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ぬしさま  作者: 里桜子
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夢の中

 ここは、どこだろう…。どこかは分からない。多分、これは夢、私は夢の中にいる。

 しかし、不思議な感覚だ。夢を見ている感覚はあるのに、手とか足から伝わる感覚はやけにリアルだ。手が動いている感覚があるのに、けれども自分の身体ではない。重さが違う。

 自分がいる場所は何となく知っていう場所のような気がした。古い家、いや、違う。自分が見た時に古くなっていたのだ。今はまだ新しい。この家は夏に蔵にいった犬井の家、そう思えるほどよく似てる。

「ホラ、汚れが落ちてないじゃないか!まったく、使えないねぇ」

 今まで言われてたことのない叱咤が容赦なく飛んでくる。万里は何故か夢の中で犬井家の廊下の雑巾がけをしているのだ。

「はいっ、申し訳ありません。奥様」

 そこで、万里はあれっ?と気が付いた。自分は謝った感覚がない。覚えのない言葉が自分の声から出てくる。それに、ともう一つ万里は気が付く。この身体は自分の意志で動いているわけではない、ということを。万里はこの女の子の身体に憑依、というか、間借りをしているだけのようなのだ。

 奥様、と言われた中年の女の人は髪をきちんと結い上げて綺麗でいかにも高価、といった感じの紫色の着物を着ていた。裾にあしらわれた牡丹が鮮やかに浮き出ていて本当に見事だ。

「ああ、窓もホコリが溜まっているじゃないか、拭いてないだろ、まったくグズの上に使えない…」

 なんてひどい言い方なんだろう、バイト先のファミレスの店長だってあんなひどい言い方なんかしないのに……。万里は間借りしている頭の中で女の子に思わず同情をした。頭の中を共有しているせいか怒られている女の子がひどく傷ついているのがわかる。

 けれども、女の子は水の冷たさに真っ赤に腫れた指を一生懸命動かして奥様に文句を言われるたびに「申し訳ありません」と繰り返しながら廊下の雑巾がけをしている。涙だって流したいのにぐっと堪えて……。

 何でこの奥様はこんなにひどく怒るのだろう。まるで、この子に恨みでもあるみたいに。

「わかったね、ちゃんとやっとくんだよ、ミツ」

 え?と万里は思った。ミツ?ミツって呼んだ。確かに、ミツって。もしかして、うそ、ミツさん?

 万里が戸惑っている間に何が腹立たしいんだが奥様は去りがけにバケツを足でわざと引っかけて折角拭いた廊下を水浸しにして部屋の奥へと入っていった。

 ミツさんは奥様の足音が聞こえなくなってからようやくホッと息を吐き、安心したように肩を落とした。慰めてあげたい、と万里は思う。けれどもミツさんは自分の中に別の人格がいるなんて気が付いていないようでなんとも口惜しい。

 その時、涙を堪えながらこぼされた水を必死に拭うミツさんの後ろの障子がスッと開いて白い立て襟のシャツに黒いズボンを履いたいかにも学生、という風体の男の人が現れた。

 額に前髪を垂らし、いかにもポンボンという感じで、面影があの奥様に似ている。

「ミツ、ごめん、お袋がまた、お前を」

 男の人はそう言ってミツから無理やり雑巾を取り上げるとミツさんの代わりに水をふき取り始めた。

「いえ、源一郎様、私がグズなのがいけないのです。申し訳ありません」

 ミツさんは再び源一郎様から雑巾を取り返すと、再び雑巾がけを始めた。さっきよりも動きが早く、視線も合わせない。その動きは源一郎様を拒否しているように見える。

「ミツ、お前……」

 源一郎様は背中を向けて廊下を黙々と吹きあげるミツさんの背中を見ている。その瞳が少し揺れて実に悩ましい感じ。

 そうか、と万里は気が付いた。この「源一郎様」はあの奥様の息子なのだ。そして、このミツさんに恋心を抱いている。恐らく、あの奥様はそれを感づいている。だから、ミツさんにあんなに冷たいのだ。でも、ミツさんの方は…。

 そう、ミツさんはこの源一郎様のことを何とも思ってない。単なる主家の息子だ。でも、それが一番厄介なのだ。ミツさんはこの人の事を想っていないからといって冷たくあしらう事は出来ず、源一郎様はミツさんのそんな気持ちが分かってない。

 元々身を売られた娘であるミツさんは清良を産み落としたからといって特別な扱いが待っているわけではなかったのだ。いや、ここに女中として残ったということだけでも幸いだったともいえる。だから、彼女には逃げ場がない。息子に言い寄られても断れず、それで言いがかりをつけられてその母に虐められても彼女にはどうすることも出来ない。

 可哀そう、万里は自分が涙を流しているのがわかった。なんて可哀そうなんだろう…涙が止まらない…わかる、自分はミツさんの頭の中にいるから。

 そう、彼女は他に好きな人がいるのだ。でも、ミツさんに頭の中にいる万里にはその恋さえもうまくいかないと思っている。どうしてなのかそれは分からないけど。


「おいっ」

 いきなり低い声に揺り起こされ、万里は目を開けた。

 目の前には金色のお月様が二つ…清良だ。

「何を泣いておる」

 清良に言われて万里は自分の目を指でなぞった。本当だ、涙でびっしょりだ。

 そうか、ミツさんの切ない思いが入ってきて、夢を見ながら泣いていたのだ。

「嫌な、嫌な夢をみた」

「嫌な夢?」

 自分の好きな人とは上手くいきそうもない、けれども違う男には心を寄せられ、その母には難癖をつけられ、しかも、身分差から跳ね除けられない。こんな嫌な夢があるだろうか。

 ミツと呼ばれた女の子は自分が探していたミツさんだろうか。どっちにしてもそこにいたような錯覚さえも持つ夢ほどのリアルな夢だった。

 でも、認めたくない夢でもある。

「清良、朝までこの姿でいられる?」

 万里はそういって清良の身体を引き寄せた。すると、清良の細くて長くてそれでいて力強い手がすぐに背中に回り込んできた。

 そして、清良はそのまま優しく私を包んだままベッドに寝かせた。万里は清良にしがみついた。

「このまま、このまま、傍にいて。」

 清良の冷たい身体に包まれて。万里は再び目を閉じた。もう、あんな夢は見ないようにと祈りながら。

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