第一部:変化と夏―5
「沙和ぁ。今日オマエの父ちゃん家いっていい?」
塾の帰り道、木に張りついていた蝉を捕まえて薫が言った。手には熊蝉か。相変わらず耳障りな音を奏でる。短い命の中で一夏、否、一生に一度の恋の為に。
「いいんじゃない?」
そっけなく答える。正直どうでもよかった。毎日来ているのだから。足元に転がる小石を思い切り蹴飛ばす。小石が綺麗な弧を描いてその後をいびつに歪む弧を描いて沙和のサンダルが飛ぶ。
飛んでいったサンダルはバランスを崩し、道の端にあった小さな川とでも言おうか。とにかく夏場に相応しくない程冷たい水の中に飛び込んだ。夏の暑さから逃げるように。
「あ〜あ何やってんだよヘッタクソだなぁ」
ニヤニヤと笑いながら自分の草履を放る態勢に入る。
「見とけよ俺の華麗な足技を!」
言うが早いか薫の足から沙和の足より一回り、二回りも大きな黄色い鼻緒が付いている草履が飛ぶ。
飛んだ草履はくるくると身を捩らせながら有らぬ方向へと飛び去る。向かう先は沙和たちの歩いているあぜ道の左側にある雑木林。中からは永遠に続きそうな蝉の声。漂う沈黙。
「…薫ちゃんの方がヘタクソじゃない。どうする?取りに行く?」
先に沈黙を破ったのは沙和だった。顔は引きつり笑いを浮かべて。
それを見た薫は一瞬悔しそうな顔を浮かべたが、すぐに満面の笑みを浮かべて。
「これで沙和と同じだろ?」
相変わらずのニタニタ笑い。沙和は笑いを堪えることができずに吹き出す。
腹を抱えてひとしきり笑ったあと、まだニタニタと笑っている薫に同じようにニタニタ笑いを向ける。
「お揃いになったことだしウチで冷やし素麺でもご馳走してあげよっか?」
薫のニタニタ笑いがますます強くなる。
「その言葉を待ってました沙和女王様」
照りつける太陽に汗が滲む。太陽の光で沙和の着ている白いワンピースが黄ばんで見えそうになる。薫はドコから取り出したのか、縁日などでよく売っている小さな電池を使う扇風機で扇いでいる。心底羨ましい。
ワンピースから出ている部分を真っ赤にしながらまだ歩く。
もうしばらく行くと木製の旅館のような建物が目に入る。田舎にしては高級感が漂う少し大きめの民宿だ。資金は宝くじ。祖父が祖母と結婚する前、偶然に買った宝くじがあたったらしい。宝くじには税金も出ないからそれをいいことに民宿を建てたそうだ。我ながら冗談めいた話だと思う。
足を踏み入れた館内はクーラーでひんやりとしている。背中や首に張りついた汗が引いていくのが分かる。
ロビーの方に父の姿が見える。話し掛けようと近づこうとしたがすぐにやめた。電話口で誰かと話している。なんだか嬉しそうな様子だ。
薫を連れてロビーの裏にある実家に上がる。そこはロビーと違い、クーラーは入っていない。懐かしい匂いがする。
父が受話器を押さえてこちらの方に話し掛ける。
「沙和!今日オマエの兄ちゃん来るって!来るまで冷蔵庫にはいってる素麺食べてなさい!」
「はーい!」
沙和の代わりに薫が答える。
蝉の声が一層強くなった。
こんにちは。読みに来て下さった方々、本当にありがとうございます。もう本当に行き当たりばったりでかいているので大したものではないですが、これからも読んで頂けたら幸いです。