第五十話 神出鬼没の影
「隊長! 報告です! 他の部隊も影狼の牙との交戦を開始した模様です! しかし、包囲が崩れてしまい、連携がままなりません!」
「もはや事前に決めた作戦は白紙だ。一度リセットしろ。すぐに部隊の状況を報告しろ」
ヘカティアは、目前の盗賊と激しい剣戟を繰り広げながらも、刻一刻と悪化する戦況の把握に努めていた。
(影狼の牙の人数は、おおよそ想定内。だが、この狭い洞窟内では我々の連携も難しい)
目前の盗賊の側頭部に剣の峰を叩きつけ、気絶させる。
しかし、盗賊たちは既に大部分が逃走しているようで、このままでは逃げきられてしまうのは明らかだった。
「西の入り口は?」
「アドルフ部隊が封鎖しています」
「東は?」
「そこは、ルチャール部隊が。ですが、妨害にあい、遅れているようです」
「くっ」
各出入口の封鎖状況が続々と報告されるが、ヘカティアの胸には安堵の欠片もなかった。
(本来だったら、もっと早い段階で逃げ道を限定する作戦だった。これではもし、こいつらしか知らない抜け道があった時、我々にはどうすることもできない)
ヘカティアは、とにかく主目標を追い詰めるために突き進むしかなかった。影狼の牙の逃走が完了する前に、一刻も早く追い詰めなければならない。
そうして、全力で洞窟を疾走していたヘカティアたちの前に唐突に新たな人影が現れた。
その人物は深くフードを被り、容姿はおろか、性別すら判別できない。だが、そこから発せられる冷たい気配は、歴戦の盗賊団の一員であることを明確に物語っていた。
(逃げ遅れたのか? まあいい。とにかく、一人でも多く確保しなければ)
ヘカティアが真っ先にフードの人物へと飛びかかる。
「隊長! ちょっと待った!」
ギルバートの切羽詰まった叫びが響いた。しかし、ヘカティアの足は止まらない。
一瞬、ギルバートの声に意識を向けたものの、戦闘の慣性でフードの人物へ躊躇なく剣を切り下ろす。
しかし、ヘカティアの剣は虚しく空を切った。
確かに目の前に立っていたはずのフードの人物は、影も形もなく消失していた。ヘカティアは目を見開く。
「何処に行った?」
ヘカティアが首を横に向けた、その時。
背筋を這い上がるような、冷たい殺気を感じ、ヘカティアは思考するよりも速く、反射的に横へと跳んだ。
次の瞬間、ヘカティアが立っていた空間を空気を切り裂く鋭い音と共に、銀色の刃が横一文字に走った。
間一髪で躱したヘカティアだったが、微かに首筋に熱を感じ、思わず指で擦る。指先には、微かな血が滲んでいた。
「これは、まさか」
「隊長! 大丈夫ですか?」
すぐにギルバートたちがヘカティアの元へと駆け寄ってきた。
「ギルバート。さっき私を止めようとしたのは、どういう理由だ?」
「嫌な予感がしたとしか言えないですけど、やばいって思ったんです!」
感覚的でしかない説明だったが、一瞬の接触で命の危険を感じたヘカティアには、ギルバートの言いたいことが痛いほど理解できた。
「これが、スキル『影潜り』か」
ヘカティアはすぐにフードの人物が影潜りのスキルを保有していることを察した。そして、影狼の牙において、そのスキルを持つ者は一人。
「お前が、ネブラか?」
ヘカティアが問いかける。フードの人物は何も答えないが、名前を口にしてから、さらに濃厚な殺気を放っていた。
(報告にあったよりも、かなり小柄に見えるが)
ヘカティアは剣を構えながら観察をした。
報告に聞いていたネブラは屈強な男だ。
しかし、ヘカティアたちの前にいるフードの人物は、ともすれば子供にも見える程に小柄な風貌をしている。
顔が見えないため判断は難しいが、少なくともヘカティアが想像しているネブラとは違った姿をしていた。
「間違いありませんね! こいつも影潜りのスキルを持ってるみたいですし!」
「そう、だな」
ヘカティアは腑に落ちない点はありつつも、目の前の相手に集中した。
(事前情報と相違があるのは、よくあることか。まあいい。とにかく、厄介な相手であることは間違いない)
相手が影の中を移動できるとなれば、ヘカティアたちには脅威だ。
この洞窟という環境は、彼にとって最高の戦場となる。影が多い場所では、どこにでも移動が可能なのだ。
「ギルバート。私の後ろを頼む」
「うっす!」
ヘカティアは一瞬でフードの人物との間合いを詰め、相手に影へ潜らせるよりも先に、先制攻撃を仕掛けた。狙うのは足元。相手を影に潜り込ませないための、唯一の対抗手段だった。
フードの人物はヘカティアの剣を避けて、驚異的な跳躍力で飛び上がる。
ヘカティアは壁に触れられないよう、空中にいるフードの人物に間髪入れず追撃を加えた。
しかし、フードの人物はヘカティアの剣を紙一重で、難なくいなしていく。
その卓越した短剣術に、ヘカティアは敵ながら感心せざるを得なかった。
地面に着地する一瞬を狙い、ヘカティアは剣を突き刺す。だが、フードの人物は剣の切っ先を足場にして乗り、その勢いでヘカティアの顎を鋭く蹴り上げた。
「あぐっ!」
ヘカティアがよろめいたその一瞬の隙に、フードの人物は地面にできた影の中へと音もなく潜り込む。
そして、ヘカティアの視界から消えたかと思うと、その背後に現れ、無防備なヘカティアに切りかかってきた。
「させるかっ!」
その攻撃を、ギルバートの槍が横から滑り込ませて防いだ。そのままギルバートが追撃するが、フードの人物は、またしても闇の中へと溶け込んでしまう。
「ギルバート、助かった」
「背中を任されましたからね!」
勇ましくギルバートが槍を構える。しかし、フードの人物が次にどこから現れるかは、誰にも予想がつかなかった。
「ぎゃあ!」
「なっ! 今度はそっちか!」
不意に騎士の一人の呻き声が洞窟内に響いた。
見ると、フードの人物が後ろにいた騎士たちに切りかかっていた。騎士たちは動揺し、フードの人物に翻弄されている。
「みんな! 避けろよっ!」
ギルバートは槍を投擲した。しかし、一歩間に合わず、フードの人物は避けるように影の中に潜ってしまう。
「ぐわっ!」
そして、またしても呻き声が上がる。フードの人物はヘカティアたちとの戦闘を避け、他の騎士たちを各個撃破する作戦に出たようだ。
「まずいです、隊長! ネブラの奴! 俺たちから逃げて、時間を稼ぐつもりです! このままでは他の奴らに逃げられます!」
神出鬼没な敵に、ヘカティアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、苦渋の決断を下す。
「くっ。仕方ない。各員、全力で先へ進め! こいつは私一人で食い止める!」
「え? 隊長、それは危険ではっ!」
ギルバートが驚いていたが、ヘカティアは迷うことなく先を指差した。
「こんなところで足止めされていては、盗賊たちに逃げられてしまう。これは命令だ!」
「……了解です!」
有無を言わせない上官の覚悟に、ギルバートは歯噛みしながらも従った。
「相手は影潜りのスキルを持っている! とにかく全力で先に進め!」
いつもの陽気な雰囲気とは、かけ離れた真剣な空気を纏い、ギルバートが他の騎士たちに指示を出す。ヘカティアが離脱する以上、隊の指揮をするのは副隊長であるギルバートしかいなかった。
ヘカティアは、フードの人物が逃げようとするギルバートたちを追えないように怒涛の攻撃を続けた。
フードの人物は、ヘカティアの攻撃のすべてを冷静に受け流し、地面へと着地する。
その時にはすでに、ギルバートたちの姿は洞窟の奥へと消え去っており、追いかけるのは不可能だろう。
ヘカティアは剣を構え直し、フードの人物と対峙する。
「これで、私とお前だけだ」
ヘカティアはフードの人物を睨み付けた。
(これで、ネブラが狙うのは私しかいない。私の死角だけを注意すれば)
ヘカティアはフードの人物の一挙手一投足に注意を払う。しかし、相手の次の行動は、ヘカティアの予測を完全に裏切った。
フードの人物が、おもむろに壁に向かってナイフを投げる。何をしているのかと考える間もなく、そのナイフがヘカティアの横の影から音もなく飛んできた。
「なっ! ぐうっ!」
避けることができず、ヘカティアは横っ腹にナイフを受けてしまう。
鎧に防がれ、傷は浅かったが、そんなことよりも、今起きた現象が理解できなかった。
(ナイフが、影を移動した? そんな使い方があるなんて)
ヘカティアは戦慄した。本人だけでなく、武器までもが影を移動するとなれば、状況はかなり悪化する。
しかも、ナイフのような小さなものが何処の影から飛んでくるかわからないとなれば、どれだけ警戒していても防ぎようがない。
(それに、もし、武器と本人が別々に移動できるとしたら?)
ナイフが飛んでくる位置と本人が出てくる位置。二ヵ所から同時に攻められれば、ヘカティア一人では対処は不可能だ。
(かといって、人数が多くなれば、被害はさらに広がっていた。ギルバートたちを先に行かせたのは正解だったな)
ヘカティアはナイフを引き抜き、軽く治癒魔法を使って、止血する。
フードの人物は、ヘカティアの動きを注意深く観察しているようで、中々動き出さない。しかしそれが、さらに不気味だった。
緊張した空気が辺りに立ち込める。そして、ヘカティアの額から汗が一つポツリと落ちた。
それを皮切りに、フードの人物がナイフを壁に向かって二本投げた。そして、本人も影の中に潜ってしまう。
ヘカティアは全方位に目を巡らせた。
右下方向からと斜め左後ろ方向から、ナイフが飛んできた。なんとかそれを防ぐが、フードの人物が目の前に現れ、ナイフで切りかかってくる。
それもギリギリで弾くものの、大きく体勢を崩してしまい、その無防備な腹を蹴り上げられてしまう。
「あがっ!」
壁に叩きつけられ、ヘカティアが呻いた。そんなヘカティアに追い討ちをかけてくるフードの人物は、執拗な攻めをヘカティアに向ける。
時折、死角から飛んでくるナイフを辛うじて避けながら、フードの人物の攻撃を捌いていく。
しかし、どうしても対処しきることができず、ヘカティアの鎧には傷が増えていった。
鎧とヘカティアの剣術のお陰で、致命傷は免れていたが、このままではジリ貧だった。
ヘカティアは逆転の一手を必死に考えるが、どうすることもできずに体力だけが奪われていく。
(くっ。ここでやられる気はないが、このままではどうしようもない)
もはやフードの人物が影に潜ることを阻止することすらできず、ヘカティアは相手の好き放題にやられていた。
息は上がり、手の感覚は薄れていく。磨き抜かれた剣術も、すでに影を潜めている。
しかも、フードの人物はヘカティアの限界が近いことを理解しているようで、最初よりも苛烈な攻めを繰り返していく。
「うっ! しまった!」
そして遂に、ヘカティアの腕が切りつけられ、剣を落としてしまった。
拾い上げる余裕もなく、フードの人物がトドメを刺そうとナイフを振り上げる。しかし、フードの人物は何かを感じたようで、トドメを刺さずに影へと潜り込んだ。
すると、そこに電撃を帯びた槍が、激しい勢いで飛んできた。
「くっ。こ、これは?」
「ヘカティア様。大丈夫ですか?」
「えっ! フィーラ様?」
そこに現れたのはフィーラだった。




