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ぬしさま  作者: 里桜子
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もう恋なんか

 プールの日はものすごく暑い日だった。そして、ものすごくいい天気でもあった。

 太陽は、まるでプールの水面を輝かせる為にあるように輝き、それに応えるように水は波打ってキラリと光る。

 そして、その中に浮かぶ、この、このチョーかわいい水着を水着を着た、私!

 万里は、消毒薬くさい水の中を浮き輪に掴まりながら満足げにフフンと鼻を鳴らした。

 なんて爽快感、やっぱり来てよかった。心の中も真っ青な青空が広がっていく。

 すこしばかり心の余裕が出来た万里は、サーキットコースみたいな形の流れるプールに浮かびながら、家で留守番しているはずのエロ主を思い出した。

 アイツもこうやって遊びたいかな…。一人で留守番なんてつまらないんじゃないかな。

 いやいやいや、と万里は一人で首を振った。だって、アイツ、水道水さえ、薬臭いっていってたし。こんなとこ喜ぶわけない。

 せっかく遊びにきたのに、あんな奴思い出すことはないではないか。そう思い直した万里ははしゃいだ。合コンメンバーだという見知らぬ男のつまらんジョークにも大笑いをした。はしゃいで、はしゃいで、はしゃぎまくった。今だけはエロ主のことなんか頭からフッとばす為に。

 しかし、それはいささか不自然だったようだ。少なくとも由香里の目にはそう見えたらしい。

 万里は、プールの門を出たところで、いきなり由香里に後ろから手を引っ張られた。

「どうしたの?皆、今から飲みに行くとか言ってるじゃん」

「何言ってんの?こっちの話の方が面白いに決まってるじゃない。なんか悩んでるでしょ?それもオトコ。男の匂いがする」

「そんなわけないじゃん」

 一応はトボけたが、そのトボけ方がまた不自然だと責められた。やっぱりダメか。

 万里は由香里に半ば強引にファミレスに連れていかれ、店の椅子に座るやいなや「相談にのるから」と聞いてきた。お店の人が持ってくる水よりも早いってすごくない?

 話せ、責められてもまさか田舎に行って、オオサンショウウオに話しかけられて、何故か同居してます。何て言えるわけもない。

「ええと、田舎に行って、知り合って。それで…」

 嘘は言ってない。だいぶ端折ってるけど。

「やっぱりね。雰囲気変わったって思ってたんだ。田舎、結構遠くなかった?もしかして会いに来てくれたの?それで久しぶりだから燃えたのね、思い余ってケンカ?」

 ありがとう。由香里。補足してくれて。合ってないけど、それで合格。

 由香里はドリンクバーでアイスコーヒーを持ってくると、興奮気味に目を輝かせてストローで中をグルグル回した。でも、少したってそれに飽きたのか落ち着いたのか、やがて、コーヒーを一口飲むと一つ小さく息を吐いた。

「良かったよ。だって、嫌な男につかまって、そいつの所為で男嫌いになるなんて悔しいなって思ってたもん」

 由香里はうつむく。本当に心配してくれていたのか、と改めて思った万里もうつむく。

 ありがとう、由香里。

 万里には恋にまつわるいやな思い出があった。

 それは、大学に入ってすぐのことだった。万里は恋をした。相手は浪人を重ねた随分年上の同じ大学の4年生。それまで部活や受験勉強に追われ、恋なんかしてこなかった初心な万里はすっかり夢中になった。先輩の優しい言葉に酔いしれて、頬を染めた。でも父親は帰りが遅くなるようになった万里を心配して怒るようになった。とうとうある日、遂に大ゲンカになって、万里は先輩の甘い言葉を信じてアパートに行った。家の鍵は開いていて、不審に思いながらもドアを開けたら自分と付き合ってるはずの先輩が見知らぬ女と抱き合っていた。

 万里を抱きしめている時とは全然違う情熱的な雰囲気で。

 翌日、先輩は酔っていたんだ。って散々言い訳をしてきたけど、どうしても万里は許せなかった。今までうっとりと聞いていたはずの甘い言葉が急に空々しく聞こえるようになって、どんな言葉も信じられなくなった。

 自分の変わり様が怖いくらいだった。人に対して冷たくなれる自分にも適当な言葉を重ねる先輩にも幻滅した。だから、恋なんかしないと決めた。男に期待なんかしないと決めた。

 嫌な感じに変わっていく自分が怖かった。だったらその原因を作らなければいい、と思ったのだ。

 目の前の由香里は良かった良かったって何度も言ってくれたけど、万里は今でも基本的には変わっていないと思っている。エロ主に恋なんかしてない。触られるのが嫌じゃないだけ。

 でも、由香里は気になる事を言った。

「でもさー、いつでも頭から離れないって、相当、万里もめり込んでるね。ああん、羨ましいくらい」

 由香里はそういうと、両手を組んで身じろぐような仕草をした。

 頭から離れない?確かにそうだけど、恋、というより、怒りとか呆れ…でもいいの?

「そんなことないよ。私はいたってフツーだけど」

 私の答えに由香里は大きく肩を落とした。

「フツーって…。だって、彼、万里に会いに来てくれたんでしょ?万里はいつも頭から離れないんでしょ?十分に重篤な恋の病だと思うけど?」

 万里は、由香里の言葉に瞬きした。そして相当間抜けな顔をしたらしい。向かいに座る由香里が噴き出すくらい。

「やだなー万里。分かってあげなきゃ。可哀そうだよ。ふふん。今度シャメでもいいから会わせてね。彼が出来たお祝いにここはおごってあげる」

 由香里はそう言うと、瞳の輝きはそのままで注文票を持ってスッと立ち上がった。

 経過報告をしろってことね。まったく、高いコーヒーだ。

 由香里が席を立って一人残された万里の頭の中は徐々に混乱の度合いが大きくなっていった。エロ主が好き?そんな馬鹿な。アイツは私を食事をくれる相手しか思ってない。だいだいそんな甘い雰囲気一度だってないのに。

 グルグルの頭の中でどうにか帰ると窓辺のエロ主は「おかえり、遅かったな」とやや不機嫌そうにそう言った後、水から頭だけ出して万里をじっとみていた。

 その後はいつもの決め台詞「腹減った」だ。

 私がもし、ご飯を作らなくなったらエロ主はどうするんだろう。今だって、私、シリアルとコンビニ弁当くらいしか作ってない。もし、他にご飯を作ってくれる人が現れたら迷わずそこに行くだろう。

 「どうした?」

 いつもと違う私に違和感を感じたのか、エロ主は人間の姿になった。

 エロ主の顔を見ながら、万里は、どうしてここに来たの?と聞きたくなった。なんて答えるだろう、と思う。もしかしたら、もう飽きたから帰るって言うかも知れない。そしたら私は「腹減った」とも「おかえり」とも言われなくなる。そして、私は気分をゾワゾワと動かされることもなくなる。

 別に特別じゃない、前に戻るだけだ。エロ主と出会う前に……。なのに…。


 嫌だな


 万里そう思った。素直にそう思った。嫌だ、そんなの嫌だ。エロ主がいなくなるのも他の誰かに食事を作ってもらう事も。

 そうか、そういうこと。

 由香里、違うよ。嫌なのは私だ。私が嫌なの。エロ主と離れるのが。

「おい、どうしたのだ?」

 無表情でエロ主を見つめる万里の瞳をエロ主の金色の瞳が覗き込んだ。銀色の長い髪が額に落ちてきて、冷たくて大きな掌が頬を包む。

 万里は、自分の瞳が潤むのを感じていた。もしかしたら一筋落ちたかもしれない。

「おい」

 万里は動かなかった。動けなかったのだ。由香里、どうしよう。コイツ好きだ。いつも上から目線でモノをいい、口を開けば「腹減った」の大飯ぐらいの男なのに。

 名前すら呼ぼうとしない男なのに。

 バカだ。大バカだ。

 万里はエロ主の問いかけには何も答えず黙って瞳を閉じた。

 そして、自分の目から涙が一筋落ちるのを今度はハッキリと感じた。

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