下着談義
「おい、雨だぞ」
エロ主に言われて万里はレポートを書いていた手を止めて窓を見た。しかし、確かに曇っているが雨はまだ降りそうもないように思えた。
「降ってないじゃん」
「私を信用しないのか」
どこをみて信用したらいいのかと言いたかったが、あの大学校内の小汚い池が綺麗になったのを見た今となればそんなこともあるか、と万里は思い直し重い腰を上げて窓辺に立った。
すると、ガラス窓を開けたところで、急にポツポツと大粒の雨が降り出してきたではないか。
「やだー、せっかく洗濯物が乾き始めたところだったのに」
万里が顔をしかめてそういうと、それみたことかと言わんばかりのエロ主の得意げな荒い鼻息が聞こえてきた。どんな顔しているのかは分からないがドヤ顔しているに違いない。
聞けば「当然のことだ」なんて言うに違いない。
何だか悔しい。そうは思いつつも濡れなかったことには感謝はしながら万里はベランダに干していた洗濯物を入れ込むと部屋の中で干し直した。
エアコンの風に煽られて洗濯物が揺れる。それに合わせてオオサンショウウオの頭のユラリ、ユラリと揺れる。
何を見てるんだろう、動きが洗濯物の動きとシンクロしてて面白い、と万里がそう思った時。
「お前はヒモパンは穿かないのか?」
何を見てるのかを思えばそこかよ、万里はがっくりと肩を落とした。
「……ヒモパン……」
いったい誰がそんな単語をエロ主に教えたというのか。
「この間、金魚が申しておったのだ。ピモパンの方が脱がせやすいって」
金魚って、大学の池に泳いでいた金魚のことだろうか、何て奴だ。
「何?金魚も人間の姿に変身して夜な夜なナンパでもしてるの?」
オオサンショウウオが銀髪の男に変わるんだから、金魚が変わったって別に不思議ではないように思えた。決して想像したいものではないが。
「金魚は金魚だ。変わりはせぬ。あの辺りは夜になると乳繰り合う輩がいるらしいぞ」
乳繰り合う……なんかダイレクトでストレートな言い回しに万里は大きくため息を吐いた。
そうですか、あの辺りは夜になるとそんなスポットに変わるんですか。隅とはいえど、校内なんですけどね。皆さん。
しかし、エロ主は万里の落胆など気にする様子もない。
「今まで数多くの輩を見てきたが、ヒモパンが一番具合がいいそうだ」
まさか金魚に観察なんかされてるとは、皆、思ってないだろうな。
「私は扱いやすくて動きやすい実用本位で下着を選んでますから」
万里はそう言って風に揺れる自分の下着を見やった。確かに自分が持っているのは、勝負とか、エロいとは一線も二線も画したスポーティーなものだ。
「実用本位ならヒモパンだろうが」
別に気になる相手がいるわけでもなし、まさかここに干してエロ主の視線を楽しませろ、とか言うんじゃないだろうな。
「金魚が見ているのは恋人。アンタは居候。事情が違うでしょうが」
もし、エロ主に恋でもしてるのなら、自分を着飾りがたいが為に下着にまで気を使うようになるかも知れない。でもそんなことはありえない。
万里はフンッと鼻から勢いよく息を吐くと、再び机に向かった。エロ主風に言えば「戯言もいいかげんにせよ」だ。しかし、エロ主はそんな万里の気持ちなどどうでもいいようで「ヒモパンもいいが、レースも捨てがたいと金魚は言っておったが、そちはどちらも持ってはおらぬ」とさも残念そうに話を続ける。
エロ主、自分はアンタが頼んだ案件を調べていたというのに、金魚と下着談義ですか、そりゃ結構なことで。
万里は怒りを通り越して呆れてきた。
「エロ主は私に何を期待してるよ」
なんか答えるのも面倒くさくなってきた万里は図書館で借りてきた本のページをペラリとめくって、勉強するから邪魔するなというメッセージを背中で送りつけた。
しかし、今度はエロ主がその万里の姿を見てフン、と鼻を鳴らした。
「真にかわいくない女だな、おぬしは」
可愛いってどんなリアクションを求めてんのよ、と万里は横目で睨んだ。しかもその問いへの答えは何度も言ってきたはずだった。「嫌なら帰れ」だ。
自分は何故だがエロ主をどうかする出来ないが、自分で帰るならそうできるだろう。
いつもだったら、そこで不機嫌にムスッとなるエロ主なのだが、今日は何というか、そうシツコイ。
「しかし、金魚はそちを褒めておったぞ」
金魚に褒められて喜ぶ人間がいると思うあたりからして大間違いなんだけど。エロ主。
「今どき、抱きしめられただけで頬を染める女など、天然記念物並みの掘り出し物だと」
それは褒め言葉なのか?何だかガックリくる。と思ったところで、万里は金魚が褒めてくれたことへの期待があったことにも気が付いて余計にガックリきた。
「誰がいつ、そんなリアクションしたよ?熱でもあるんじゃないの?」
万里は机に向かったまま素っ気なくそう答えた。あんなの認めたくなかった。びっくりしただけで感情なんかないはずだ。
「そんなこと言っていいのか?」
ふと、後ろに気配を感じて振り向くとエロ主が背中にピタリと身体を寄せるように立っていた。
「何よ」
「私は知っておる。そのかわいくない態度の裏に実に純な心を隠していると、な」
ふわりと肩に手を回され、引き寄せられるように抱きしめながら、万里は自分の頭がボーッと熱くなっていくのを感じた。
だめだ、こんなことではヤツの思がままだ。万里は気持ちをしっかり持とうと頭を大きく何度も振った。
嘘だ、止めろ、こんな奴の腕の中で安心するな。そう何度も念じる。
「何でわかるのよ、そんなこと、だいたい誰がいって…」
「金魚が助言してくれたのだ」
何をどこまで話したのよっ!エロ主、まさか痴漢の事も話したんじゃないだろうな。
「ヒモパンもレースの下着も付けていないが、子供のような可愛らしい女。その姿、私に見せてもよいぞ?」
「誰がっ」
反射的にエロ主をぶん殴ろうとした腕は空振りしたどころか返ってバランスを崩してしまい、万里は逆にエロ主に抑えらえてしまった。
金色の綺麗な瞳に自分が映る。すっと通った鼻筋、薄く引き締まった唇…。なんて綺麗なんだろう。思わず万里は見とれる。
「そんなにボーッと見つめるでない。口が開いておる。素直すぎるのも考えものだ」
エロ主に指摘されて万里は慌てて口を閉じた。そして、床に押し倒された自分の状況を改めて知った。
「うそっ、何よ、コレ。冗談じゃないって」
「冗談でこのようなことをするわけがなかろう。この身体、そなたの好きなようにしてもいいぞ?」
クックッと金色の目に笑われて、ようやく万里は自分がからかわれたこと理解した。
チクショウ、褒めたなんて言って。こいつ。何て奴。
万里はもし、万が一こいつが好きになってもヒモパンもレースも絶対に身に付けないぞ、と決心をし、その後で、好きに何かなるわけないし!と慌てて首を振ったのだった。