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飛光少年A(17)  作者: つなかん
1999年 鱗粉色
4/31

飛光少年A(4)

「だから、ぼくは悪くないんです。猫のことだって、そういう、……勝手に向こうが言ってきて、」

 プレハブ校舎での授業が懐かしい。あの不良たちの所為で、ぼくは停学処分を受けてしまった。

 最近頻発している、猫などの虐待も疑われているようだった。

「いい加減にしろよ。いい歳なんだから、もっと大人の対応をだな――」

 中学からの友人である良輝くんに誘われるまま河原に赴いたが、まさかこんなに叱られるとは思っていなかった。

 彼は野球が得意だったらしいのだが、ぼくが知り合った頃には怪我をして引退していた。あの頃に比べると、良輝くんはずっと大人になっていた。

 ぼくは平べったい小石を探している良輝くんを睨み付ける。

「いい歳って、なに?」

「は? なんだよ。俺はただ――」

「キレる十七歳? ……ぼくはそんなんじゃない。そういうのは、平田くんみたいなのを言うんであって、ぼくは、ずっと前から――」

 ずっと前から殺そうと思っていた? ……いいや違う。キレたわけでもないけれど、そんなんでもない。何を言おうとしたのか分からなくなり、頭が混乱した。酷い耳鳴りがして、鼻の奥がツンと痛む。

「でも刺したら痛い、そんぐらい分かれよ!」

 良輝くんの大声で、我に返る。彼が何を言っているのが一瞬理解することができず、少しの間が開いた。

「えっと、普通そこまで考えないよね。ぼくには関係ないし」

 考えが及ばなかった。たしかにやられたら嫌だと思うけれど、自分がやるほうなら痛くない。だから考えることはないのだ。

「普通は考えるだろ!」

 ぐらりと視界が揺れた。痛みで視界が霞む。目頭が熱くなって、悲しくないのにぼろぼろ涙が溢れた。自分で制御できない類のもので、感覚がなくなっていた。

 息が苦しく、口をぱくぱく開けているのに一向に楽にならない。いっそ全ての感覚がなくなってしまえばいいのにと思いながら、それでも大きく呼吸を繰り返した。

「普通痛いだろ……猫のことだって、本当はやってないんだろ?」

 殴られたのだと気づいたのは数秒後だ。

 良輝くんが、川に向かって石を投げているのが見える。数回水面を跳ねたそれは、あっけなく沈んでしまう。

「もし――」

 体勢を立て直し、声を出す。かすれた声がでたことに自分でも驚きながら、ぼくは言葉を続けた。

「……もしおれが、本当にやったんだとしたら、どうする?」

 曇り空なのが寂しい。石が水面へ落下する音もまた、わびしかった。

「は? なに、いきなり」

 良輝くんは驚いた様子でこちらに視線をやり、眉を顰めた。

「もしも、です。今みたいに、友達でいられる?」

 以前ピッチャーだった彼は、人差し指と中指が長い。小石をいじりながらも、やはりぼくから視線を離さずに答えた。

「まあ、……うん。でも、違うんだろ?」

 そう言って再び、川に向かって石を投げ出す。

 ドキリとした。平静を装うのが精一杯で、何も考えられなくなった。ただひたすら、嘘だけはつくまいと頭を回転させるー

「おれは、良輝くんとずっと友達でいたい」

「ん? ああ、いんじゃね。何かあった?」

 絶対にバレてはならない。猫を殺したことも、古松昴を殺したことも、良輝くんにだけは知られてはならないのだ。

 相変わらず良輝くんは石を投げることをやめない。ぼくはなぜか、長谷川くんのことを思い出した。

「この前、同級生が死んだんです。……背が高くって、すらっとしてて、顔はかなり綺麗だった。整形してるんじゃないかって思ったくらいの顔だった」

 ポツリと、一人言のように呟く。石が水面下に落ちる音が消え、なんだか寂しくなった。

「仲良かった?」

「いえ、全然」

 そう言うとまた、昔が思い出された。教護院での生活が、途端に懐かしくなる。

「一度、殺されかけたことがあります」

「ふうん」

 水音がなくなって寂しさを感じる。良輝くんのほうを見るが、もう彼はこちらを向いてはいなかった。 

「自分の父親を殺そうとしたそうです。未遂でしたけど、彼は……ずっと、それについて悩んでいました。たぶんやり遂げられなかったことに対してずっと、何か思っていたんです」

 涙が出そうになる。必死に堪え、ぼくは言葉を続ける。

「ぼくがあのとき死ねば、長谷川くんは今、生きていたと思います。やり遂げたことに、なるから……」

 そこまで話すともうとまらなかった。自分の感情が制御できず、目頭の熱さを抑えることができない

「……泣くなよ」

 その言葉には聞き覚えがあった。誰に言われてもかまわないけれど、良輝くんに言われると、なぜだが悲しさが収まらなくなった。ますます涙が溢れ、嗚咽交じりに怒りをぶつける。

「男だったら泣いちゃいけないの? お兄ちゃんだとしっかりしなきゃいけない? 嘘をつくのは人殺すより悪いんじゃないの?勉強をしろ挨拶をしろ、ゲームをするな、お箸は右手……って、うんざりじゃないですか。でも今さら自由になったって、何をしたら良いのか……分からない」

 友達と遊べと母さんに言われた。遊びたくなかったので、友達でを辞めた人が数人いた。ダメ宮という仇名を付けられたのはいつのころだったろう?

 良輝くんを見ていると、いつまでも子供ではいられないという焦りが生じる。

 バイクが運転できることや、アルバイトができることは喜びではない。子供ではいられない残酷な絶望がたしかに存在していた。

「それは、つらいよな。俺には分かんねーけど、でも、そう思う」

 心臓をわし掴みにされた気分になった。胃の辺りが重くなり、脳の神経がぐるぐると回る。

 ぼくは共感が欲しかっただけなのかもしれない。良輝くんの言葉は、ぼくをひどく感傷的にさせた。

「……ごめん」

 良輝くんの言葉に、また一つ劣等感が加わった。

 もしかしたらぼくは、謝ることのできない人間なのかもしれない




 家へ帰る途中、寂しくなって猫を拾った。

 冷蔵庫から酒を取りだし、氷を入れたコップに注ぐ。氷がぱりんと割れる音と、猫がみゃあ、と泣く声が聞こえた。

 カッターを持って、酒を煽る。法律違反は未成年者の特権だ。今のうちでないとできないことをしてしまおうと思った。

 肉をえぐる感覚には飽きていた。しかしそれでもやめられない。

 頭がふらふらとしていた。指先の感覚がほとんどなく、唇は痙攣していた。

 自分を腕を間違って切りつけてしまったことすら、感覚が鈍ってしまい、ほとんど痛みを感じなかった。

 ぐらりと視界が揺れた。今までのいろいろを吐き出している気分だ。死んでも良いと思った。痛みが快感で、綺麗な川が見えた。

 無性にキスがしたくなった。人肌が恋しかった。涙が出た。悲しいのか、苦しいのか、酔っぱらいの所為なのか分からない。とにかく死にたかった。

 唾液が煩わしく、何度も指で拭った。口の中に指を突っ込んだ。ぬめぬめとうるさい。ティッシュはどこだ? どこに置いたろう……。指がてらてら光る。なめくじだ。なめくじみたいだ。

 探さないと……壁に当たった。指の唾液が乾いて、世界がまわっていた。わざと傷痕に爪をたてた。

 初めて、怪我をしてよかったと思った。気をそらしたかった。気持ちが悪かった。

 何の情緒も秩序もない。ぼくの存在が嘘ならどんなに良いだろう。死のう死のう。死ななければならない。ぼく自体は残酷で、どうしようもなく排除の対象であると、ほかでもないぼくが一番分かっているのに、ほんのすこし残った理性が邪魔んする。ぼくは酔っぱらいの亡羊だ。

 喉元を過ぎれば熱さを忘れるとはよくいったもので、ぼくはきっとまた同じことを繰り返す。分かっていてもまた、繰り返すのだ。

 今は何も思わない、考えないのだ。何も思うまい。いや、ぼくは無抵抗だ。そのまま、深いトンネルへと吸い込まれたい。きっと、古松昴は、今のような道楽をしたことかまない。これからも、ずっと、そうなのだ。

 不公平だと思った。彼はぼくの、一番の理解者だと思っていたけれど、じっさいはそんなことはない、全て最初から分かっていたことなのに、無性に寂しかった。

 思えば、ぼくは常に絶望していたのだ。

 良輝くんに抱きついて、泣きながら何かを言っていた気がする。

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