第四十三話 ギルバート
騎士団がスキル『影潜り』に関する調査を始めてから、二日程が経った。
シエステラたちは聖女神教会から預かった資料を渡すために、騎士団の駐屯地へと訪れていた。
すでにヘイムに話は通されていたが、急な予定が入ってしまったということで、少し待つことになり、騎士団の訓練の様子を見ることになった。
「やあぁぁ!」
「はぁぁ!」
そこではギルバートが、若い騎士たちに指南をしているようだった。
ギルバートは長大な槍を自在に操り、向かい合う騎士の振るう剣を、まるで舞を踊るように華麗に、かつ的確にいなしていく。
その動きには、普段の軽薄な印象とはかけ離れた、研ぎ澄まされた実戦の厳しさが宿っていた。
実力差は一目瞭然で、若い騎士は彼の動きを追うことすらできない。
「踏み込みが甘い! それじゃあ、重い一撃を受けたら、吹き飛ばされるぞ!」
「は、はい! うわぁ!」
叱責と同時に、ギルバートの槍の穂先から放たれた風圧だけで、若い騎士は勢いよく後方へ吹き飛ばされた。
「へぇ。ギルバート様は、お強いのですね」
「えぇ、普段の雰囲気とは違いますよね」
シエステラが感嘆の声を漏らすと、曖昧な表情を浮かべたヘカティアがやって来た。
「彼の実力はこの騎士団の中でも上位です。普段の様子からは想像もできないでしょうが」
ヘカティアが説明し終えるのと同時に、訓練を切り上げたギルバートがこちらに気づいた。
「あ! シエステラ様!」
ギルバートはブンブンと手を振って、大型犬のような笑顔を浮かべる。そして、全力疾走でシエステラの元までやって来た。
(確かに、全く想像できませんね)
シエステラは心の中で冷や汗を拭いながらも、仮面のような穏やかな笑みで迎える。
彼女にとって、ギルバートのこの騒がしさは、どうにも苦手なものだった。
「今日はどうしたのですか!」
「え、えぇ、今日はヘイム団長との面会を……」
「ヘイム団長なら、急遽、本部からの連絡があって、そちらに行ってるはずです!」
「は、はい。聞きました」
ギルバートは前のめりになって、シエステラに迫る。フィーラがさりげなくギルバートをブロックするが、ギルバートの勢いは、そんな細やかな抵抗では無意味だった。
シエステラの少し後ろにいたコットンも、ギルバートの勢いに押されたのか、隠れるようにシエステラの後ろに下がっている。
「ギルバート。不敬だぞ。少し下がれ」
「あ、すみません!」
ヘカティアの厳しい声に、ギルバートは微かに後退するが、その声の大きさは変わらず、微々たる効果しかなかった。
シエステラとフィーラは、騎士団に対して強く出られないという苛立ちを募らせる。
その時、空気を読んだニコラが、助け船を出すように口を開いた。
「ギ、ギルバートさん。もしよければ、俺も少し訓練に参加させてもらっても良いかな? 見ていると、体を動かしたくなって」
「え? いいですよ! ぜひ!」
ニコラの提案に、ギルバートは目を輝かせて即座に受け入れた。そして、嬉々として部下たちに模擬戦の準備を指示する。
「訓練なら、実戦が一番ですよね」
ギルバートは嬉々として訓練場の中央へと走っていく。
離れていくギルバートに、シエステラとフィーラは少しだけホッとしたように表情を和らげた。
「ふぅ、……助かりました、ニコラ様。今回ばかりは、どうしたものかと」
フィーラもさすがに疲弊していたようで、素直に感謝を伝える。
「本当に申し訳ありません。あれが彼の常なのです」
ヘカティアが深々と頭を下げる。
「いえ、お気になさらないでください。元気なのは良いことです」
(二度と近づいてほしくありませんが)
シエステラは本音を胸にしまい、建前で返事をした。
「ニコラ様! 準備できましたよ!」
「あ、はい」
ギルバートはすでに模擬戦の臨戦態勢に入っており、ニコラを待っている。
流れに乗り、若い騎士から模擬剣を借りたニコラは、彼の前に立った。
「それでは早速、行きます!」
ギルバートが槍を構え、戦闘態勢に入った瞬間、訓練場の空気が一変した。
それは、先ほどの若い騎士たちに向けていた手加減のある指導ではなく、殺気すら感じさせる、真の戦場のような雰囲気だった。
シエステラはその変わり様に驚きを隠せない。
ニコラも一瞬呆気に取られたようだが、すぐに剣を構え、緊迫した空気に身を投じた。
二人の間に流れる空気は、まさに本物だった。
「ギルバートの本気は、本当にすごいですよ」
ヘカティアの称賛を耳に聞きながら、目の前の二人から目を離さない。
そして、ギルバートが動いた。
無音の突き。意識していても、一瞬、見逃してしまいそうな俊足の動きに、ニコラは瞬時に反応し、身体を捻って避ける。
しかし、完璧に躱すことはできず、彼の服の袖口が微かに裂けた。
「ふっ!」
自分の間合いに入ってきたギルバートを、ニコラが切りかかる。だが、ギルバートは槍の柄をグルリと回し、剣の軌道を正確に防いだ。
「へぇ、あのような動きも」
フィーラは同じ槍使いとして感心していた。
ギルバートの技術は彼女にとっても参考になるようで、いつの間にか彼女の視線は、純粋にその妙技を観察するものへと変わっていた。
ギルバートの突きは、普段の騒がしさを微塵も感じさせない無音の動きだ。
風の音すら遅れて聞こえてくるようで、気配が薄められているため、視覚に頼るほかない。
しかも、その速度は尋常ではなく、ニコラは彼の動きに、僅かだが後れを取って反応しているように見えた。
「ニコラ様が押されている?」
「いえ、ギルバートも攻め手に欠けています。今は二人とも様子見でしょうね」
ヘカティアの解説に、シエステラは「なるほど」と納得した。
彼女の印象ではニコラが押されているように見えたが、どうやらギルバートも見た目ほど優勢ではないらしい。
「やりますね!」
「そっちこそ」
ギルバートの間合いはニコラには遠く、攻めることができない。
ニコラは多少のダメージを覚悟の上で、強引にギルバートへと踏み込んだ。ギルバートの槍がニコラの肩に迫るが、ニコラはそれを最小限の動きで避ける。
「おっと!」
ギルバートが驚き、後ろへ下がった。ニコラはそれを許さず、その隙を突くように剣を下から振り上げた。
いや、振り上げようとした。
「うがっ!」
「えぇっ!」
しかし、ニコラはそれをする前に何かに躓き、こけてしまった。かなりの勢いがあったせいで、そのまま地面を滑るように飛んでいく。
地面を抉るような派手な転倒に、ギルバートだけでなく、冷静なヘカティアまでが目を丸くして呆気に取られていた。
シエステラとフィーラは「あぁ、またか」と、もはや慣れた様子で小さく呟いた。
「え、えっと、大丈夫ですか?」
流石のギルバートもいつもの騒がしさはなく、ただ心配そうに声をかける。
すると、ニコラは何事もなかったかのように、ひょいと起き上がってきた。
「あぁ、大丈夫だ」
鼻血の一滴も流れていないニコラのタフさに、ギルバートはさらに目を白黒させた。
「よし、続きを始めるぞ」
「え? あ、わ、わかりました!」
ニコラの発言に驚きながらも、ギルバートは槍を構え直す。しかしすぐに、地面に落ちた模擬剣を見て、違和感に気づいた。
「あれ? 模擬剣が……」
「え? あ、折れた」
先ほどの転倒の衝撃で、ニコラが借りていた模擬剣は根元から真っ二つに折れてしまっていた。
そして、何とも言えない沈黙が訓練場を包み込み、そのまま模擬戦は中止となったのだった。




