さんの部屋へ行ったんだ。あのヌードを描いたスケッチブックはその時、描かれたものなのだ。

 そうか、陽一さんはきっと、犬井の家を拠点にしてあちこちの家を廻って肖像を描いている画家なんだ。前におばあさんが言ってた、写真のない頃にそういう画家さんが家々を回ってたって。陽一さんはその人なんだ。

 では、ミツさんが東京からハガキを出したのは、陽一さんと東京へ行ったからだったのだろうか。

 好きな人と結ばれたからなのだろうか。

 そう思ったところで、万里は目が覚めた。

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