『お前のような完璧すぎる悪女は、俺の隣には相応しくない!』と婚約破棄を宣言されたので、喜んで実家に帰ろうとしたら、殿下が泣きながら足にしがみついてきた件
「エリス・フォン・ローゼンバーグ! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」
王立学園の卒業記念パーティー。
華やかな音楽が止まり、静まり返った大広間に、第一王子であるアレクセイ殿下の声が響き渡った。
その隣には、庇護欲をそそる小柄な男爵令嬢、ミナ様の姿がある。
いわゆる「悪役令嬢への断罪イベント」というやつだ。
私は扇で口元を隠し、冷静にその光景を見つめた。
周囲の令嬢たちが「まあ、なんてこと」「やはり噂は本当だったのね」と囁き合うのが聞こえる。
「……殿下。理由は、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は努めて冷静に問いかけた。
アレクセイ殿下は、整った金髪を揺らし、碧眼を鋭く細めて私を指差した。
「理由は明白だ! 貴様が、あまりにも『完璧すぎる』からだ!」 「……は?」
予想外の言葉に、私は思わず間の抜けた声を出してしまった。
いじめの告発ではないのか?
殿下は、顔を少し赤らめながら、しかし大声で叫び続ける。
「貴様は、次期王妃としての公務を完璧にこなしすぎている!
予算管理、外交の手回し、領地経営のアドバイス……俺がやるべき仕事まで、貴様は涼しい顔で片付けてしまうではないか!」
「それは……殿下が剣術の稽古でお忙しいと思い、補佐をしたまでですが」
「その気遣いが完璧だと言っているんだ! それに、隣のミナ男爵令嬢に対してもそうだ!」
殿下は、隣でオロオロしているミナ様をぐいっと引き寄せた。
「彼女が勉強についていけないと知るや、貴様は放課後にマンツーマンで補習を行い、さらにはマナー指導まで完璧に行い、彼女の成績を学年トップクラスまで引き上げたそうではないか!」
「……彼女が困っていたので」
「それを世間では『いじめ』ではなく『聖女の施し』と呼ぶんだよ!
誰も貴様に文句を言えないじゃないか!」
殿下はぜぇぜぇと肩で息をしている。
会場の空気は、恐怖から困惑へと変わっていた。私も困惑している。
つまり、殿下は何が言いたいのか。
「エリス、貴様は……貴様は、俺のような凡庸な男の隣にいるべき器ではない!」
殿下の声が、急に震え始めた。
「俺は知っているんだ。貴様が執務室で、俺の決裁書類のミスを見つけては、ため息をつきながら修正してくれているのを!
俺との茶会で、俺の話がつまらないからと、遠い目をしているのを!」
えっ。 それは誤解だ。
書類修正のため息は「殿下の字が可愛らしい」という萌えによる呼吸困難だし、遠い目は「今日も顔が良いな……」と尊さを噛み締めて意識が飛んでいただけだ。
「だから、俺は決断した! エリス、君を自由にする!」
殿下は、悲壮な決意を秘めた顔で叫んだ。
「君はもっと優秀で、君を心から楽しませられる男と結婚すべきだ!
俺のような、君の足手まといにしかならない男との婚約なんて、君にとっては苦痛でしかなかっただろう!?
だから……っ、だから、婚約破棄だ! 幸せになれよ、バカヤロウ!」
最後の方はもう、涙声だった。
殿下の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちている。
……なるほど。
ようやく状況が飲み込めた。
この人は、私のことが嫌いになったわけではない。
むしろ私のことを考えすぎて、自己肯定感が地の底まで低下し、勝手に身を引こうとしているだけだ。
なんという、愛すべき大馬鹿者だろうか。
「……わかりました」
私は扇をパチリと閉じた。
「殿下がそこまで仰るなら、謹んで婚約破棄をお受けいたします」
「う、うむ……! それでいい。君の未来に幸あれ……」
殿下は涙を拭いながら、背を向けようとした。
その背中に向かって、私は明るい声で告げる。
「では、私は自由の身ですね。これからは領地に戻り、お見合い写真でも集めることにします。
なにせ私は『完璧』らしいので、引く手あまたでしょうから」
私が踵を返して歩き出そうとした、その瞬間だった。
「ま、待って!!」
ガシッ! 足首に、強い衝撃が走った。
見下ろすと、そこには王国の第一王子であるアレクセイ殿下が、床に這いつくばり、私のドレスの裾にしがみついている姿があった。
「え、殿下?」
「やだ! やっぱりやだ! お見合いなんてしないで!」
さっきまでの威厳はどこへやら。
殿下は人目も憚らず、子供のように泣きじゃくっている。
「で、でも、殿下が私を自由にしてくださると……」
「かっこつけただけだ! 本当はずっと俺のそばにいてほしい!
俺がポンコツでも、書類ミスしても、君に修正されたいんだよぉぉぉ!」
会場中がドン引きしている。
ミナ様も「あーあ、やっぱりこうなった」という顔で、やれやれと肩をすくめている。
そういえば彼女、私の隠れファンクラブ会員番号1番だったわね。
私はため息を一つついて、足元の殿下にかがみ込んだ。
「殿下。一つ、訂正させていただいても?」
「な、なに……?」
「私は、殿下の補佐を苦痛だと思ったことなど一度もありません。
むしろ、一生懸命な殿下のお姿を見るのが、私の何よりの喜びなのです」
私はハンカチを取り出し、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった殿下の顔を拭って差し上げた。
「それに、殿下の字は丸くて可愛らしいですし、私にとっては国宝級の癒やしなんですよ?」
「……へ?」
「ですから、婚約破棄は撤回してください。私には、殿下以外の殿方なんて考えられませんので」
私が微笑むと、殿下はぽかんと口を開け、それからみるみるうちに顔を真っ赤にした。
「す……好かれてた……? 俺、嫌われてなかった……?」
「大好きですとも。世界で一番」
私がきっぱりと断言すると、殿下は「うおおおおん!」と雄叫びを上げ、その場に崩れ落ちた。
「よかったぁぁぁ! もう絶対離さない! 一生俺の尻拭いをしてくれぇぇ!」
「ええ、喜んで。死ぬまでお世話させていただきますわ」
――こうして、前代未聞の「完璧すぎるから」という理由の婚約破棄騒動は、殿下が皆様の前で盛大なのろけと醜態を晒すことで幕を閉じた。
後日、この一件で「あんな情けない王子を支えられるのはローゼンバーグ嬢しかいない」と国民の満場一致で認められ、私たちの絆は以前よりも強固なものとなったのだった。
まあ、殿下が執務室で私の顔色を伺いながら「こ、ここ、合ってる?」と聞いてくる回数が増えたのは、ご愛嬌ということで。




