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君はまだ、本当の自分を知らない  作者: 曖昧


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補講(2)

 教室は思ったより埋まっていた。


 補講だからか、普段見ない顔もちらほらいる。前方の席はほとんど埋まり、後ろに空席が目立つ。


 優心は迷わず一番後ろに向かった。


「ここなら寝てもバレん」


「寝たら意味ないだろ」


「今日は寝んて。さすがに」


 本当かよ、と思いながら隣に座る。


 チャイムが鳴る少し前に、教授が入ってきた。五十代くらいの、小柄な男。丸眼鏡をかけていて、いつも同じグレーのジャケットを着ている。


「では、始めましょう」


 環境倫理学特講。


 黒板にチョークでゆっくりと書かれる。


 "人間中心主義と環境中心主義"


「環境倫理学とは何か。簡単に言えば、"私たちは何を大切にするべきか"を問う学問です」


 教授の声は低く、落ち着いている。


「長い間、社会は人間中心主義に立ってきました。自然は人間のためにある。利用される対象である、と」


 チョークの音が教室に響く。


「しかし環境中心主義は違う。自然そのものに価値がある、と考える」


 板書の文字が並ぶ。


 価値はどこにあるのか。


 僕はノートを開いたまま、ペンを動かさずにいた。


「ここで重要なのは、"機能"と"存在"の違いです」


 教授がこちらを見回す。


「例えば、ある森が酸素を供給するから価値がある、というのは機能的価値です。しかし、たとえ何の役に立たなくても、存在しているだけで価値があるとする考え方もある」


 存在しているだけで、価値がある。


 その言葉が、妙に引っかかった。


 教授は続ける。


「では、人間はどうでしょう。記憶を失った人、社会的役割を果たせなくなった人。機能を基準にすれば、価値は下がるのでしょうか?」


 教室が静まる。誰も答えない。


「環境倫理は、突き詰めれば、"あなたは何をもって価値とするのか"という問いに行き着きます」


 僕は無意識に、緋依の顔を思い浮かべていた。


 最近の、少しだけ噛み合わない笑顔。


 "かも"。


 既読がついていたメッセージ。もし。もし本当に、何かがおかしいとしたら。それは機能の問題なのか?


 記憶とか、感情とか、反応とか。仮にそれが少し欠けたら、価値は変わるのか。いや、何考えてんだ。大袈裟だろ。教授の声が遠くなる。


「もう一つ重要なのは、"関係性"です。価値は個体に宿るのか、それとも関係の中に宿るのか」


 関係。僕と緋依の。


「ある存在が、誰かにとってかけがえのないものであるならば、その価値は外部から測れない。数値化もできない」


 チョークが止まる。


「倫理とは、測れないものをどう扱うか、です」


 隣で優心が小さくあくびをする。


 僕はやっとペンを動かした。ノートの端に、小さく書く。


 価値=機能? 関係?


 自分でも何を書いているのか分からない。ただ、胸の奥の棘が、少しだけ疼いた。


 そのとき、チャイムが鳴る。


 教授は淡々とまとめに入る。


「次回は、"責任の所在"について議論します。人間は自然に対して責任を負うのか、というテーマです」


 責任。誰の。何に対しての責任だろう。


 僕は、そっとノートを閉じる。


 優心が伸びをする。


「はー……危ねえ。ちゃんと起きてた俺、偉くね?」


「途中寝てただろ」


「五分くらいじゃね?セーフやろ」


 そう言って笑う。


 教室から人が流れ出す。僕も立ち上がる。さっきの言葉が、まだ頭の奥に残っている。


 存在しているだけで価値がある。関係の中に宿る価値。もし、何かが欠けても。


 それでも――

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― 新着の感想 ―
なるほど。講義がヒントを兼ねているのですね。 面白くて惹き込まれます。 ⁽⁽◝(•௰•)◜⁾⁾
緋依、謎が多い少女。 主人公自身も謎な部分が多くて、 気がつけば物語に引き込まれました。
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