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ぬしさま  作者: 里桜子
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エロ主の力

 そんなわけで学校へたどり着いたのは到着予定時刻から一時間ほど過ぎた頃だった。

 万里は大学につくと、校舎に入る前に裏庭にある小汚い池に向かった。

 キョロキョロと周りに誰もいない事を確認してから立ったままペットボトルの蓋を取ると、いきなり逆さまにしてエロ主を水と一緒に空中に放り出した。

「何をする」

 一瞬、エロ主の声が聞こえたが、それはすぐに掻き消えて、エロ主の本体は水と一緒にボチョンと高飛び込みの選手みたいに水しぶきを上げて黄緑色の池の中に落ちて行った。

 ああー、そんなに水しぶきを大きく上げちゃメダルは取れないな、なんてね。

 万里は心の中でベロを出した。

 それより、オオサンショウオって澄んだ水じゃないと住めないはず、とそっちの方が気になったが、こんな奴を可愛いと思ってしまった自分への忌々しさも合わさって、どうでもいい方が先に立った。

 だいたい、汚い池でも本人がいいって言ってんだから、問題などないはずだ。それに、ここはたまにその辺のベンチに座って弁当食べてたり本読んでいたりする人も見かけはするが、今は夏休みで人気もまばらだ。こんな小汚い池を覗き込んでオオサンショウウオを見つけるなんてこともないだろう。

 よし、これでいい。

 そんなことより、痴漢のお蔭かエロ主のお蔭か予定がずれ込んでしまっている。夕方からのバイトはずらせないから、あまり深く考えている時間もない。

 早く課題に取り掛からなければ……。

 あとのことは自分でどうにかしてくれ、だ。


 汗をかきながら急いで校舎に入ると外とは違って夏休みだというのに図書館の中は意外に人気が多かった。

 みんな追いつめられたような顔をして本に向かっていた。真面目だ。 

 万里は空いている机に音を立てないように気をつけながら荷物を置くと書架に向かった。必要な本はピックアップしてある。あとは取り出して調べるだけだ。

 が、残念な事にというか、運が無い事に目的の本は書架の上のほうにあった。手が届かない。梯子はと見れば使用中。とりあえず、背伸びすれば届くかもしれない、と手を伸ばすと手が届く前に、スッと目的の本が動いた。

「これ?」

 頭の上に息遣いが聞こえる。

「あ、うん。ありがとう。」

 他の大学はどうかは知らないが、万里の国文科に男子は少ない。本を取ってくれた人はその貴重な男子だった。

「やっぱ、これいく?外せないよね」

 その物言いから予測すると彼は既に読んだらしい。

「うん、読まないと先に進めない。横山くん読んだんだ」

 後ろに立つ横山くんを振り返りながら万里は答えた。横山くんは万里と講義のセレクトが似ていて良く会う、友人といっていい一人だ。

「先月ね。それより、ちょうど良かった」

 万里は受け取った本のページをパラパラとめくっていた手を止めてヒョロリと背が高い横山くんを見上げた。

「今日、合コンするんだけどさ、女の子一人足りないんだよ、万里、どう?」

 横山くんは悪い人ではないのだが、少し人懐っこすぎるっていうか、馴れ馴れしいのは玉に傷だ。

「んー、バイトあるしな」

 合コンなんか嫌い。何度も断ってるというのに。忘れっぽいというか、めげないというか。どうして分かってくれないかな。

 万里は再び本に視線を移してページをめくり始めた。

「なんだよ、付き合い悪いな」

 行きたくないくらい知ってるだろうに。何回同じことを繰り返せば気が済むんだ。

 万里の無表情が雄弁にそう語る。

 横山くんが何か言いたそうに口を開けた、その時。

「鉄壁の万里を合コンに誘おうなんてムリムリ。」

 笑みを浮かべながら万里を挟んで隣に立ったのは横山くんと同じようにやっぱり講義セレクトが似ている由香里だった。由香里とは男の話以外ならウマが合うので結構仲がいい。やはり友達といっていい人物だ。

「鉄壁ってなによ」

「違うの?」

 意識したことなんかないんだけど。万里は眉間に皺を寄せる。付き合いが悪いのは自覚していることだがそこまで言われるとは思っていなかった。

 万里は二人の話に心の中で突っ込みを入れながら本のページをめくる。

 見かけは読んでいる風に見えるが、内容が全然、頭の中で消化されない。

「たしかに万里は付き合い悪いよな」

 合コンとサシで会うこと以外には付き合いますが。それに打ち上げには行くじゃん。

 本を読んでいるふりをしながら万里は内心、合コンに行かない理由を殊更に強調した。

「だから、バイトだって」

 ここで本音を言って周りを白けさせるほど私は子供でもないし、空気が読めない人でもない。

 万里は心の中で自分の考えにそうそう、とうなづきながら答えた。

 そこで待っていたかのように由香里が口を挟んだ。

「だから、私が行ってあげる」

 由香里はまっすぐで少し挑発的な目を背の高い横山くんに向けた。瞳がキラリと輝く。

 流石、合コン女王、由香里。本から目を離さず、万里はその言葉を呑み込んだ。

「ホント?助かるよ。後でメールするから」

 横山くんはそういって人懐っこい笑顔を見せると頼んだとばかりに由香里の肩をポンと叩いて去っていった。

 去っていく横山くんに手を振りながら由香里は万里の耳に口を寄せてこう囁いた。

「ところでさ」

 由香里はそう言って万里の肩に手を乗せると更に体重をかける。

 こういう仕草の時は、大抵は男にまつわる内緒話だ。

「夏休み、なんかあったの?」

 やっぱりな、と万里は心の中でうなづく。

「別に…田舎に行ったくらい。話したでしょ?」

 万里は本から目を離さずに小声で答えた。

「うーそーそれだけじゃないでしょ?隠したってムダ」

「何にも変わってないって。生活費を稼ぐためにバイト三昧。知ってるでしょ?」

 万里は学費は親に出してもらっているのだが、生活費は自分持ちだ。だからいつもバイトが入っている。由香里も知っているはずだった。

「そりゃあさ、その薄っぺらい身体も男みたいに色気のない尻も変わってないよ。でも、判る。なんかさ、トゲが取れたっつーか」

 仮にも友達に対してなんつう言い方だ、と素面を装いつつ、万里は心の中で由香里に突っ込みをいれた。

 確かに肩が凝るくらいデッカイ胸を持つ由香里とは確かに対局にいる人間なのは認める。でも、それは別として鉄壁の上にトゲがあったと思われていたなんて……どんなイメージで自分は見られていたのか。

「田舎に行っていい空気吸ったからかな。良い所だったし」

「ふふふん、そんなんじゃないわよ。何か男のニオイする。可愛いスカートなんか穿いちゃってさ」

 スカート…そういわれて納得しかけた万里だったが、生憎これは前から持っていたものだ。

 万里は顔を近付けて覗き込むように見ていた由香里を真面目な顔で振り返った。

「恋なんかしない。男なんかいらない。知ってるでしょ?」

 はっきりと、答える。しかし、由香里は引き下がらなかった。

「田舎に行って癒やしてきたんじゃないの?」

「癒されたよ。おじいさんもおばあさんも良い人だったし、みんな親切だったし」

「そこで運命の出会いがあった…」 

「まさか」

 変なの付いてきたが。

「いいかげんにしなよ、万里。そんな事言ってるとすぐオバサンになっちゃうよ」

「いいけど、そうなっても」

 万里は素っ気なくいってページをめくった。そんな事よりこの本を早く読むことの方が大事だ。早く終わらせてバイトに行かないと。

 エロ主は出来れば忘れて行きたいけど、きっと、そうはならないだろう。

 万里は決してエロ主を見捨てられないことを無意識の中で自覚し始めていた。

 由香里は万里から離れると納得しかねる様子で首をかしげながら「ふぅん」と言った。

「ま、いいけど?お蔭で合コン一つ拾ったし」

「いってらっしゃい。楽しんできてね」

 万里が本を片手に手を振ったのと同時に由香里のスマホが震えた。多分さっき連絡するって言った横山くんからだ。

 それは図星だったようで、由香里は画面を見ると目を輝かせて万里から離れて行った。

 由香里の後ろ姿を見ながら、万里は由香里が匂うと言っていたのを思い返した。 

 オオサンショウウオって山椒の匂いがするからサンショウウオって言うんじゃなかった?と、いうことは、由香里が嗅いだのは山椒の匂いだったりして。もしそうなら、確かにすでにオバサンかも知れない。 そう思い至ったところで、背筋がブルッと震えた。慌ててとんでもないと一人首を振る。

 なんて冗談だ。少し抱き合ったくらいでエロ主の体臭がこびりつくなんて冗談じゃない。何を考えてんだ、やめて。

 そんな事より、この本と、あともう一つ。

 万里は本を閉じるともう一つの探し物に取り掛かった。そう、ミツさんの足跡探しだ。

 ハガキに書いてあった住所は「東京市四谷区千駄ヶ谷」と書いてあった。四谷区なんて今はない。この住所は今は渋谷区になっている。

 この住所の近くにある古いお寺を調べてリストを作った。そう、目当ては過去帳。

 東京には意外にお寺が多い。小さいのを含めると結構な数だ。

 長いリストを作ったところで、空腹を覚えた。時計を見ればとっくに12時を過ぎている。

 腹は減っては戦は出来ぬ、戦じゃなくて勉強だけど、と校内のコンビニでおにぎりを買い、食べるついでにエロ主の様子を見に行く事にした。あんな小汚い池で虫の息になっているかも知れない。

 自分に言い訳をしながら行ってみると、何故か、池の周りには人だかりができていた。

 何?どうした?もしかしてエロ主、ホントに息絶えて浮かんじゃった?あんな場所でオオサンショウウオが浮かんだらそりゃ大騒ぎになるに違いない。

 期待は…少し…ないわけでもないけど、心配の方が大きい気持ちで万里は人垣から池を覗き込んだ。しかし良く見えない。

 前の人がなんか言ってるのが聞こえてきて万里は耳を寄せた。

「何?なんかの実験?あんなに綺麗になるなんて…」

 綺麗?もう少し聞きたくて前に体重を寄せる。

「底まで透けて見えるなんて今までなかったじゃない。少しニオイそうなくらいだったのに」

 なんだって?まさか、池の水が綺麗になったの?うそ。

 万里は人を強引にかき分けて前に出た。隣の人が何だ、コイツというような迷惑そうな目で見ているのは分かったが、この際どうでもいいと思った。それよりもこっちの方が重要だし、気にかかる。

「うそ」

 池を見た万里は目をみはった。今朝、確かに黄緑色だったはずの池が透き通って底まで見えているではないか。金魚が泳いで…って、誰がここの池に金魚がいるなんて知ってただろうか。

 エロ主だ、エロ主の仕業だ、間違いない。

 あの泉と同じ、なんだが霊的な雰囲気さえ漂っている。そんな事が出来るのはエロ主だけだ。

 なんてやつ。

「おい」

 真っ白になった頭の中にエロ主の声が響いて万里は我に返った。

 下を見ると、池から少しだけ頭を出したエロ主がいる。

「みつかっちゃうよ」

 口だけを動かしてそういうと同時にマンガだったらボンと弾けるような音がしそうな勢いでエロ主は銀髪のイケメンになった。万里の目の前で金色の瞳が三日月のお月様のように笑う。

「ちょっと、何?こんなところで」

 銀色の髪なんて目立つでしょ!ホラ、皆が…。

 慌てて周りを見回したが、誰もエロ主に気づいていなかった。うそ、みんな「清らか」じゃないの?

 何か知りたくない事知ってしまったような気がして肩の力が抜ける。

 みんな、大人だんだね……穢れちまってるんだ。

「終わったのか?ここもそろそろ飽きた」

 そんな万里の脱力感など全くお構いなしにエロ主は平然と言い放つ。

「いいよ、戻っても」

 予定は終わってないけど。

 しかし、こんなに騒ぎになったらそれこそ原因究明とか言って底をさらう人が出てこないとは言い切れない。

 それに、自分を見つけたエロ主は、一瞬、嬉しそうに笑った気がした。まるで、お母さんが迎えにきた小学生のように。

 あんな顔をされたら置いてはいけそうもない。

 万里はその場でエロ主を入れてきた空のペットボトルの口を開けると、すぐに目の前にエロ主は消えた。同時に手の中のペットボトルが重くなる。見ると、水と一緒にオオサンショウウオが入っていた。綺麗な水はどこから来たのだろう。不思議だ。不思議だけど納得するしかなかった。

 だって、エロ主はあんなに汚かった池を綺麗にする能力を持っている。これぐらい何でもないことに違いない。

 池の周りの喧騒の中でオオサンショウウオが入ったペットボトルをカバンにしまう時、万里はエロ主が笑ったような気がした。

 池を綺麗にしたのはまるで子供がした悪戯だったように。

 それぐらい、大したことのない事のように。

 万里は自分とエロ主に何か大きな差があることを改めて感じた。

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