第四話 聖女の旅立ち
エルガとの話を終えたシエステラは、その足でそのままニコラの元へと向かった。
ニコラが収容されているのは、本来、国家転覆を目論んだ大罪人だけが入れられる大監獄だ。
その内部は、文字通り鉄の檻だった。
ここでは、全ての囚人が完全に隔離され、誰が隣に収監されているのかすら知る術がない。
外界の音も光も届かない、深奥の闇。
シエステラは、この厳重な監獄の奥深くへ、フィーラただ一人を伴って進んだ。
そして辿り着いたニコラの部屋。分厚い石壁に囲まれた空間の中央には、分厚く、頑丈な鉄格子が冷たくそびえ立っており、その向こうで面会が行えるようになっていた。
「ニコラ様。お加減はどうですか?」
「あぁ、シエステラか。あ、シエステラ様の方がいいのか」
「いいえ、シエステラで良いですよ」
「そっか。まあ薄暗いけど、割りと悪くないぞ」
ニコラは、大罪人の牢獄に閉じ込められながらも、まったく動じる気配がなかった。
彼の表情はからりと明るく、シエステラに対する恨み言は微塵も見当たらない。
「それより、シエステラの方こそ大丈夫か? あの時突然倒れて、心配してたんだぞ」
「ご心配をおかけしたようで申し訳ありません。ですが、この通り何の問題もありませんよ」
「そうか、それならよかった」
安心したように笑うニコラに、シエステラは少しだけ呆れていた。
(事情は聞いているでしょうに。なんとも能天気な心配を)
心の中では悪態を吐きながら、シエステラは申し訳なさそうに頭を下げる。
「そんなことより、この度は申し訳ありませんでした。私のせいでこんなことに」
「え? いやいや、シエステラのせいじゃないって。俺は昔からよくこういうことがあるんだよ。運が悪いっていうのか」
ニコラは自嘲めいた苦笑いを浮かべながら、淡々とそう口にした
「そのせいで村に住めなかったんだけどな」
ニコラは元々、今住んでいる家の近くにある村に住んでいた。
しかし、自らの存在がもたらす不運が、親しい周囲の人々にも悪影響を及ぼし始めることに気づいてから、彼はすべてを断ち切った。
「あの、ご両親は?」
「俺が小さい頃に病気で亡くなったよ」
「そう、ですか。申し訳ありません」
「いいって。俺が言いたいのは、つまり今回迷惑をかけたのは俺の方ってこと。だから、すまん」
パンッと小気味の良い音を立てて、ニコラが手を合わせた。
そんなニコラに、シエステラは呆れた目を向けて深い溜め息を漏らした。
今回の騒動、確かにニコラのスキルが発端ではあるが、最終的な責任は彼を連れ出したシエステラ自身にある。
ニコラはシエステラに連れてこられただけで、熱いお茶を被せられ、グーで殴られ、挙げ句の果てには牢屋にぶちこまれた。
誰がどう考えてもシエステラの方が悪く、恨み言の一つでも言っていいだろう。
シエステラも、一言二言の罵倒、あるいは面倒な謝罪要求をされることは覚悟していた。
むしろ、あまりにも厄介な要求を突きつけられたら、どう対処してやろうかとまで考えていたくらいだ。
しかし、蓋を開けてみれば、ニコラの口から出てくるのはシエステラを心配するものばかり。
あまりにも想定外の展開に、シエステラは形容しがたい感情を抱いていた。
自分の知らない感情に一瞬戸惑いながらも、シエステラは小さく首を振って、強引に冷静さを取り戻した。
「ニコラ様。少し遅れてしまいましたが、あなたをここに呼んだこと、そして、あなたのスキルについてお話しさせてください」
「ん? あぁ、そういえば、この前もそんな話をしてたっけ」
そしてシエステラはニコラに事情を説明した。
スキル『不運』の説明も含めて。
ニコラが現代の勇者であること。
そして、それはつまり、世界の危機が迫っていることを意味しているということ。
また、ニコラが不運に見舞われるのはスキルのせいであること。そして、聖女の力でそれを解消しようとして失敗したこと。現時点では解消の見込みがないこと。
それら全てを包み隠さず。
あまりに突飛で巨大な真実を聞かされたニコラは、ただ両目を大きく見開いていた。
「俺が現代の勇者。まったく実感がないな」
「それはそうでしょう。聖女と違って、勇者様には、その身に証となるものはありませんからね」
シエステラは、淡々とそう返した。しかし、続く言葉は明確さを欠いた。
「ですが、あなたは間違いなく、……えっと、おそらく勇者様なのです」
シエステラは最後の部分で、自信なさそうに微かに視線をそらしてしまった。
それでも、彼女の聖女としての鋭い直感が、ニコラこそが勇者であると強く告げている。
「ニコラ様。どうか、この世界を救うために私たちに協力してください」
(なんて、そう簡単には決められないでしょうけれど)
シエステラは、ニコラからの即座の返答は期待せず、ただ彼の様子を注意深く伺っていた。
彼にどの程度の勇者としての資質があるのかを見極めるために。
しかし、ニコラはあっさりと答える。
「うーん。俺なんかが役に立てるかはわからないけど、俺の力が必要って言うなら、協力するよ」
随分とあっさり答えたニコラに、シエステラは呆気に取られた。
「い、いいのですか? そんな簡単に?」
「え? いや、だって、みんな困ってるんだろ? 俺なんかで助けになるなら、そりゃあ、協力するだろ」
ニコラはシエステラが困惑している理由がわからないとでもいうような表情をする。
その純粋な表情に、シエステラは何も言い返すことができなくなってしまった。
「それに、俺が不運なのは全部スキルのせいだったっていうのもわかったしな。やっぱり、俺はみんなに迷惑をかけていたってことだろ?」
「そ、そんなことはありません。ニコラ様はスキルの被害者なのです」
(私だったらまず間違いなく、神様を恨みますね)
シエステラはこれが自分だったらと想像し、吐き気がした。
何をするにしても不運なことが起きるかもしれない。そう考えなければいけないことは、かなりのストレスだろう。
しかし、ニコラはただ安心したように笑うだけだった。
「ありがと。そう言ってもらえるだけで救われるよ。それに、自分の境遇の理由がわかっただけでもかなりスッキリしたし」
無垢で無邪気な笑顔を見せるニコラから、シエステラは目が離せなかった。
(そういえば、ニコラの顔を包帯抜きで見るのは、初めてでしたね)
物語に出てくる勇者らしいパッと晴れやかな笑みに、シエステラは不思議な感情を抱く。
(あまりにも能天気で腹が立つ、はずなのに、それが不快には感じない。この気持ちは何でしょう)
得たいの知れない感情は頭を振って追い出し、シエステラは本題を話すことにした。
「ニコラ様。私にチャンスを頂けませんか?」
「チャンス? 何の?」
「貴方の不運を解消するチャンスです」
「え?」
シエステラの言葉にニコラは首を傾げた。
「本当にそんなことが可能なのか?」
「えぇ、聖女の本当の力はこんなものではありません。伝承によれば、女神様の力は世界中に散らばっています。それらを集めれば、たかがスキルになんて、決して負けません」
聖女の力は身に宿す女神の力に比例する。
シエステラが聖女として歴代最高というのは、それだけ女神の力を多く受け継いでいるということでもあった。
「ですから、私は聖女の力を高めるための旅に出ます。その旅に、貴方も同行していただきたいのです」
これがシエステラの考えた作戦だ。
今回、ニコラに必要なものは、罪を帳消しできるような大きな功績だった。
その点、聖女の力を高めるために貢献したとなれば、どんな罪も帳消しになるだろう。
聖女に貢献したとなれば、民衆からも文句は出ないはずだった。
シエステラはそのために、国王にあるお触れを出すようにお願いをしていた。
『聖女シエステラは、魔王復活の予兆をいち早く察知し、再び魔王を封印する力を手に入れるための旅に出ることになった』
聖女が魔王を封印するための旅に出た。
そんか話が広まれば、民衆はその話にしか興味を示さなくなる。不確かな噂話など、すぐに忘れられてしまうだろう。
シエステラがニコラの罪を帳消しにするための時間を稼ぐのには最適な手段だった。
「元々、ニコラ様には勇者として、私に力を貸してほしいとお願いする予定でした。少し主旨は変わってしまいますが、結果的には同じことです」
「そう、だったのか」
ニコラは少し思案する。しかし、それは本当に一瞬で、ニコラはすぐに頷いた。
「あぁ、わかった。そういうことなら、よろしく頼む」
差し出された右手に、シエステラは一瞬戸惑ったものの、同じように右手を出した。
が、それは途中で止められる。
「フィーラ?」
それを止めたのはフィーラだった。
フィーラはジトッとした目でニコラを睨み、シエステラとニコラの間に割り込む。
「その旅、私も同行します」
フィーラがきっぱりと宣言した。
「え? フィーラが? ですがあなたは、神官長としての仕事が……」
「シエステラ様の御身をお守りすることの方が大事です! こんなケダモノと二人っきりで旅をするなんて、絶対に認めませんからね!」
フィーラは強い口調で言いきる。
「ケダモノって。フィーラ、それはニコラ様に失礼ですよ」
シエステラが咎めるように言うと、フィーラは目を細め、きっぱりと断言した。
「いいえ、男はみんなケダモノです」
フィーラは頑として譲る気はなさそうだった。
(こうなると、フィーラは譲らないでしょうね)
フィーラの性格を知っているシエステラは頭を抱えた。フィーラはシエステラのことになると、かなり性格が変わってしまう。
しかも、悪い方へと。
フィーラはニコラを完全に敵認定しているようで、ガルルッと威嚇するような視線をニコラに突き刺していた。
どうやら彼女の目には、ニコラがシエステラを狙うケダモノにしか見えていないようだった。
(まあ、護衛をもう一人くらいは必要かと考えていたので、フィーラでもいいのですが)
シエステラは内心で溜息と共に渋々了承した。
「いいですか? あなたはシエステラ様に指一本触れてはいけませんよ?」
「わ、わかってるって」
すでにニコラとフィーラの関係は険悪だ。
いや、正確にはフィーラが一方的にニコラを敵視しているだけだが。
ともかくこうして、聖女と勇者、そして神官長の旅が始まるのだった。
「さて、行きましょうか!」
「あぁ、って、ぐわっ!」
牢屋から出てきたニコラに、錆びて崩れかけだった鉄格子が落ちてきた。
シエステラはニコラを心配しつつも、溜息を漏らした。
(前途多難ですね)
【スキル『不運』には、聖女の加護も効果がないようです】
物語序盤、シエステラが旅に出るまでの話が終わりました。
これからは、遂に聖女と勇者の旅が始まります!
さて、ニコラはどんな不運に襲われるのか、そして、シエステラはニコラの不運を解消することができるのか。お楽しみに。
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