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ぬしさま  作者: 里桜子
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泉の主

 万里は、朝ごはんを済ませると釣りに出かけるという父よりも早く家を出るべく急いで身支度をして外に出た。

 玄関の鏡の前で麦わら帽を深く被り直すと家の裏手から山に入った。進む道は、昨夜、おじいさんに教えてもらった一本道だ。

 アスファルトではなく、舗装をしていない山道を歩いていると足が痛くなってきた。

 サンダルを履いてきたことを激しく後悔しながら、木々に囲まれたゴツゴツした登山道みたいな道を15分くらい歩くといきなり目の前がパッと開けた。

 ここだ、泉、間違いない。

「うわぁー」

 万里は思わず感動の声を上げた。なんて綺麗なのだろう。鏡みたいに顔が水面に映るなんて!

「すごい、すごい」

 と誰も居ないに相手でもいるかのような声を上げながら万里はサンダルのままで水に足をつけた。

 親指の爪が泉に触れただけで冷たい。例えて言うならかき氷を食べた時のようなキーンと脳天が刺激される、あの感じ。

 調子に乗った万里は、もっと奥に行こうと履いていたショートパンツの裾を少しめくった…いや、めくろうとしたその時。

「誰だ」

 万里の頭の中で強く声が響く、良い声。しかし、威厳があり、怒りも感じる声。万里は慌てて周りを見たが、誰もいない。

「誰?」

 最初は小さく、次はもう少し大きく、最後は怒鳴るように万里は叫ぶ。

 誰かいて、お願い、怖いよ、頭の中を恐怖が巡る。それほど声には圧倒するような迫力があった。

 すると、その時

 泉の真ん中あたりからコポコポと空気が上がり始めたではないか。しかし逃げる気持ちよりも好奇心の方が優先した万里は目を見開いて釘付けになっていると、やがて両手を広げたくらいの大きな泡と共に人がまるで湧き出るように現れた。

「うそ」

 万里は恐怖も感じず、ただ、呆気にとられた。

 口もポカンと開いてしまっているのも気が付かないほど、万里は驚いていいた。

 何しろ、目の前に現れたのは銀色の髪と金色に輝く二つの瞳を持つ鼻筋の通ったミステリアスな雰囲気を醸し出す人物だったのだ。しかも背も高い。しかし、死人みたいな白い経帷子のような着物を着ているのが残念な出で立ちだった。

 やだ、イケメンじゃない。

 ただ、ボケッと見ているだけの万里に目の前の銀髪のイケメンは眉間に皺を寄せた。

「泉を汚すな」

 さっきと同じように怒りの声が聞こえてきた、というより頭の中に響く。

 何かヤバそうな感じ、と反射的に万里は慌てて泉から出た。

「あっ、ごめんなさい。入っちゃいけないとは知らなかったから」

 とりあえず謝る、それは万里の社交術でもある。しかし、無礼だと思いながらも目が離せなかった。思わず見とれる涼しげな面構えの良い男。

「お前は尼か?」

 イケメンだと思って見惚れていた万里にいきなり突拍子もない言葉が飛んできた。

 あま?アマって言った?アマってアマゾンじゃないよね。アマってもしかして尼?坊さんの事?少し時間をかけて万里は気が付く。

 このイケメンは私を坊さんだと言うのか。

「違います」

 どこをどう見たらそんな風に見えるのか、失礼はそっちでしょ、と万里は鼻息を荒くした。

「尼でないというなら、なぜに、そんなに髪を短くしておる」

 髪が短いと言ってもショーットカットなだけだ。それにそんなに短すぎるわけでもない。最近お金がなくて、美容院に行けてないから耳だって隠れてるはずだ。

「別に、普通でしょ。これくらい」

「そうか…百年ぶりだからな。世の中変わったとみえる」

 あっさりとイケメンは納得した。しかし、疑問も残る。百年?もしかしてやはり人間ではないらしい。

「あの…誰?ドッキリでもやってんの?」

 どうにも納得のいかない万里はイケメンに質問をした。

「なんだ?ドッキリとは。私の名前は…」

 銀髪のイケメンはそういって口を開けたが、声には出さず、目を泳がせながら口をパクパクするだけだった。

「私の名などどうでもよい。私はここの泉の主だ。ぬし様と呼ぶがよい」

 いきなりの上目線でイケメンはふんぞり返る。

 何様?と万里は思ったが、そこで思考が停止してしまった。こんなことは経験がない。

「そちは無礼者だが、一応、心は綺麗と見える」

 褒めてるんだか、そうでないのか分からない言葉をイケメンは万里に掛けたが、そんなこと言われても、と万里は思った。どうリアクションすればいいのだ。

「そりゃどうも…」

「私の泉を荒らしたお詫びに頼まれ事をせよ」

 話の語尾を被せるように言葉を発するのは人の話を聞いていない証拠だ。万里は嫌な顔をした。

 それに、頼んでる割に随分と偉そうだ。

 荒らしたっていっても足を少しつけただけですけど?と万里は思ったが、ことによっては引き受けてもいいと思った。何しろ暇なのだ。

「何をすればいいんでしょうかね?」

 そうは言っても頼みごとをしているというのに、この上から目線は腹が立つ、とても素直になどいう気分にはなれない。

 万里はそっぽを向いて、つっけんどんにお伺いを立てた。

「女を探してほしい」

 偉そうなぬし様の頼み事は何ともアバウトなものだった。

 この国の人口だけで一億人は超える。しかも半分は女だとしても五千万人はいることになる。しかも地球規模ならもっとだ。どうやって探せというのだ。

 それに別のことも引っかかった。

「女?さっき、現れたの百年ぶりって言ってなかった?とっくにそっちの世界じゃないの?」

 経帷子でしょ、それ、と万里が付け加えるとぬし様は睨んだ。

「私はあの世の者ではない。本人じゃなくても子孫でもよいのだ。探せ」

「えー?でも手がかりもないんじゃないの?だいたいどんな人よ」

 やる気の欠片も見せず、水辺の砂利の上に座り込む万里をを主様は睨みながらそれでも説明を始めた。

「私の肉体は百年前に一度滅びた。村の者は祭りを行って私の魂が宿る肉体を作った」

「肉体って?」

「オオサンショウウオの卵を娘の腹で育むのだ」

「へっ?」

 万里の口から自分でも変だと思うカン高い声が出てきた。

「後は人と同じだ。腹で育み、産み落とす」

 あまりにも簡単にぬし様が言ったので、何のことだか万里は一瞬分からなかった。いや、よく考えても分からない。人工授精と同じ原理なのだろうが、そんなこと生物学的にできるのだろうか。それ以前に倫理上の大問題ではないのか。

 しかし、目の前にいるぬし様はいたって真面目だ。

「でも、百年前の娘っていったって…名前とかもわからないんでしょ?」

「名は、ミツとか呼ばれていた。」

「ミツねぇ。とりあえず、おじいさんには聞いてみる。でも、期待はしないで、ねぇ、一つ、聞いても良い?」

 万里はそういうと興味津々な瞳をイケメンに向けながら水辺で体操座りをした。

 主様は「なんだ」と言いながら目線を万里の生足に走らせてきた。なんだかとても生臭い視線だな、と万里は心の中で眉間に皺を寄せた。

「その人探してどうするの?」

 子孫にはなるだろうが、もしかして忘れられない人?

「礼が言いたいのだ。ミツは私の肉体を産み落とすと失神したんだ。礼も言えなかったからな」

 それはもっともなことだと万里は思った。苦労して産み落としたらオオサンショウウオだったなんてそりゃ、気絶ぐらいしても可笑しくない。

 でも礼が言いたいということは、つまりはこのイケメンは女にひどい事して自分の肉体が生まれたって事を悔やんでいることになる。

 なんだ、偉そうな態度と違って意外に良い人なのか。人ではないが。

 そんなことを思いながらニヤリと笑う万里を見てぬし様は機嫌悪そうに顎を上げた。そして目を細めながら上から実に偉そうに万里を見下ろした。

 しかし、万里は負けない。何しろ頼みごとをされているのだ。

「いいよ。探してあげる。主様けっこうイイヤツだし」

「イイヤツとは何だ。口の利き方も知らぬのか。だいたい、なんだ、そんな下着姿で」

 ぬし様の視線が万里のナマ足に走る。

「下着ぃ?何言ってんの?オシャレも知らないの?」

 このカワイイTシャツとデニムのショートパンツはちょっとマニッシュな感じでお気に入りなんだから、と万里は立ち上がって、腕を組んで抗議を始めた。

 失礼はどっちなんだか、でも、ま、頼まれごとはしてあげるとしようか。暇だし、主様イケメンだしね。

 万里は内心良い暇つぶしが出来たと思いながら、どこまでも偉そうなぬし様を見下げるような気分の余裕の顔で微笑みかけた。 


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