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ぬしさま  作者: 里桜子
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仕方ない

 自分の気持ちが分かったからといって万里とエロ主との間になんら変化があったわけでなかった。

 そもそも、万里は何をどうしていいんだか全然わからなかった。恋に恐ろしいくらい馴れていないのだ。

 その日、万里は渋谷の街を歩いていた。ミツさん探しの為に。

 もう九月だというのに真夏のように暑い、熱いアスファルトの上を歩くだけで汗が流れてくる。普段、冷房の利いた涼しい場所にいることに慣れている万里は、ヘトヘトになりながらも住宅街を歩き、とうとう自分で作ったリストの載る最後のお寺の前に立った。

 それは、住宅街の中に隠れるように建っている小さなお寺だった。しかし、その立派な門は長い歴史を感じさせる。

 万里は被っていた帽子を取って、髪の乱れを手櫛で軽く直すと門をくぐった。

 で、結論から言えば、収穫は何もなかった。

「この辺は戦争で焼けてしまったからねぇ。」

 八十才くらいのおじいさんの住職さんは汗だくで訪ねてきた万里を可哀そうにでも思ったのか申し訳なさそうに頭を掻きながらそう告げた。

 この寺の過去帳はその際、燃えてしまったんだそうだ。

「今の檀家さんの中にも相田さんなんていないしねぇ」

 住職さんはそう言って万里が差し出した古いハガキを手に取って興味深そうに何度も裏を返したり表を眺めたりした。

「そうですか…」

 万里は住職さんの奥さんが出してくれた冷たいお茶を遠慮なくいただくとうつむきながらすすった。

 これで、手詰まりだ。

「過去帳は大きなカメに入れて埋めたんですけどね。ダメだったんですよ」

 空襲から守るために庭に埋めたのは先代の住職さんだったらしいのだが、まだ少年だった住職さんも手伝ったとのことだった。

 でも、空襲の激しい炎は土中の過去帳すら焼いてしまった。

 二人でしんみりしたところで、庭から甲高いひぐらしの声が聞こえてきた。暑くったって季節は変わる。もう秋だ。

 この街も丸焼けになってしまったそうだが、そんな気配は今や微塵も感じない。

「この辺、随分変わったんでしょうね」

 私は窓の外を見ながら言った。この寺は渋谷とは思えない静けさの中に建ってはいるが、窓からはコンクリのビルが見える。

「変わったねぇ。街も人も」

 ため息交じりに住職さんが言った。その吐く息の音の大きさが街の変わり様を万里に伝えてくれた。

 この辺りはもしかしたらミツさんは歩いたことがあるかも知れない、とは思う。でも今、見ている景色とミツさんが見ている景色はあまりにも違う。違いすぎる。

 つながりなんかない。

 万里は住職さんに向かって自分が思いつく限りの丁寧な礼を門を出て再び帽子を深く被った。

 どうしようか。もう手詰まりだ。

 エロ主はどうするんだろう。東京も飽きてきた頃かもしれない。帰ると言うかもしれない。

 万里はその場で立ち止まった。 

 結局、何にも出来なかった。ミツさんを探し出すことも、多分、エロ主を止めることも…できない。

 

 その時、バックの中で私のスマホが鳴った。父からだ。

「もしもし」

 万里は潤む目を擦りながら電話に出た。

 電話の向こうで父はいつもと変わらない穏やかな声で先ず、万里の健康を気遣った。元気だよ。変わらないよ。と万里はこれもまた、いつものように即答する。

 父の要件はお彼岸のお墓参りのことだった。

 寺の前でお墓参りの話を聞くなんて、なんか因縁を感じて万里は、振り返ってお寺の瓦屋根を見た。すると、蜩の甲高い泣き声がお寺の塀の向こうから響いてきた。何だか不思議。気のせいだろうけど。

 万里と父親は毎年、二人揃ってお彼岸に万里の産みの母のお墓参りに行くことが習慣になっている。ところが今年は、父が再来週からから急な海外出張に出かけることになり、行けないというのだ。

「仕方ないね、いいよ。一人で行ってくる」

 万里はそっけなくそう話して電話を切った。父に罪悪感を感じさせない為に

 寂しいな、とは思う。でも、それは、父に言った通りだった。『仕方ない』のだ。ミツさんが見つからないのも『仕方ない』。父は再婚した。新しく妻を迎え、今までどおりに行かないことも出てくるだろう。そしてミツさんの時代から百年が経っている。昔とは違う。時は好むとも好まざりとも流れていくのだ。誰にも止められない。

 そうだ、そうだよね、そうしなきゃいけないよね。

 正直にエロ主に話そうと万里は決めて、止まっていた足を動かして一歩前を踏み出した。エロ主が帰りたいと言えば帰してあげよう。どれもこれも『仕方ない』だ。

 自分の寂しい気持ちなど誰にも関係のないことだ。

 夏の終わりを告げる蜩の声を聞きながら万里は決心すると家路を急いだ。

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