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◾️花村美咲 2025年10月3日金曜日

 今日は朝七時から仕事が始まった。美奈は夫が保育園に送っていってくれた。

 朝が早い日は美奈に寂しそうな顔をされるから、ちょっと胸が痛い。我が子ではなく他の子の面倒を見なければならないことに罪悪感を覚えつつ、それでも私は職場へと急いだ。


「え、今日はお休みなんですか」


 普段なら夕真くんが朝一でやってくるのだが、今日はなかなか来ないなと思っていると、園長から欠席連絡が来ていると伝えられた。


「家の用事なんだって。急用ができたとかって」


「急用……そうなんですね」


 働き詰めの灰谷さんに急用ができるなんて。身内に不幸でもあったのだろうか。だとすればそう連絡が来ると思ったのだが、具体的に伝えたくないというひともいるだろう。


「あとねえ、ちょっと言いづらいんだけど、他の保護者の方から数件、クレームが来てるのよ」


 園児たちに聞こえないように、園長先生がこっそりと私に耳打ちをして教えてくれる。


「クレーム、ですか。どんな内容です?」


「それが、夕真くんの持ってきてたおもちゃの件で……。私は現場にいなかったから、花村先生のほうであとで確認してもらえないかしら」


「はあ、分かりました」


 うちの園では連絡帳のほかに、連絡アプリを使って保護者と保育士がオンラインでメッセージを送れるようになっている。欠席連絡もそのアプリを通してすることができて、気軽に使えると評判だった。

 そして、気軽に使えるぶん、保育園の教育方針にアプリを使って物申してくる保護者の方もちらほらいるわけで。建設的な意見もあるので、もちろん無碍にしたりしない。きちんと内容を見て、対応を考えるのだ。


 お昼寝の時間にさっそく件のメッセージに目を通していった。


【うちの子が、夕真くんが持ってきているカプセルトイの人形が欲しいとずっとわがままを言っています。なんとかしてくれませんか?】


【灰谷さんのところの子が私物を持ってきているそうですね。歩美(あゆみ)も気にしてるので、早く持ってこないように指導していただけませんか?】


【昨日、保育園で誰かが持ってきたカプセルトイの人形を取り合いになったと子どもから聞きました。子どもたちが怪我でもしたらどうしてくれるんですか!】


【母子家庭だからといって甘くするのは差別だと思います】


【息子がカプセルトイが欲しい欲しいって聞かないんです。つい怒鳴ってしまいます。どうして私が息子を叱らなくちゃいけないんでしょうか】


 淡々と怒りを滲ませているものから、感情的なものまで、メッセージは全部で五件入っていた。


「はあ……」


 メッセージを読んで、想像以上にダメージを喰らっていることに気づく。


「どうされたんですか、花村先生」


 私があまりにどんよりと肩を落としているのを見かねたのか、綾瀬先生が声をかけてくれた。綾瀬先生は同じなのはな組の担任だ。彼女にも伝えないわけにはいかない。


「あの、じつは夕真くんのことでクレームが数件来てて……」


「ああ、そういえばそうだったわ。その件について返信をしなくちゃと思ってたのよ」


「そうだったんですね。昨日、灰谷さんには口頭でも私物を持ってこないように注意しましたし、うちにできることはしているつもりなんですが」


「そうですね。それ以上のことは言えないので、ありのまま伝えることにしましょう。一斉送信で他の保護者の方にも注意喚起するかたちでメッセージを送りましょうか」


「は、はい。そうします」


 綾瀬先生に相談したことで、驚くほどあっさりと対応が決まってしまった。そうだ。クレームの一つ一つに心を砕いていたらこの仕事は務まらない。こちらはしかるべき対応をしたのだから、堂々としていればいいのだ。

 気を取り直して、保護者への一斉送信用のメッセージを作成する。


【保護者の皆様へ

先日なのはな組で、私物のおもちゃを持ってきている方がいらっしゃいましたので、保護者の方に持ってこないように説明をいたしました。

なくしたり取り合いになって壊れたりするとこちらでは責任をとりねますので、私物は持ってこないように、皆様にも今一度ルールの確認をよろしくお願いいたします。】


 あくまでもこちらに非はないのだということを主張するようなかたちで文面をつくり、ダブルチェックをしてもらった上で一斉送信した。

 謝らなくてはいけない場面とそうではない場面をしっかり分けることで、保護者と保育士の間で対等な関係を築くことができる。綾瀬先生に相談して良かった。メールを送信してから、クレームを入れてきた保護者からも特に返信など来ることもなく、事は穏便に済んだとほっとしていた。


 昼休みが終わりなのはな組の教室へと戻る。

 昼寝から目を覚ました子どもたちがきょろきょろと辺りを見回していた。


「せんせー、あのおもちゃは?」


 背筋がぞくりとした。先ほど母親がクレームメールを送ってきていた歩美ちゃんという子だ。


「おもちゃって……なんのことかな」


 私はとぼけたふりをして答える。


「夢の中でゆうまくんが持ってきてくれた。またあれで遊びたいっ」


「……」


 なんということだろう。他の子の夢の中にまで、夕真くんのカプセルトイの人形が出てくるなんて。目の前に人形があるわけでもないのに、どこからともなく虚ろな目をした人形の視線を感じてはっと振り返る。


「ねえないの? あゆみ、ほしいー!!」


 わーっと喚き始める歩美ちゃんを、私と綾瀬先生でなんとかなだめる。歩美ちゃん以外にも、「ゆうまくんの人形がみたい」「ゆうまくんどうしていないの」「人形は?」と声を上げる子どもたちが続出した。収拾がつかない事態に陥って、慌てて園長に電話をかける。飛んできた園長が、「はいはいみんな、しずかにして」と威厳を持ってその場を制してくれた。


「綾瀬先生、花村先生。できるだけ子どもたちにカプセルトイのことを思い出させないように注意してください」


「はい……すみませんでした」


 いくら注意をしたところで、こちらが話題に出してもいないのに子どもたちのほうからカプセルトイを求めてくるのだ。不可抗力だ、と思いつつも、綾瀬先生に「まあいったん落ち着きましょう」と背中を撫でられて、なんとか気持ちを紛らわせるのだった。


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