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飛光少年A(17)  作者: つなかん
1999年 鱗粉色
5/31

飛光少年A(5)

 目が覚めると、半分ほどしか記憶がなく、しかしそれでも泣き出したくて仕方がなかった。

 たまに思う。ぼくは中学生からちっとも成長していないのではないか、と。ぼくはずーっと、一生、あの日に囚われてしまっているのではないか、と。

 隣で猫が倒れていたので、切り刻むことにした。ふらつく頭を抱えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 外ではできないから、風呂場へ持っていこう。

 既に死んでいる猫の解体は面白くなく、ぼくはすぐに飽きてしまった。

 しかしそれでも刻んだので処理が面倒になる。残る香りは良いものではなく、消えるまで一週間近く掛かるだろう。

 だが、やはりこれが一番安全なのだ。幸い、同居の父は滅多に帰宅しない上、あまりぼくに干渉しない。

 ぼくは簡単に血を洗い流すと、処理をしに外へ出た。




 外はまだ日が落ちておらず、丁度夕日の眩しい時間だった。

 随分長い間、眠ってしまったのだと考えながら、ぼくはビニール袋に入れた猫の死体を処理するため、いつもの河原へ向かう。

 この地域には猫がたくさん生息しているようで、いくら殺してもいなくなることはない。

 ビニール袋ごと河原にそれを投げ捨てる。

 群れている彼らを見ると、一通りやったことなのに、アイディアが次々浮かんで実行が追い付かなくなる。

 落下も農薬も切断も解体も、やはり一度で飽きてしまう。次は共食いなんてどうだろう、狭い場所に数日閉じ込めれば始めてくれるかもしれない。そういえば、猫は食べることができるんだろうか。以前解体したときは、食べる部分があまりないように思ったが、上手く捌けば鍋の具にでもなるかもしれない。

 空に夕闇が迫っていた。夏の始まりを告げる、生暖かい風が吹く。筋状の雲は、風に乗って流れているように見えた。

「あの!」

 高い声がした。誰かに話し掛けているようなニュアンスの声。近い場所で聞こえたので、無意識にぼくは振り返った。

「あのっ! 木場さん、ですよね。……西工業の、木場透さん」

 女の子がいた。紺色のセーラー服に緋色のスカーフが映える。二つに結ばれた黒髪は綺麗に風に靡いていた。

「そうですけど……」

 全く知らない人だ。向こうはこっちの通っている学校だけでなく、フルネームまで知っているというのに、ぼくはこの女の子のことを何も知らない。なんだか恐ろしい。

「やっぱり……」

何が『やっぱり』なのか皆目検討がつかない。

「私あなたのファンなんです!」

「は?」

 意味が分からなかった。ぼくは芸能人ではないし、なにしろ目立たない存在の筈だ。友達と呼べる存在も極めて少ない。

 知らない人にナンパされたことはあったが、いきなりファン宣言されるというのは始めてだ。どう反応したら良いのか分からない。

「あ、……」

 女の子は俯いて、持っている鞄を強く握った。長く伸びた前髪の所為で表情は見えないが、ひどく緊張した様子である。

「あ……?」

「雨宮さんのファンなんです。私」

 彼女の言葉に、ぼくは一瞬たじろいだ。以前の名前を呼ばれ、動揺が隠せない。

「……今の、見てました?」

 河原に靡くビニール袋に目をやる。グロテスクな肢体は隠れているが、付着している赤色で、中身は瞭然だ。

 早くこの場を離れなければならない。この場面が見つかれば、停学どころか退学処分になってしまう。 

「え? あ、いや……。あの……言いませんよ。誰にも」

 向こうの名前が分からないのが煩わしい。こちらの名前が相手に筒抜けなのが、不公平に思えた。

「何で分かったんです? ていうか、あなたは、誰?」

 週刊紙に顔が出たのは知っている。名前もインターネットで広まっていると聞いていたから、わざわざ変えたのだ。父は再婚して、苗字も変わった。絶対に分からないと思っていたのに……。

「私あの、……平田くんの同級生で、上原沙織といいます。それで――、」

 もじもじと、上原さんは腕をさする。彼女は何をしたいのだろう? 目的がいまいちつかめず、ぼくはイライラと爪を噛んだ。

「で、何ですか?」

「あ、握手とか、サインとか」

 言葉の真意が掴めず、ぼくはまじまじと上原さんを見た。しかし、相変わらず彼女は、どこか媚びたような上目遣いのままでぼくを見つめるのみだ。

 本当に、ぼくのファンなのだろうか。

 爪を噛むのをやめ、ため息をつく。いずれにせよ、こんな場所に長居するべきではない。

「じゃあ、家に来ます?」




「木場さんは憧れなんですッ! 普通の人にはできないことをしたから。だから私は凄く、なんていうか……だからファンなんですッ!」

 家に招くと上原さんは、異臭や、全く整頓されていない部屋の様子など気にもとめずに話し出した。

“普通の人にはできないことをした”

 馬鹿にしているのか、脳に障碍があるとかで散々言われたり、精神鑑定にうんざりしたことを思い出す。憧れというのはなんだろう? やはり馬鹿にしているのだろうか。ああいうことは脳に障碍がないとできないとでも言うのだろうか。

 しかしたしかにそうかもしれない。ぼくは病気なのかもしれない。他の人が何を考えてるか分からないし、ある程度の想像もできない。

 よく、“自分にされて嫌なことは他人にするな”と言うが、あれが昔から分からなかった。自分は自分だし、他人は他人。刺したら多分、相手は痛いだろうなぁということはなんとなく思うが、別に自分は痛くないわけで、だからそれは刺さない理由にはならないのだ。

 むしろぼくは、誰かが痛がっているときの顔が好きで、嫌がることを強いるのが好きで、他ではなかなかそういう興奮……感動が得られない。だから凄く、あれは衝動的に起こしたことだった。おれは昔、殉情的で自制心がなかったのだ。

 多くの人がぼくのことを知りたがるのは、上原さんの言うように、羨望があったからなのかもしれない。

「あ、何か食べます? 作りますよ」

 足の踏み場もないほど汚いリビングを片付けていた上原さんは、唐突に立ち上がり、台所へと向かっていった。

「好きなものとか、あります?」

 勝手に冷蔵庫を開けて中を物色する。まくった制服からは、かすかに食べかけのハムみたいな腕が覗いていた。

「ケチャップが好きです。ケチャップスパゲッティとか、ケチャップご飯とか、ケチャップパンとか」

 他にはワッフルなど、甘味も大好物であったが口には出さなかった。拘置所や教護院での暮らしで、甘いものは制限されていたので、反動で好きになってしまっただけのような気もしたし、なにより格好が悪いと思った。

「じゃあ、ナポリタンとかでいいですか?」

 許可もなくお湯を沸かし始める上原さんを、ぼくは止めることはしない。手料理が食べられるのなんて久しぶりのことだった。

 ジュージューと、フライパンからおいしそうな匂いがするころになると、ぼくはなぜか懐古的になってしまった。長く続いていた無言の時間を遮る。

「ぼくは多分、後悔はしてへんよ」

 涙もろいのは昔からだった。悲しいから泣くのではなく、そんなどうしようもないことで泣いてしまう自分が厭で泣くのだ。

「おれはお母さんが嫌いです。多分、今はぼくを嫌いになっています。最近会っていないし……。子供を自慢したい人だったんだと思う。おれは、チヤホヤされたければ自分で努力しろと思いました。他人任せにするなと思いました。おれは頑張ったけど、自分の意思で頑張りました。でもS中に入ってもお父さんは帰って来ませんでした。なんだかどうでもよくなって、死のうと思いました。趣味を楽しんでから死のうと思って、だから、ああいうことが起こった。本当は今もずっとおれは――」

 お母さんに会いたい。父さんにも会いたい、陽介や悠人、みんなとまた、前のように暮らしたい。

 とっくに諦めていたはずのことなのに、なぜか涙が止まらない。目の前の光景が眩しすぎて、まともに瞼を開けることができなかった。

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