第五十八話 わかってしまった真実
「シエステラ様が、コットンさんを操っていたというのは、どういうことですか?」
フィーラの問いに、シエステラは力なく項垂れた。聖女の象徴であるはずの透き通った瞳が、今は絶望の色に濁っている。
「コットンさんを操る魔法は、ある動作を行うことがトリガーになるものだったのです」
「ある、動作?」
「頭を撫でることです」
フィーラの脳裏に、これまでの光景がフラッシュバックする。
コットンに対して、シエステラは何度も手を伸ばしていた。慈しむように、壊れ物を扱うように、その柔らかな髪を撫でていた。
それは誰もが「愛情」だと信じて疑わなかった献身。
しかし、その慈愛の指先が、コットンの自由意志を奪うスイッチになっていたというのだ。
「私はコットンを無意識に操っていたのです。それでコットンが心を開いてくれていると思っていたなんて、烏滸がましい勘違いでした」
シエステラが自嘲の笑みを浮かべ、その場に崩れ落ちそうになる。その無防備な背後から、キィィンと鋭い金属音が響いた。
「シエステラ様、後ろにっ!」
フィーラが割り込み、コットンの放ったナイフを刃の腹で弾き飛ばす。
コットンは満身創痍だった。衣服は裂け、全身から血を流しながらも、その瞳には光がない。ただ虚ろに、機械的な動作で次のナイフを構える。
「あぁ……、コットンさん、やめて……」
「シエステラ様!」
動揺して動けないシエステラの頬を、フィーラは容赦なく、強く、指先が食い込むほどにつねり上げた。
「……ふぇ? フ、フィーラ……?」
「しっかりしてください、シーラ!」
フィーラの声は切実で、鬼気迫るものだった。
「そんな仕掛けがあったから何ですか! それが貴女の気持ちを否定するものになると思っているのですか!」
「ですが私は、コットンさんの気持ちを踏みにじるような」
「そんなこと、彼に聞かなければわからないことでしょう!」
ゴツンッ!
フィーラが力任せに、シエステラの額へ頭突きを食らわせる。燃えるような意志を宿した瞳に射抜かれ、シエステラは息を呑んだ。
「貴女が彼を助けたいと思ったのは、同じ境遇の人間を助けたいと思ったからでしょう? なら、貴女ならどう思っていたのですか!」
「私、は……」
シエステラは、遠い記憶の底を覗き込んだ。
かつての自分。
心というものを殺し、ただ、求められるままに「聖女」という偶像を演じていた人形の日々。
そんな空っぽだった自分に、真正面から体当たりをしてくれたフィーラの存在。
『ごめんなさい……シエステラ様……何もできなくて……ごめんなさい……っ!』
あの時、痛いほどに抱きしめられた感覚。痛みの中にも、心を溶かすような温かさがあるのだと初めて知った、あの瞬間。
答えは、とっくに自分の中にあった。
「嬉しかった。ただ、私を真っ直ぐに見てくれたことが、その気持ちが嬉しかった」
「なら、貴女がすべきことは何も変わりません」
フィーラの強い眼差しに、シエステラは涙を拭って、決然とコットンに向き直る。
彼の瞳は依然としてガラス玉のように冷たかったが、シエステラの心にもう迷いはない。
「フィーラ。コットンと少しだけ二人だけにさせてください」
「仰せのままに」
フィーラは何も聞かずに頷いた。そして、群がってくるフードの集団を、騎士団と共に蹴散らしていくのだった。
◇◇◇◇◇◇
シエステラはコットンと対峙する。
コットンは獣のような鋭さで間合いを図るが、対するシエステラは隙だらけだった。罠を疑うほどに無防備。
コットンは自分の思考というものがないが、それでも迂闊に動くことができなかった。
「コットンさん。私の話を聞いてください」
シエステラがコットンに語りかける。
「私は無意識に、貴方の自由意思を奪うようなことをしていました。そのことを謝罪させてください。ですが、私は貴方にかかった魔法を解きたいと思っているのです」
シエステラが手を刺し伸ばす。
コットンは怯えるようにそこから跳び跳ねて下がった。しかし、シエステラは怯むことなく、さらに近寄る。
「貴方の意思は貴方だけのものです。誰かに侵されて、使われるなんて、あってはなりません」
シエステラは習慣的に彼の頭へ手を伸ばそうとし、寸前で止めた。
その手を握りしめ、代わりに、彼の首にかかったままのアクセサリーに指を添える。
「コットンさん。貴方にはまだ心が残っているはず。これをまだ大事に持ってくれている貴方が、優しい貴方がまだ残っているはずです」
「っ!」
コットンが頭を押さえてよろめいた。苦しそうに小さな呻きが漏れる。
「コットンさん」
「っ! うあぁっ!」
「ぐっ」
苦しみに悶える彼を抱きしめようとした瞬間、鈍い音が響いた。
コットンの手にしたナイフが、シエステラの腹部を深く突き刺したのだ。
本来なら聖女の加護が弾くはずの一撃。
しかし、そこから溢れたのは鮮血。
「シーラッ!」
フィーラが駆け寄ろうとするが、シエステラは強い視線でそれを止めた。そして、強くコットンを抱き締める。
「大丈夫、大丈夫です。コットン。私は絶対に貴方を傷付けません。貴方を拒絶しません。だから、私を信じて、コットン」
傷付けない。拒絶しない。
それを証明するかのように、シエステラは聖女の加護を完全に解除していた。
痛みに対する耐性はあっても、流れる大量の血液により、流石のシエステラも意識が遠くなりそうだった。
それでも、シエステラはコットンを抱き締める手に力を込める。
コットンは肩を震わせ怯えているようだった。ナイフからは手が離れて、もはや力はない。
ギュウッとシエステラがコットンを抱き締めると、コットンからは小さな声が漏れる。
「あ、あぁ」
本当に小さな声だ。しかし、それは今までの感情を伴わなかった、空気の漏れによる発音ではない。明らかに意思を持った声だった。
「シ、……シエ、ス……、……テラ」
コットンの瞳がシエステラの方へ向く。
その瞳にはまだ感情というものが宿ったようには見えないが、シエステラはそれが潤んでいるように見えた。
「大丈夫、大丈夫です、コットン。私はこの程度の傷では、何ともなりませんから」
シエステラがコツンと額をコットンの額に重ねると、シエステラは自分で自分の腹に刺さったナイフを抜いた。
そしてそこから、聖女の加護が発動し、怪我が一瞬にして治ってしまう。
コットンは呆気に取られたように目を見開いていたが、シエステラは悪戯っ子のように片目を閉じながら囁いた。
「ほらね?」
シエステラの顔は少し青ざめている。怪我が治っても、流れた血の量は馬鹿にできない。
それでもシエステラは、コットンに笑顔を向けていた。気にしなくて良い。こんなことは大したことではない。
そう言わんばかりに。
「シエ、……ス……、テラ?」
「コットンさん」
初めて言葉を聞くことがシエステラは、愛おしそうにコットンへと手を伸ばす。コットンはそれに応えるように恐る恐る手を出した。
しかし、
「う、ぐうぅ!」
「っ! コ、コットンさん? ど、どうしたのですか?」
コットンが急に胸を押さえて苦しみだし、その場に踞る。コットンからは異常な魔力が溢れ、それがコットンの体を蝕んでいるようだ。
「シエステラ様! これはどういうことですか? 精神操作の魔法の副作用ですか?」
敵を蹴散らしたフィーラがシエステラに駆け寄る。
「いえ、あの魔法にそんな効果はないはずです」
シエステラはコットンへと手を伸ばすが、その手が届くよりも先にコットンが飛び上がった。
目にも止まらぬ早さで移動するコットンは、飛び回りながら、黒いオーラに包まれていく。
「これは、精神操作の魔法とはまた違う魔法をかけられていたのですね」
シエステラの目に写るコットンの姿は、黒いオーラによって異形の姿へと変貌していた。
先程よりさらに早くなったコットンの動きは、フィーラですらも目で追うのが難しい程だ。
「まずいっ!」
速度を上げたコットンがシエステラに攻撃を仕掛ける。フィーラが辛うじて防ぐが、腕には切り傷ができていた。
フィーラは魔法で身体能力を強化する。動体視力も著しく上がるが、それでもコットンの速度は目で追えなかった。
「くっ、早すぎる。明らかに異常ですよ!」
フィーラはコットンのスピードに対応できていなかった。
「これは、魔法で身体能力を限界以上に引き上げられているようです」
シエステラは魔法を分析する。
「解除は?」
「精神操作の魔法と同じです。構造がわからなければ、どんな反応が起きるか……」
「ですが、このままではどちらにしても……」
コットンは黒いオーラで包まれている。しかし、身体は悲鳴を上げているようで、その表情は苦痛に歪んでいた。
「コットンさん……」
シエステラは胸が締め付けられるようだった。
「どうにか、魔法の構造さえわかれば」
「何か方法はないのですか?」
シエステラは思案し、手がかりを探る
「精神操作の魔法も、この魔法も、コットンさんに魔方陣が刻まれている可能性はあります。なんとかそれがわかれば……」
魔法が発動する時、ものによっては魔方陣を対象に刻み、効果を発動するものもある。
しかしそれは、実際に描くわけではなく、魔力で刻まれるものであるため、目に見えるものではない。
「魔方陣ですか。仮にそれがあっても、そんなものわかるはずが、くっ!」
フィーラが槍に魔力を込める。
「ライトニング・スピン!」
槍から迸る雷撃。しかし、コットンはそれをヒラリと避けた。まるで雷が降ってくる場所がわかっているかのように。
「どうして、攻撃が……」
「魔法の発動を察知している?」
シエステラはコットンの動きに違和感を覚えた。
(今の動き。早いだけではない。明らかに先読みして動いていた。もしかして、コットンには魔法の発動が察知できる?)
シエステラはそこでハッとした。
(そういえば、最初に出会った時、コットンは私のスリープの魔法から、簡単に起きました。まさかあれも、何か対策をしていた?)
シエステラがコットンと初めて対峙した時、シエステラはコットンにスリープの魔法をかけた。
本来であれば、そう簡単に起きるはずのなかった状況で、コットンはすぐに起きて逃げ出していた。
あの時は、コットンに強い耐性があるのかと考えていたが。
(コットンさんは魔法の発動を察知し、それに合わせた対策をできるのでは?)
魔法の発動を察知できる。
それはつまり、魔法の構造を見て解析することができることと同義だ。
魔法の構造がわかれば、効率的な対抗魔法を施すことができる。
(それがコットンの天性の才能なのか。それとも、後成的なものなのか。いえ、今はそれは関係ありません。それよりも)
シエステラは一つ、気になることがあった。
(もし、コットンが魔法の構造を見て察知することができるのなら……)
シエステラは一か八か、賭けをすることにした。




