残した手紙
「……優心さんですか」
緋依は名前をゆっくり口に出す。聞き慣れない響きに、胸の奥が少しざわついた。
「はい、偶然ここに来たら、緋依さんらしき方を見かけて……つい声をかけてしまいました」
柔らかい敬語で、でも自然体の話し方。
緋依は小さく息をついた。偶然か……。胸の中で少し安堵が広がる。
「……拓真の?」
確認するように尋ねる。
「はい。生前、拓真から緋依さんのことはよく聞いていました。彼はいつも『緋依には、本当に助けられている』って言っていました」
優心は目を伏せ、思い出すように続ける。
「『もしものことがあっても、緋依なら大丈夫だ』とも言っていました。拓真にとって、緋依さんは本当に特別な存在だったんです」
その言葉に、緋依の胸がぎゅっと締め付けられる。目の前にいるのは初対面の人物なのに、拓真の記憶を通して、彼の優しさが瞬間的に蘇る。
「……そうですか」
緋依は小さく頷く。手の中で花を握りしめ、静かに息を吐いた。
「偶然の出会いかもしれませんが……拓真のことを知っている者として、少しだけお話しさせてもらえればと思いまして」
柔らかい敬語で、初対面の距離を尊重した話し方。
緋依は静かに花を墓石に置く。風が頬を撫で、墓地の空気を揺らす。
胸の奥で、拓真の言葉が温かく蘇る。
(──緋依には、本当に助けられている)
優心は少し間を置いて続ける。
「拓真のお墓がここにあると聞いて、月に二回くらいは定期的に逢いに来てるんです」
静かな風が二人の間を通り抜ける。緋依は目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。
拓真の温かさ、優心の穏やかさ。どちらも、今の自分を支える光のように胸の奥で静かに揺れていた。
「そういえば……」
緋依は手元の花を握りしめながら、小さく笑った。
「これ、拓真から急に渡されたんですけど……その時、『緋依に会ったら渡して』って言われて。正直、そのときは『お前が渡せよ』って思ったんですけど」
優心は微かに笑う。
「拓真らしいですね……最後まで、ちょっと人を振り回すところがあります。でも……拓真は、こうなることを知ってたんですかね」
緋依は少しだけ俯き、風に揺れる花を見つめる。
優心はポケットから封筒を取り出す。
「拓真が、緋依さんに渡すために書いていた手紙です」
封筒には、淡い緑色の紙に丁寧な文字で緩やかに綴られた拓真の文字。緋依は手が震えるのを感じながら、封を切る。
その夜、家の机の上で、緋依は静かに手紙を開いた。
──
緋依へ
この手紙を読む頃、僕はもう直接話すことはできないと思います。でも、どうしても伝えておきたくて書きました。
まず、緋依。君に会えて、本当に良かった。
クローンとして生きていると知った時、僕は、正直不安だったし、戸惑いもありました。
だけど、君と過ごした時間、君の笑顔、君の優しさ。
それだけで僕は幸せでした。
だから、僕は後悔なんてしていません。
クローンとしての自分も、生きた証も、全て意味があったと思っています。
そして、緋依。君は全く責任を感じなくていい。
君がしたこと、してくれたこと、何一つ間違っていない。
それを忘れないでほしい。
最後に一つだけ。ありがとう、緋依。
君と出会えたこと、そして支えてくれたこと、僕の人生で何よりも大切な宝物です。
拓真より。
──
読み終えた緋依の胸の奥に、静かな温かさと同時に深い切なさが広がる。涙が頬を伝う。
(拓真……)
そっと手紙を胸に抱く。
拓真が生前、自分に託していた想い。
クローンとして生きた日々を肯定し、緋依を思いやるその言葉に、胸の奥の何かがゆっくりほどけるようだった。
(拓真……ありがとう)
小さな声でつぶやき、手紙を大切に机に置く。
その日の夜。窓の外の風は静かで、まるで全てを包み込むように柔らかかった。
──【完】
読んでいただき、ありがとうございます。
この作品では、日常に潜む小さな違和感から、徐々に見えない世界の秘密へと踏み込む物語を描きました。拓真の視点を通して、普通の恋人同士の関係が、ほんの少しの「気付き」によって変わっていく様子が伝えられていれば幸いです。
最後まで読んでくださった皆さまには、緊張や疑念、そして小さな感動を、少しでも体験していただけていれば幸いです。もしこの物語を楽しんでいただけたなら、レビューや感想で応援していただけると嬉しいです。
次回作でも、読者の心を揺さぶる物語を届けたいと思います。




