第五十七話 会いたくなかった会いたい存在
室内に静寂が渦巻いていた。
ギルバートはいつもの笑みを消し、シエステラが初めて見る真顔になっていた。
(いつもうるさくて面倒な人だと思ってましたが、静かになるとなるで不気味な人ですね)
背筋を這い上がるような悪寒。
それを打ち消すように、ギルバートが「ぷっ」と、堪えきれないといった様子で吹き出した。
それはいつもの快活な笑い声に似ていたが、響きが決定的に違っていた。
「いやぁ、魔法具の解析とか、それは反則でしょう、シエステラ様」
「……な、何を言っているんだ?」
変貌した部下の空気に、ヘカティアが戸惑いながら声をかける。ギルバートはそれに貼り付けたような満面の笑みを返した。
「ヘカティア隊長も、庇ってもらってありがとうございました。少しだけ期待したんですけど、まあ、無理ですよね」
そして、興味を失ったように視線を外す。そのあまりに冷淡な仕草に、ヘカティアの顔が屈辱と驚愕で強張った。
「にしても本当ですか? 魔法具の通信先を割り出したっていうのは」
ギルバートは何か確信めいたものを思わせる目をしながら、シエステラに尋ねた。
シエステラは少し警戒するように目を細目ながら、首を横に振った。
「いいえ。存在しない履歴を復元することは、私にも不可能です」
「あはは! やっぱりハッタリでしたか! 聖女様のくせに嘘がお上手だ」
狂ったように笑う男を、シエステラは厳しい眼差しで射抜く。
「嘘だと見抜いていたのなら、なぜ自白したのですか? まだ言い逃れはできたはずでしょう」
「いやぁ、時間の無駄だと思ったので。カマをかけられるくらい疑われてるんじゃ、これ以上演じるのはコスパが悪すぎる」
不敵に笑うその態度は、もはや騎士団のそれではない。
「ギルバート、貴様……!」
ヘイム団長の唸り声も、シエステラの鋭い眼差しも、ギルバートはどこ吹く風で受け流す。
「まぁ、本当はもう少し潜入していたかったですけどね」
「随分と余裕ですね。もう貴方に逃げ場はないというのに」
シエステラが一歩踏み出す。その左右をフィーラとニコラが固めた。
「……コットンさんは、どこにいるのですか?」
ギルバートを追い詰めながら、シエステラは気になっていたことを尋ねた。ギルバートはシエステラの質問に首を傾げる。
「コットン? ああ、あの不良品ね」
「っ! 彼の者を捕らえよ。ホーリーチェーン」
その一言がシエステラの逆鱗に触れた。
「おっと、危ない危ない」
「……やりますね」
シエステラの怒りに応え、光の鎖が殺到する。だが、それをギルバートは手にした槍の一振りで軽々と弾き飛ばした。
瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚。ギルバートから放たれる圧は、かつて対峙した魔神を凌駕していた。
(このプレッシャー、あの魔神を相手にした時以上ですね。まさか彼がそれ以上なんてことは……)
シエステラが警戒を強める中、ギルバートは軽い調子で槍を構える。
「シエステラ様の強さは知っていますよ。あの老いぼれ共に聞きましたからね」
「老いぼれ。ルシフル教団の人間か」
ヘカティアの剣が向けられるが、ギルバートは一瞥もくれずに口を開いた。
「まあ、あの老いぼれたちは自分で戦えない弱者でしたけど、自分はそんなことないですよ」
そう口にした瞬間には、ギルバートの槍がシエステラを捉える。
「身の程知らずが!」
「このっ!」
フィーラがギルバートの槍を弾き、ニコラが間髪入れずに追撃の刃を振るう。
しかしギルバートは、重力を無視したような動きでそれらをかわし、窓際へと飛び退いた。
ギルバートが槍を構えると、ヘイムは一歩だけ歩み寄る。
しかし、もはやギルバートは上官の指示を待つ騎士ではなく、ただの敵として、ヘイムの言葉を待っていた。
「どうしました? ヘイム団長」
「ギルバート。本当に、裏切ったのだな」
ヘイムが最後の確認をする。それにギルバートは口許を上げるだけで答えた。
「各員に告ぐ! ギルバートが裏切った。直ちに奴を拘束しろ!」
ヘイムの怒号が駐屯地に響いた。
「ヘ、ヘイム団長! 今の号令は?」
「これはどういう状況ですか!」
騎士たちが部屋へと集まってくる。そこで繰り広げられているのは、ギルバートと対峙するヘイムや聖女たちの光景。
何一つ飲み込めず困惑している騎士たちに、ヘイムが一喝する。
「状況を説明している暇はない。とにかく、ギルバートを拘束せよ!」
「は、はっ!」
騎士たちが戸惑いながらも武器を構える。
「はは、流石に多勢に無勢ですね」
言葉とは裏腹に、ギルバートは余裕綽々だ。
「そういえば、……シエステラ様。確か、コットンに会いたいんでしたよね?」
「え……?」
その問いが耳に届いた瞬間、ギルバートの影が跳ねた。漆黒の影から飛び出した影が、一直線にシエステラへ肉薄する。キラリと光る刃が、彼女の白い首筋を狙う。
「させるかっ!」
ニコラが強引に割り込み、その一撃を弾いた。火花が散る中で見えたのは、シエステラが探し求めていた少年の姿。
その瞳は、以前よりも深く、底知れない闇に沈んでいた。殺意すら感じさせない空虚な虚無。
それは今までよりも遥かに深く、そして、魂が抜けたような色だった。
直後、ガシャンと窓ガラスが砕け散る。
そこから謎の集団が雪崩れ込んできた。
「敵襲! 総員、応戦せよ!!」
ヘイムの怒号が響き、詰め所は一瞬にして戦場へと変貌した。
「こいつらは、やはり通り魔も貴方の仕業でしたか!」
「はは、あの時はどうも」
フィーラは先日、通り魔に襲われた時のことを思い出していた。ここにいる人間たちは、その時に襲ってきた人間たちと同じだった。
「っ! ギルバートは?」
ニコラがギルバートの行方を探す。しかし、その姿は、この戦場の中にはすでになかった。この混乱に乗じ、逃げ出したようだ。
しかも、そこにはヘカティアさえもいない。
「逃げられましたか。すぐに後を……、くっ」
追おうとするフィーラをコットンのナイフが正確に、容赦なく襲う。
「コットンさん、やめて……!」
シエステラの悲痛な叫びは届かない。
影を渡り、死角から確実に急所を狙うコットンの動きには、一切の迷いも感情もなかった。
「……あの瞳。まさか、もう手遅れなの……?」
絶望に立ち尽くすシエステラ。その横で、フィーラが冷徹な判断を下す。
「ニコラ様はギルバートを追ってください! ここは私が食い止めます!」
雷鳴がフィーラの身体を覆う。彼女は本気だった。コットンの攻撃を凌ぎながら、周囲のフードの男たちを次々と切り伏せていく。
しかし、コットンに対してだけは、決定打を避けている。いや、出せずにいた。
「シエステラ様、しっかりしてください! 呪縛を解くのでしょう!?」
「でも……、どうすればいいのか……、今の彼には私の声さえ……」
弱音を吐くシエステラを、フィーラの鋭い声が貫いた。
「ならば、ここで彼を殺します」
「っ! 待ってください、フィーラ!」
「解除できないなら、危険分子として排除する。本人が望まぬ殺戮を続けさせるより、早く楽にしてあげるべきでしょう?」
フィーラの足元に膨大な電力が収束する。
「ライトニング・ジャッジメント!!」
轟烈な雷撃がコットンを吹き飛ばし、彼は窓の外へと弾き飛ばされた。
火傷を負いながらも、無機質に立ち上がるコットン。その元へ駆け寄ろうとするシエステラを、フィーラが遮るように着地した。
「なぜ諦めるのですか、シーラ。貴女ならどんな困難でも彼を救おうとするはずでしょう?」
親友として、神官として、叱咤するフィーラ。しかし、シエステラは今にも泣き出しそうな顔で、震える唇を開いた。
「……違うのです、フィーラ。そうではないのです」
シエステラの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「私は、……彼を救いたいと思っていた。でも、気づいてしまったのです。……私が、知らず知らずのうちに、彼を操っていたのだということに……」




